あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

あを雲の涯 (二) 香田淸貞

2021年07月24日 09時35分14秒 | あを雲の涯 (獄中手記、遺書)


遺詠
ひたすらに君と民とを思ひつゝ
  今日永へに別れ行くなり
  昭和拾壱年七月十二日
  丗四才  香田淸貞

父への遺詠
殊更に笑ひたまへる父君の
  心の中ぞおし計られけり
  昭和拾壱年七月十一日
  長男  香田淸貞


妻への遺詠
ますらおの猛き心も乱るなり
  いとしき妻の末を思へば
我を我とて育て上げけり諸共に
  いとしき妻の力なりけり
  昭和拾壱年七月十二日
  夫  香田淸貞


香田淸貞  コウダ キヨサダ
陸軍歩兵大尉
歩兵第一旅団副官
明治36年9月4日生    昭和11年7月12日銃殺
陸士第37期生  村中孝次、大蔵栄一、菅波三郎 は同期


妖雲未霄萬民
憂赤誠未通而
殉大道
南無妙法蓮華經
昭和拾壱年七月十二日    香田淸貞

「 わたしは生死を超越する修練には随分苦労しました。
日蓮宗を信仰しましたし禅にも入門しました。
しかしどれにも生死の問題を解決することができませんでした。
ところが、ここに入ってわずかしかたちませんが、
不思議と生死の問題を解決し得たように思います。
わたしは野中亡きあと同志の先任者となっていますので、
彼らとともに立派に死んでいける自信がありますから、
この点はどうか安心して下さい 」
・・・大谷啓二郎著 二・二六事件  から

南無妙法蓮華經
蹶起ノ主意
一、蹶起ノ主意書ニ示セル通リナルモ或ハ傳ハラサラン、
 大意ハ天日ヲ暗クスル特権階級ニ痛棒ヲ與ヘ、國体ノ眞姿ヲ顕現シ、
國家ノ眞使命ヲ遂行シ得ル態勢ニナサンコトヲ企図セルナリ。
二、行動ノ概要
二十五日夜ヨリ二十六日朝ニ亙リ、歩一第十一中隊ニ在リテ諸準備ヲナス。
二十六日午前四時三十分、首相官邸ニ於テ大事決行中ノ栗原部隊ヲ横ニ見ナガラ、
陸相官邸ニ至リ陸相と会見、上部工作ヲナス。
正午過、陸軍大臣告示ヲ山下少将ヨリ伝達ヲ受ク。
二十六日夜、宮殿下ヲ除ク軍事参議官全員ヲ集メ交渉ヲナス。
同夜ハ同邸ニ在リ。
二十七日、戦時警備令下令セラレ其ノ部隊ニ入ル。
次イデ戒厳令下令セラレ同部隊ニ入リ、小藤大佐指揮官トナリ、
 麹町地区守備隊トナリ完全ニ皇軍トシテ認メラレル。
二十七日 午前、戒厳司令部ニ至リ司令官ニ交渉セリ。
二十七日夜、陸相官邸ニ於テ、真崎、西、阿部ノ三大将ト交渉ス。
二十七日夜ハ、小藤支隊命令ニヨリ宿営ス。余ハ鉄相官邸ニ宿営セリ。
二十八日、陸相官邸ニ至ル。午前九時頃第一師団司令部ニ至リ、第一師団長ト交渉ス。
二十八日夜ハ山王ホテルニ在り。
二十九日同ジ。
二十九日正午過、陸相官邸ニ至リ、午後六時頃代々木ニ至ル。
三、奉勅命令ハ誰モ受領シアラズ。
四、安藤大尉ハ維新ノ大詔ノ原案ヲ示サレタリ。
五、軍幕僚並ニ重臣ハ、吾人ノ純真、純忠を蹂躙シテ権謀術策ヲ以テ逆賊トナセリ。
六、公判ハ全ク公正ナラズ、判決理由全ク矛盾シアリ。
七、父ハ無限ノ怨ヲ以テ死セリ。
八、父ハ死シテモ国家ニ賊臣アル間ハ成仏セズ、君国ノタメ霊魂トシテ活動シテ之ヲ取リ除クベシ。
 昭和十一年七月十一日
 父  香田淸貞
 清美殿
 茂  殿
子供等ヨ、母上ノ云フ事ヲヨク聞キ、立派ナ人ニナッテ呉レ。
父ハオ前等ノ父トシテ、決シテ恥カシクナイ父デアルゾ。
母上ヲ大事ニ孝行ヲシテ呉レ。
< 註 >  この遺書は処刑前日、
最後の面会の際、家族にひそかに手渡されたものである。
・・二・二六事件 獄中手記・遺書 河野司 編 から

呈  忠勝
南無妙法蓮華經
昭和十一年七月十一日
一人ノ兄  香田淸貞

泣くな
悩むな
与愛之妻  冨美子
南無妙法蓮華經
昭和十一年七月十一日
全霊ヲ以テ愛セシ夫  香田淸貞
氣に病むな
吾は御身と
共に在り

与妹  清野
南無法蓮華經
昭和十一年七月十一日
一人ノ兄  香田淸貞

國體擁護者
臣子之大道也

母ニ仕ヘテ至孝ナレ
与吾愛子  茂  常ニ母ガ血ニ泣キシ苦労ヲ思ヘ
南無妙法蓮華經
昭和十一年七月十一日
汝ガ厳父  香田淸貞

八紘一宇者
祖宗之遺訓也

母ニ仕ヘテ至孝ナレ
常ニ母ガ血ニ泣キシ苦労ヲ思ヘ
与吾愛子  清美
南無妙法蓮華經
昭和十一年七月十一日
汝ガ慈父  香田淸貞

天ニ仕ヘテ貞女タレ
夫婦ノ和合ハ國家興隆ノ基
 ( 以上ハンカチ五枚 )
 

最愛の妻の苦労を思ふ時
猛き心も千々にしだしる
『 苦しさも 共にしのばん 
  國のため只誠ある  道をまもりつゝ

  昭和十一年七月十一日  冨美子 』
御主人様
何事も國のためなり
いざ
共に 誠の道にいそしみ行かん
 ( 以上妻の手紙に認めあり )

殊更に笑ひ
たまへる父君の
心の中ぞ
おし計られけり
昭和十一年七月十一日
長男  香田淸貞

子供まで
まうけし身にて
母上に
甘へ甘へて
甘へ通せり
昭和拾壱年七月拾弐日
長男  香田淸貞

すこやかに玉の
子供を産めよかし
子供に優る
宝はなし
昭和十一年七月十二日
兄  香田淸貞

我を我と育て上げけり 諸共に
  いとしき妻の力なりけり
ますらおの猛き心も乱るなり
  いとしき妻の末思へば
身はたとい歸らぬ旅に上れ共
  心は常に汝か邊にあり
子供等は我が身の代り 悲しくば
  子供を抱け我が身と思ひて
昭和十一年七月十二日
夫  香田淸貞

父上様  皆様
最後ノそばハ實ニうまかつた
父上様
不肖ハ父上様ノ
子供ニ恥ヂナイト云フ自信ヲ以テ
死ニマシタ
昭和十一年七月十一日
香田清貞


非理法權天
至誠貫徹
盡忠報國
爲子供等  昭和拾壱年七月十二日
 父  香田淸貞

呈  義雄様
非理法權天
昭和拾壱年七月十一日
香田淸貞

呈  向様
至誠通天
昭和拾壱年七月十一日
香田淸貞

非理法權天
至誠通天
  昭和拾壱年七月十一日
  香田淸貞

呈  岡末夫之妻
昭和拾壱年七月九日  香田淸貞
一家和合者國
家興隆之基也
家門之繁榮者
忠道之果也
南無妙法蓮華經

冨美子
泣クナ  悩ムナ 氣ニ掛ケルナ
強ク雄シク 子供等ニ生キヨ
一念ヲ思ハバ
即チ 余ハ常ニ汝ノ心ノ中ニ
嚴然トシテ生キテアリ
南無妙法蓮華經
昭和拾壱年七月九日
香田淸貞

呈  吉原の 伯母様
死生天命
死而護國ノ神ト爲ルベシ
昭和拾壱年七月十一日
香田淸貞

呈  垂井君
昭和拾壱年七月九日  香田清貞
國體之擁護者臣子之
大道也八紘一宇者
祖宗之遺緒也男児須參
大道一誠以計國家之興隆
南無妙法蓮華經

捧  岡沢家
我がためにみまかりにし
岡澤を
涙にぬれて伏し拝みけり
至誠震撼天地
ひたすらに君と民とを思ひつゝ
今日永へに別れ行くなり
昭和拾壱年七月十二日
香田淸貞
( 以上 白紙一六枚 )

國體之擁護臣子之大道也
八紘一宇者祖宗之遺訓
昭和拾壱年七月十二日
三十四才  香田淸貞

ひたすらに君と民とを思ひつゝ
今日永へに別れ行くなり
昭和拾壱年七月十二日
丗四才  香田淸貞
( 以上 唐紙二枚 )


父の最期の菓子だ
喰べよ子供等 
昭和拾壱年七月十二日

父  香田淸貞

或る看守が私達に香田さんの夫人との面会の様子を話してくれた。
香田さんは面会を終って部屋の中に入るなり、手で顔を掩って泣きくずれたそうである。
残された家族の苦しみを思うとき、まさに断腸の思いであったのであろう
・・・池田俊彦 著  生きてる二・二六  から

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