あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

あを雲の涯 (一) 野中四郎

2021年07月25日 09時41分22秒 | あを雲の涯 (獄中手記、遺書)


天壌無窮

遺書

迷夢昏々、萬民赤子何の時か醒むべき。
一日の安を貧り滔々として情風に靡く。
維新回天の聖業遂に迎ふる事なくして、曠古の外患に直面せんとするか。
彼のロンドン會議に於て一度統帥權を干犯し奉り、又再び我陸軍に於て其不逞を敢てす。
民主僣上の兇逆徒輩、濫りに事大拝外、神命を懼れざるに至っては、怒髪天を衝かんとす。
我一介の武弁、所謂上層圏の機微を知る由なし。
只神命神威の大御前に阻止する兇逆不信の跳梁目に余るを感得せざるを得ず。
即ち法に隠れて私を營み、殊に畏くも至上を挾みて天下に號令せんとするもの比々皆然らざるなし。
皇軍遂に私兵化されんとするか。
嗚呼、遂に赤子御稜威を仰ぐ能はざるか。
久しく職を帝都の軍隊に奉じ、一意軍の健全を翹望して他念なかりしに、
其十全徹底は一意に大死一途に出づるものなきに決着せり。
我將來の軟骨、滔天の氣に乏し。
然れども苟も一剣奉公の士、絶體絶命に及んでや玆に閃発せざるを得ず。
或は逆賊の名を冠せらるるとも、嗚呼、然れども遂に天壌無窮を確信して瞑せん。
我師團は日露征戰以來三十有余年、戰塵に塗れず、
其間他師管の將兵は幾度か其碧血を濺いで一君に捧げ奉れり。
近くは満洲、上海事變に於て、國内不臣の罪を鮮血を以て償へるもの我戰士なり。
我等荏苒年久しく帝都に屯して、彼等の英霊眠る地へ赴かんか。
英霊に答ふる辭なきなり。

我狂か愚か知らず
一路遂に奔騰するのみ

昭和十一年二月十九日
於  週番指令室
陸軍歩兵大尉 野中四郎


野中四郎  ノナカシロウ                

陸軍歩兵大尉
歩兵第三聯隊第七中隊・中隊長
明治36年10月27日生  昭和11年2月29日 自決
陸士第36期生
陸軍少将 野中勝明の四男


野中大尉・自決直前の遺書
實國國父勝明ニ對シ 何トモ申シ譯ナシ
老來益々御心痛相掛ケ罪 萬死に價あたい
養父類三郎、養母ツネ子ニ對シ嫡男トシテノ努メ果サス 不孝ノ罪重大ナリ
俯シテ拝謝ス
妻子ハ勝手乍ラ 宜シク御頼ミ致シマス
美保子 大変世話ニナリマシタ
◎ 貴女ハ過分無上ノ妻デシタ
然ルニ 此ノ仕末御怒り御尤モデス
何トモ申シ譯アリマセン
保子モ可愛想デス    カタミニ愛シテヤツテ下サイ
井出大佐殿ニ御願ヒシテ置キマシタ

歩三、歩一  位置図

[ 野中さん ]
ビルディング式の歩兵第三聯隊の兵営に、一寸目につかぬ低地がある
営門を這入ると、
西はずっと開けて青山墓地が見渡され、右手はあの巍然たる建物である
だから営門を這入るや直ぐその左手に、
こんな低地があろうとは余程勝手を知ったものでなければ、わかる筈がない
桜の老樹の植わった台端から斜に径を下りると、その低地に陰気くさい、
三十坪程の平家があり、入口には将校寄宿舎と書かれた木札がかかっている
若い青年将校の独身官舎で、兵営内でもおのずから別天地をなしている
昼間はひっそりとして誰もいないが、夕食が済む頃になると、俄然賑やかとなる
廊下を通る足音で、直ぐかれは誰だと判断がつくほど、みんな親しい仲である
隊務にかまけて草むしりなど一向に気づかぬ連中とて、
この宿舎の近辺はと角雑草が伸びがちだが、
中にたった一人、日曜等の暇をみては、
誰にも云わず黙々と、この伸びた雑草を片づけている人があった
年長者の野中という中尉で、かれは滅多に外出することもなかった。
そして居住室の誰からも、「野中さん」 「野中さん」 と 尊敬されていた
・・新井勲著 日本を震撼させた四日間 から

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