あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

あを雲の涯 (二十) 相澤三郎

2021年07月04日 05時45分56秒 | あを雲の涯 (獄中手記、遺書)


まごころに よりそう 助けかひありて
仕へはたして 今帰へるわれ

七月二日午後十一時
三郎
米子へ

昭和11年  ( 1936年 ) 7月2日
相澤三郎中佐の 「 辞世 」 である

昭和十一年七月のはじめ、獄中の菅波の独房へ、
看守の手を通じて、死刑を目前にした相澤の辞世が届けられる。
かぎりなき
惠の國に生まれきて
今たち帰る神の御園生

と、ちり紙に達筆でしるされてあった。

「 これは生命的実在論に立つ、実にみごとな死生観である。
 幽界 ( 本体界 ) から生れ来て、顕界 ( 現象界 ) における使命を果たし終って、
再び本体界に帰って行く、

いみじくもすばらしい日本的生命観の表白である 」
と、菅波は感動したという。

私位幸福者は有りません。
兎に角、自分の思ふ通りに凡てを實行して來たのですから、
之で一切の仕事は終つたので
喜んで大往生が出來ますよ。
ですから何も 恨みも悲しみも有りません。
今日も子供達と面會して能く言ひ聞かせてやりました。
が、皆能く解って にこにこ笑って歸って行きました。
又 此の刑務所創立以來、私程親切なる取扱を受けた者はないでせうね。
随分御馳走になったり、御世話になりました
と、発言し微笑せり
七月一日午後六時四十分頃
看守視察事項


昭和十一年七月二日
午後十時半、全てを了へました。
今から御前と話をします。
夫婦は二世と言ふが、お前とは萬世だ。
これは神様の御仕になつて出來ました。
お前と私は最大の幸福ですよ。
私は明日は此の世の中の束縛から脱しまして、「 ぢき 」 に お前のところに参りますよ。
お前の情に抱かれて
此の度は一掃の勇猛新を以てお前と一所に子供をそだてるばかりでなく、
立派に一層忠義を御盡し得ますよ。
早く歸りたい。
決して離れないから。
お前の信仰は誠にうれしい。
過去を考へると おかしいねー。
そこで趾始末等はお前はやるもよいが、
十分睡眠を例の通りやつて身體を元気にしないといけないよ。
勿論私の持つて居るちつきれ相な精神は、皆お前に譲るから、
明日からはお前の大事な心臓は今度は非常に丈夫になるよ。
信仰よ、ほんとうだよ。
笑ふ顔が見えるねー。
さつき歌とか言はれたが、書きよーないが、さー、なにか書こーか。
まもるらし 此の三郎の魂は
まもるそなたと 千代よろづよに
みごゝろによりて そうたるかえあつて
仕へ果して 今かへるなり
もう午後十一時になりますよ。
かぎりなき 思はそちの情にて
たのしかるべき 末の末まで
中々歌はむづかしいね。 
木曜日。  三郎


相澤三郎  アイザワ サブロウ
陸軍歩兵中佐  陸士22期生
歩兵第41聯隊付
昭和10年8月12日 永田鉄山軍務局長に天誅を下す 「相澤事件」
明治22年9月9日生
昭和11年7月3日午前5時4分 銃殺

剛毅朴訥 仁に近し
剛毅朴訥 にして、決行敢為の風あり

『 十の想いを一言で述べる 』
・・如何にも、相澤中佐に相応しい

相澤三郎發石原莞爾宛
昭和十一年六月二十五日
私考左に申上御座候
一、人生意義確立
二、人生目的の統一
三、尊皇絶對が人生活動の根源
四、尊皇學の無窮無現の創造確立
  宗教、哲学、倫理道徳其他科學進化の根底確立
五、天御中主大神を祭り奉る昭和大神宮を建立遊ばさること
六、御完成大祭と同時に世界人類に宣布せらるる如き大詔渙發を仰ぎ奉りたきこと
七、世界人類に活動の根底を明かになし下さるべき憲法、法律の御發布を仰ぎ奉りたきこと
昭和の大業御完成に世界人類のあらゆる叡智を絞って翼賛し奉る如く、
殊に輔弼の重責にあらゆる方は高邁こうまい絶大なる努力を捧げらる如く即時、
協力、決心をなされ度く御進言をなし下され度く存候、
勿論一私見に過ぎざるものに御座候も奉公の微衷のみに御座候
何率御了承下被度奉梱願候
敬具

日本という国は不思議な国だ。まさに神国だ。
こんなに腐りきり、混乱した時世になると、神の使いのような人物が現れる。
相澤さんなぞはその尤ゆうなる人だ。
神の使いのように心に一点の曇りもない。
至純、至誠の人というのは相澤さんのような人を言うのであろう。
・・・西田税

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