あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

あを雲の涯 (四) 磯部淺一

2021年07月22日 09時22分36秒 | あを雲の涯 (獄中手記、遺書)


辭世
國民よ國をおもひて狂となり
  痴となるほどに國を愛せよ
三十二われ生涯を焼く情熱に
  殉じたりけり嬉しともうれし
天つ神國つみ神の勅をはたし
  天のみ中に吾等は立てり
わが魂は千代萬代にとこしえに
  嚴めしくあり身は亡ぶとも


磯部淺一   イソベアサイチ
陸軍一等主計大尉
「 粛軍に關する意見書 」 を発表し 免官
明治38年4月1日  昭和12年8月19日銃殺
陸士38期生  安藤大尉と同期


C、
天皇陛下は靑年將校を殺せと仰せられたりや  
嗚呼
秩父宮殿下は靑年將校は自決するが可
最後を美しくせよと仰せられたりや
嗚呼
天下一人も吾人の志を知るものなく
吾人のいのちを尊重し且つ救助せんとしたるもののなかりしや
陛下に死諫する忠臣出でて吾人の忠義を上奏するの士はなかりしや
六十になつても七十になつても命のおしい將軍ばかりか川島腹を切らざるや
嗚呼
靑年將校の精神は可なるも
行動はわるし 刑せずてはかなふまじと云ふのは荒木、眞崎も然りき、満井佐吉すら然りき、
吾人に同情し吾人に理解ある士が
最初に於て精神はよきも行動を全部認めてはいかん一應は刑を受く可きだなど稱して
一歩 否一分を譲歩したる爲に今や精神もわるし行動もわるし
全部認める事は出來ずと云ふことになり千歩萬里の譲歩となれり
「 絶對に我が國體に容れざる 」
と云ふ判決文を
國體不理解者 反國體者 天皇機關説的國體観信奉者等によりて奉られたる吾等は
日本人として不幸の最大なるものならずや
吾人は今や完全なる反亂者となれり國賊なれり
その初め
精神を認められ行動をも認められたる國家の尊皇義軍が
一分の譲歩否一厘の譲歩をしたる爲に
遂ひに百歩千歩の敗退を見、忠臣より國賊に義軍より反徒にテン落したり
吾人に同情し吾人に理解あるの士が一分の否一厘の後押しをして呉れたら
國家は昭和十一年に國賊反徒を出さざりしものを
・・・ 獄中手記 (3) 磯部菱誌 七月廿五日 「 天皇陛下は青年将校を殺せと仰せられたりや 」 

八月一日    菱海入道
何にヲッー!、殺されてたまるか、死ぬものか、
千万発射つとも死せじ、断じて死せじ、死ぬることは負ける事だ、
成仏することは、譲歩する事だ、死ぬものか、成仏するものか
悪鬼となって所信を貫徹するのだ、
ラセツとなって敵類賊カイを滅盡するのだ、
余は祈りが日々に激しくなりつつある、余の祈りは成仏しない祈りだ、
悪鬼になれる様に祈っているのだ、
優秀無敵なる悪鬼になる可く祈ってゐるのだ、
必ず志をつらぬいて見せる、
余の所信は一部も一厘もまげないぞ、
完全に無敵に貫徹するのだ、
妥協も譲歩もしないぞ
・・・磯部淺一 獄中日記


・・・ 獄中からの通信 (1) 歎願 「 絶対ニ直接的ナ関係ハ無イノデアリマス 」 

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「 俺は女の一番豪えらいのは西田さんの奥さん 其次は お前だと思って居るよ 」
・・・磯部淺一 ・ 妻 登美子との最後の面会 ( 昭和十一年八月十六日 )


謹みて御礼を申し上げます
平素大変に御世話になりました御會ひして御礼を申し上げる事の出来ぬのが残念です
何處のドイツが何と
云いたつて 先生は
偉大です       ( 先生・・西田税 )
そして先生の思想信念と私共の思想信念は絶対に正しく正義です  大義です 
私はこの
正しい強い不可侵の信念に生きています死ぬではありません在天の神様に召される
のです 悲しんで下さい
ますな  私は寔にゆかいです
私は少年時代から何事をしてもに勝ちました
如月雪の日にも勝ち 今も全勝しています
此の次も必す勝ちます
乱筆御礼
 
さよなら

・・・磯部淺一 発 西田はつ 宛 ( 昭和十一年八月十六日 ) 
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義父は昭和二十六年、七十六歳で他界いたしました。
義父の死後、義父が生前大切にしていた手文庫を開けてみましたら、
磯部さんからの遺書と思われる達筆で書かれた毛筆の封書と、
一通の電報が沢山の書類と一緒に入れてありました。

電文は
『 イマカラユキマス、オセワニナリマシタ、イソベ 』
とあり、発信は渋谷局となっていましたから、
処刑直前に奥さんにでも言いつけて打ったものと思われます。
御生前の凛凛しかった磯部さんの姿を思
い浮かべ、
電文をうつ 奥さんの心中を推しはかって
思わず泣き伏してしまったことを覚えております。 ・・松岡とき ( 松岡喜二郎の長男省吾の妻 )


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