あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

反駁 ・ 村中孝次、對馬勝雄、澁川善助、磯部淺一 ( 第二回、三回、四回公判状況)

2020年07月21日 16時17分25秒 | 反駁 1 西田税と北一輝、蹶起した人達 (公判狀況)

 
村中孝次 

公訴事實ニ依リマスト 
北一輝ノ日本改造法案ヲ實行センガ爲 蹶起シタル如クナツテ居リマスガ、
蹶起ノ趣旨ハ
天皇ノ兵馬ノ大權ヲ干犯セントシタル奸賊ニ對シ 正義ノ天誅ヲ加ヘンガ爲デアリマシテ、
此點ヲ明瞭ニサルゝコト無クバ 私達ガ此度蹶起シタ精神ハ全ク死ンデシマイマス。
次ニ、
奉勅命令ヲ僞造ナリトシテ自刃ヲ翻意シタトアルモ、私達ガ自刃ヲ翻意シタノハ、
包囲隊ガ行動隊ヲ撃ツト云フ情報ガ來マシタノデ、自刃セズ配備ニ就イタノデアリマス。
公訴事實デハ此処ニ居ル被告ガ殆ンド謀議ニ參畫シタ様ニナツテ居ルモ、
事實ハ村中、磯部、栗原ノ三名ニテ謀議ニ參畫シ、
他ハ軍隊式ノ所謂聯絡ト言フ程度デ謀議ニ参畫シタトハ考ヘラレマセン。
尚、下士官、兵が自發的ニ歸順云々トアルモ、
吾々ガ飛行機ニ依リ奉勅命令ノ下ツタコトヲ知ツタノデ下士官以下ヲ歸順サセタノデアリマス。
ト公訴事實ニ對スル前回ノ
補足的論述ヲ爲シ、
裁判長ヨリ、

「 然ラバ、蹶起直後ノ如何ナル理由デ軍ノ上層部工作ヲ爲シタルヤ 」
夫レハ、今回ノ目的ガ
兵馬ノ大權ヲ干犯スル奸賊ニ正義ノ天誅ヲ加ヘン爲 蹶起シタノデアルガ、
折角蹶起シタノデアルカラ此ノ際軍ヲシテ吾々年來ノ希望デアル
昭和維新ニ入ツテ頂ク爲ノ工作デアリマシタ。
ト今回ノ蹶起趣旨ニ附キ二、三訊問應答アリ
終ツテ村中孝次ノ思想經緯ニ附訊問ヲ爲シ、
十月事件、血盟團事件、神兵隊事件、埼玉挺身隊事件、十一月事件等ニ附關係ヲ訊問シ、
特ニ十一月事件ニ就イテ其具體的實行計畫ノ在否ニ關シ追究シタルニ、
被告ハ
何等實行計畫ナキコトヲ
説述シ、
佐藤候補生ニ洩シタル計畫ハ全ク彼等計畫ノ實行ヲ阻止センガ爲ノ手段ニシテ、
此事ニ就テハ當時取調官ニ誣告罪トシテ告訴シ徹底的捜査ヲ申立テタルニ、
當局ハ本件ニ對シ極メテ不誠意ノ態度ヲ示シタルガ、
此裏面ヲ見ルニ所謂重臣牧野、齋藤、高橋等現狀維持派ガ
軍部内革新勢力ノ彈壓的策謀ナリト評セラレ、
之モ亦軍内統帥権ヲ紊ル一事象ナリト
強調シ、
次デ同人ノ抱持スル國家改造方法ニ附訊問セルニ
同人ハ軍内上下左右ニ對スル
維新的啓蒙運動ニヨリ全軍ニ機ノ熟スルヲ俟ツテ大權ノ發動ニ依リ行ワレルベキモノナリ 
ト論ジ、
梅荘院、偕行社内ニ於テ開催シタル三十七期以後ノ各期代表聯合會ノ狀況
ヲ説明シ、
法務官ヨリ軍上層部に對スル運動ニ附質問アリ
次デ、北一輝トノ關係及之ガ思想的影響ノ訊問ニ入リ、北一輝著ノ日本改造方案ニ論及、
法務官  「 北一輝著ノ日本改造方案ハ被告ノ國家改造ニ關スル主義綱領トセラレテ居ル様ダガ、此點如何 」 

日本改造法案 ハ私ノ私心的理想デアリマスガ、之ガ實行ニハ自カラ順序方法ガアリマス。
又、憲法ノ停止、戒嚴令ノ實施等ハ大權ニ属スルモノデ、此等ノ點ニハ反對スルモノデアリマス。
ト述ベ、
午前十時四十分休憩、
同十一時再會、引續キ法務官ヨリ蹶起後ノ建設計畫ニ就キ訊問リ
被告ハ  
前述公訴事實ニ對スル反駁ト同様大權干犯者ノ天誅以下建設計畫ナリ 
ト強調シ
次デ法務官ハ、元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等ガ兵馬ノ大權ヲ犯シタル事實ニ附 追究セルニ、
被告ハ、
倫敦條約當時兵力量ノ決定ニ關シ浜口首相ガ統帥權ヲ干犯シタルヲ指摘
シタル後
眞崎敎育總監ノ更迭ニ際シ 省部協定ヲ犯シテ統帥權ヲ干犯シタル事實、
等ヲ指摘、
法務官ハ軍事參議官會議ノ内容入手先ニ附訊問セルニ、

被告ハ、
平野助九郎少將ガ眞崎大將ヨリ聽キタルヲ、更ニ同少將ヨリ聽キタリ、
ト答ヘ、
裁判長ハ、
「 林大將ガ三長官會議ニ於テ纏ラナカツタ狀況ヲ其儘上奏シ 更迭ノ御命令ガアツタトシタラ、其事ニ就テ如何ニ考ヘルヤ 」 

其事ニ就テ兎角申上ゲルベキ筋合デハアリマセン。
誠意ヲ以テ纏メレバ必ズ纏ルコトデアルニ拘ラズ、最初ヨリ不純ナル策動ニ乗ゼラレ、
意圖的ニ時間ヲ与ヘズ、協議ヲ不成立ナラシメ、上奏シタルコト及軍令ヲ無視シタ點ヲ干犯ト信ズルノデアリマス。
裁  「 日本改造方案中憲法停止、戒嚴令位實施ヲ除クレイ無条件デ承服スト言ッタガ、細部ニ亘ル天皇ノ地位字句ニ對シテハ如何ニ考ヘルヤ 」
改造法案ハ十餘年前ニ書イタモノデ、
其以後ノ社會情勢ノ變遷其他デ時局的ニ現在不穏當ナ點ガアリマスガ、私ハ其精神ヲ認メルト云フ意デアリマス。
ト、日本改造方案ニ對スル観念ヲ述ベ、
午後零時休憩ニ入リ、
更ニ午後一時三十分開會、
劈頭村中ハ午前ニ於ケル陳述ニ捕捉スル必要アリト申請シ、
倫敦條約ニ於ケル統帥關干犯ト眞崎敎育總監更迭ニ於ケル統帥權干犯狀況トハ相共通スルモリアリ、
即チ、倫敦條約當時米國大使キヤスルハ
約二百萬ヲ日本朝野 ( 新聞社 ) ニ撒キ、
一夜ニシテ條約反對ノ輿論ヲ一轉セシメタルコト、
浜口首相ガ兵力量決定ニ關シ上奏案ヲ軍令部長ニ充分ニ披見セシメザリシコト、
軍事參議官會議ノ開催前牧野内府ガ陛下ニ葉山行幸ヲ奏請シタルコト、
等ト、眞崎敎育總監更迭時ノ、更迭ノ事前ニ大新聞記者ヲ 「潮來 」 ニ招待シ、
一人當金四百圓ヲ供与買収シ輿論ヲ有利ナラシメタルコト、
陸相ト充分協議決定セントシタルニ其ノ時間ヲ与ヘザリシコト、
陛下ニ上奏セントシタルニ事前ニ葉山行幸ヲ奏請シ、林陸相ガ葉山ニ參内上奏シタルコト、
等ノ諸轉ヲ指摘シタル後
臣下ノ統帥權干犯ニ關スル天皇陛下ノ御述懐 ( 山口一太郎大尉ヨリ聽ク )、
伏見宮殿下ノ上奏に關スル牧野内府ノ阻止工作 ( 齋藤瀏少將ヨリ聽く )
等ヲ述ベ終ワッテ、
法務官ハ 今回ノ事件直前、磯部、村中宅、龍土軒、隊内、栗原宅等ニ於テ爲サレタル
會合内容、出席者、蹶起趣意書ノ作成方法、配布要領、蹶起計畫、陸相官邸出入者、
歩哨ノ守則等ノ細部ニ附訊問シタル後、資金關係ニ附龜川哲也トノ關係ニ論及シ、
法  「 龜川哲也リ渡サレタル一千五百圓ハ出所ヲ知リ受取リタルヤ 」

出処ハ知リマセンガ、同人ハ鵜澤聡明博士ノ著述出版ヲ爲シアルヲ以テ、
同方面ヨリ得タルモノニシテ、不純ナモノデハナイト信ジ、受取リマシタ。
ト當時ノ模様ヲ述ベ、
午後三時ヨリ約十五分休憩、後再會、引續キ民間側トノ關係、北、西田、菅波、大蔵等
ニ對スル事件前ノ聯絡模様、事件準備ニ對スル補足訊問等ヲ爲シ、
午後四時裁判長ハ閉廷ヲ宣シ、次回ハ明二日午前九時ヨリ開廷スル旨宣言、
退廷セルガ、公判開廷中被告ハ何レモ不遜ナル態度ニ出ズルモノ等ナク、
極メテ靜粛平穏裡ニ公判ヲ了セリ
・・・以上  昭和11年5月1日、第二回公判 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

訊問開始ニ先ダチ、村中ハ要旨ノ意見ヲ開陳ス
裁判官ハ檢察官ノ陳述セル公訴事實 竝ニ豫審ニ於ケル取調ヲ基礎トシテ訊問セラルル様ナルモ、
檢察官ノ陳述セル公訴事實ニハ前回迄ニ申述ベタル如ク蹶起ノ目的其ノ他ニ相違ノ點アリ。
又、豫審ニ於ケル取調ハ急ガレタル關係上我々ノ氣持ヲ十分述ブル餘裕ヲ与ヘラレザリシヲ以テ
我々ハ公判廷ニ於テ十分ナル陳述ヲ爲シ度キ考ナレバ、白紙トナリテ十分陳述ノ豫裕ヲ与ヘラレ度、
殊ニ當軍法會議ニ於テハ辯護人ヲ許サレザルヲ以テ我々ハ自分デ辯護人ノ役目モ果タサネバナラズ、
而モ辯護人ト異ナリ身體ノ自由ヲ有セザルヲ以テ辯護ノ資料ヲ得ルコト能ハザル不利ナル立場ニ在リ。
此等ノ點ヲ御諒察ノ上、陳述ノ機會及豫裕ヲ十分ニ与ヘラレ度シ。
( 右ニ判士長ハ、第一回公判ニ於テ檢察官ノ陳述ニ先ダチ述ベタル如ク、各被告ラ十分陳述セシムル考ナルヲ以テ心配ノ要ナカルベシト論シタリ )
陸相官邸ニ到リ陸相ニ面會ヲ求メタル際ノ訊問應答中、次ノ如ク問答アリ
(法)  陸相ニ面會シ蹶起ノ趣意竝襲撃ノ狀況ヲ述ベタルトキ、陸相ハ被告等ノ行動ニ對シ何トモ言ハレザリシヤ
ソウカ、ソンナ考ヲ持ツテ居タナラ何故早ク言ハナカツタカト言ハレマシタガ、
「 オ前等ノ行動ハイケナイ 」 ト云フ様ナコトハ言ハレマセンデシタ。
尚、檢察官ハ我々ガ陸相ニ面會ヲ強要シタ様ニ述ベラレタガ、我々ハ斷ジテ強要シタ覺ハナイ。
其ノコトハ面會ヲ申込ンデカラ一時間半モ黙ツテ待テ居タコトデモ證明サレルト思ヒマス。
陸相官邸ニ眞崎大將來リタル際ノ訊問ヲ應答中ニ於テモ、
「 眞崎大將ハ我々ノ行動ニ對シ、惡イト云フ様ナコトハ言ハレマセンデシタ 」
ト陳述セリ
二十六日夜小藤部隊ニ編入セラレタル狀況ニツキ陳述セル際、
次ノ如キ陳述ヲ爲シタリ

小藤部隊ニ編入セラレタル後引上ゲ命令ヲ發セラルゝ様ニ聽イテ居マシタガ、
二十六日夜ニハ遂ニ其ノ命令ハ受ケマセンデシタ。
其ノ命令ヲ出サナカッタ事情ニツイテハ、
其ノ翌日山口一太郎大尉カラ聽キマシタガ、
小藤大佐ガ自分ノ考デ出サナカッタモノダソウデス。
我々ハ小藤大佐ニ對シ命令ヲ出サナイ様ニ頼ンダコトモナケレバ、
又、強要シタコトモアリマセン。
多分、今引上命令ヲ出シテモ
直チニ之ニ從ツテ引揚ゲル様ナコトハ期セラレヌト オ考ヘニナツタモノデセウ
・・・以上  昭和11年5月2日、第三回公判 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


對馬勝雄 
訊問ニ先ダチ、對馬中尉ヨリ公判ノ進行ニツキ次ノ申出リ
法務官ノ取調ハ判り切ツタコトヲクダクダト質問シテ居ル様ニ思ハレルガ、
コンナコトデハ何時迄カカルカ判ラヌ。
仍テ自分ハ手記ヲ出シタイト思フカラ許シテ貰ヒタイ。
(判士長許可ス)


澁川善助
次デ澁川善助ヨリ次ノ申出アリ
自分モ手記ヲ出シタイカラ許可セラレタイ。
(判士長許可ス) ・・・リンク→澁川善助 『 赤子ノ心情ハ奸閥ニ塞ガレテ上聞に達セズ 』

村中孝次ノ陳述中、注意ヲ要スト認ムル點次ノ如シ

(イ)  二十六日夜陸相官邸ニ於ケル軍事參議官トノ會見中、
阿部大將ハ中座セラレタルガ、間モナク満井中佐ヨリ呼バレテ別室ニ到リタル処、
其ノ室にハ満井中佐ノ外 橋本欣五郎大佐、田中弥、阿部大將、
參謀本部一騎兵少佐モ居リ、阿部大將ト満井少佐ハ間モナク出テ往キタルガ、
橋本大佐、田中大尉、騎兵少佐等ハ我々ノ行動ヲ是認スルガ如キ話ヲ爲シ、
田中大尉ノ如キハ全國ノ同志ニ電報ヲ發シテ我々ノ行動ヲ支持セシムル如クセリ 
ト述ベタリ、云々
(ロ)  二十七日首相官邸ニ到リタルトキ磯部ガ居合セ、
北ノ靈感ニテ眞崎大將ニ一任セヨトノ電話ガアリタルトノ話アリ。
自分モ昨夜軍事參議官ニ善処此方ヲ依頼シ置キタルモ、
中心人物ガナケレバ纏マラザルベシト考ヘアリシ処ナルヲ以テ之ニ同意シタリ。
尚、之ニヒントヲ得テ首相官邸ヨリ北ノ所ニ電話ヲカケテ見ル氣ニナリ、
通話シタル処、西田ガ電話ニ出テ西田ト話シタリ。 
( トテ、北トハ通話セザリシコトヲ強調セリ  )
(ハ)  幸樂、山王ホテル、鐵道、大蔵、文部 各大臣官邸ニ入リタルハ之ヲ占據シタルラアラズ。
歩一ノ聯隊副官ノ仕事を事實ニ於テ梨ル
山口一太郎大尉ノ配宿ニ關スル指示ニ從ヒ宿營シタルモノナルヲ以テ、決シテ不法ニアラズ。
殊ニ幸樂、山王ホテルハ戒嚴司令部ヨリ交渉シ、宿營者ヲ退出セシメテ其ノ後ニ入リタルモノナリ、
云々
(ニ)
( 陸相ノ告諭ニ 二タ通リアリ。何レヲ達セラレタリヤ、トテ法務官ガ朗讀シタルニ對シ )

陸軍ノ長老、各閣僚モ之ヲ認メタリト最後迄附言シアルモノヲ最初ニ達セラレ、
後ニテ印刷配布セラレタルハ附言ナキ方ナリ。

午前十一時五十分休憩ヲ宣スル直前、
村中、對馬、澁川ヨリ順次  次ノ如キ申出デアリテ、緊張シタル場面ヲ現出セリ
村中  裁判長ニオ尋ネシマスガ、此ノ公判ハオ急ギニナルノデスカ。
判士長  別ニ何日迄ト期日ヲキッテヤル譯デハナイ。最初ニモ申シタ如ク、十分陳述ヲ聴イテヤルツモリデアル
村中  デハ、氣永ニ陳述ヲ十分聽クバカリデナク、
本事件ノ起コリタル原因、動機、就中世相ノ狀態等ヲ十分ニ究メ、
單ニ我々ヲ裁クト云フバカリデナク、一歩飛躍シテ其ノ根源ノ排除ニ御盡力願ヒタイ。
我々ハ刑務所ノ中ニ在ツテ世ノ中ノコトハ判ラヌガ、
國家ハ今非常ナル危機ニ直面シテ居ルコトガ窺ガワレル。
即チ事件直後ノ軍部ノ態度ヲ持續シテ居レバ
今頃ハ諸制度モ着々トシテ改マリアルモノト思ハレルガ、
中途デ態度ヲ一變シタ爲、其ノ時カラ陸軍ハ非常ナル苦境ニ立ツニ至リ、
旧勢力ハ着々トシテ其ノ力ヲ盛リ返シ、事件前ノ狀態ニ復シツゝアルモノト思ハレル。
裁判長殿ハ軍ノ要職ナル職ニ在ラレルモノト思フカラ、
此等ノ點ヲ十分御考慮ニナツテ善処セラレタイ。
判士長  今ノ申出ハ公判ト關係アルモノト關係ナキモノトアルカラ、承リ置ク

對馬  自分ハ村中サントハ反對ニ、成ルベク公判を急イデ貰ヒタイ。
法務官殿ノ取調狀況を拝聽シテイルト、判リ切ツタコトヲクダクダト訊問シテ居ル様ニ思ハレル。
コンナニグズグズシテ居ルト天誅ガ下ルト思フ。
判士長  承リ置ク

澁川  村中
サンハ急ガズニト云ひ、對馬ハ急ゲト
全然反對ノ要求ヲシテ居ル様デアルガ、結局同ジコトヲ言ツテ居ルモノデアル。
兩人ノ言ハントスル所ハ
何レモ此ノ事件ノ根源ヲ爲セル社會惡ヲ究明シテ之ヲ除クコトニ努力シナケレバ、
共産主義者ニ乗ゼラレテ國家ガ危ナイト言フニアリト思フ。
裁判官各位ノ御考慮御盡力が願ヒタイ。

判士長  承リ置ク


村中孝次 
午後一時三十分再會ノ劈頭、
村中ハ昨日ノ陳述中遺漏ノ點ヲ補充シタシトシテ次ノ如ク陳述セリ
(イ) 
昨日蹶起ノ目的ニツキ、我々ハ統帥權干犯乃至國體破壊ノ元兇ヲ殪スノガ目的デ、
昭和維新ニ進ムノハ希望ニ過ギナイト述ベタガ、少シ言葉ノ足リナイトコロガアル。
ソレハ、統帥權干犯乃至國體破壊ノ元兇ヲ殪スコトハ、
其ノ事自身ガ維新ノ第一歩デアルト考フルベキデアルト思フ。
(ロ)  我々ハ大臣官邸ニ宿營シタガ、
アレハ、アンナ立派ナ建物ヲ遊バセテアルコトヲ一般ノ者ニ知ラセル爲ニモ
必要デアルト云フノデ山口一太郎大尉ガ配宿ヲシタノデ、
之ヲ使用シタ迄デ、占據シタモノデハ決シテナイノデアル。
(ハ)  奉勅命令ニ反抗シタト云フガ、
我々ハ奉勅命令ガ出サウダト云フコトハ聞イテ居タケレドモ、
最後迄奉勅命令ノ傳達ハ受ケテ居ナイ。
(ニ)  下士官以下ハ命令デ引張リ出サレタト云フケレドモ、決シテ無理ニ引張リ出シタモノデハナイ。
何レモ昭和維新ノ必要ヲ認メテ出タモノデ、純然タル同志ノ團結デアル。
自分ノ接シタ狀況デハ、下士官以下中ニハ我々以上ノ決意ヲ有スル者モ少ナクナカツタ。

午後四時二十五分再開ノ際、
村中ハ健康上ノ都合ニ依リ休憩ヲ申出デタル爲、

磯部淺一ノ訊問ニ移リタルガ、
磯部ハ潑刺タル元氣ヲ以テ次ノ如ク檢察官ノ公訴事實ヲ反駁スルト共ニ、
裁判官ニ喰ツテカカリ、廷内ニ緊張ノ空氣ヲ漂ハセタリ。

部淺一

(1)  察官ノ公訴事實ハ我々靑年將校ノ眞精神ヲ没却埋没シアリ。
即チ、我々蹶起ノ眞精神ハ全然公訴事實中ニ現ハサレアラズ。
(2)  國憲ニ反抗セリトノ言葉ヲ使用シアルガ、我々ハ斷じて國憲ニ反抗シタルモノニアラズ。
國體破壊ノ元兇ヲ殪シタリトテ國憲反抗ト謂フベキニアラズ。
大臣官邸ニ宿營シタリトテ國憲反抗ニアラズ。
首相官邸ノ占據ヲ以テ國憲反抗トナスガ、
國體破壊ノ元兇ヲ殪シテ其ノ儘其処ニ據リタリトテ、何ガ國憲反抗ナリヤ。
我々ハ國憲反抗ノ解釋ニ苦シムモノナリ。
(3)  奉勅命令ノ違反、之亦奉勅命令ノ發セラレタルコトヲ知ラザル者ニ違反ノ事實アル筈ナシ。
我々ハ決シテ於上ニ對シ奉リ弓ヲ引ク者ニアラズ。
我々ヲ賊軍ニスルハ奇怪ナリ。
(4)  兵ハ將校ニダマサレテ出動シタリト云フモ、斷ジテダマシタル事實ナシ、全ク志ヲ同ウスル者ノ團結ナルコトヲ斷言ス。
(5)  我々ガ小藤大佐ノ隷下ニ入リタルコト、續イテ戒嚴部隊ニ編入セラレタノコトハ、
公訴事實ニ全然現ハサレアラズ。
以上五点、檢察官ノ公訴事實中承服出來ザル點ナリ。
玆ニ於テ判士長ニオ願イガアル。
斯カル公訴事實及豫審ノ取調ヲ基礎トシテ取調ヲ受クレバ、反亂罪トシテ處斷セラルルハ必然ナリ。
先ヅ我々ガ義軍ナリヤ否ヤヲ明カニシテ、然ル後ニ取調ヲ進メラレ度シ。
( ト 半士長ニ詰ヨリ、法務官ヲシテ答ヘシムトノ判士長ノ返答ニ依リ、法務官トノ間ニ押問答アリ 
結局、檢察官ト裁判官トノ立場ノ異ナルコトヲ論サレテ承服ス )
・・・以上  昭和11年5月4日、第四回公判 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・