あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

磯部淺一、訊問調書 ・ 眞崎大將の事 『 實ハ 南ト永田ノ策謀デネ 』

2020年07月20日 08時28分07秒 | 反駁 1 西田税と北一輝、蹶起した人達 (公判狀況)


磯部淺一 
永田事件ニ於テ、統帥權干犯ノ事實アリト信ズルニ至ツタ経緯、

蹶起靑年將校と眞崎大將及平野少將トノ關連
竝ニ柳川乃至眞崎内閣説ヲ生ムニ至ツタ由來ニツキ述ベヨ
昨年十二月末、
同志 村中孝次 及 小川三郎ノ三人デ、古荘陸軍次官ヲ其官舎ニ訪問致シ、
「 今回眞崎大將ガ敎育總監ヲ罷免セラレマシタコトハ
統帥權干犯ノ事實ガアル様デスガ、之ヲ如何ニ見テ居ラレマスカ 」
ト 御尋ネシマシタラ、次官ハ、
「 眞崎大將ガ辭表ヲ提出シテ居ラレタラ、統帥權干犯ト云フガ如き事實ハナイダラウ。
眞崎大將ハ御自身カラ辭表ヲ御出シニナッタノダ 」
云フ御答ヘデシタ。
私ハ翌日カ翌々日ニ、小川三郎ト共ニ眞崎大將ヲ御宅ニ訪問シ、御訪ネシマシタラ、
「 辭表ハ最後迄出サナカッタ 」
ト云フ御答ヘデシタ。
小川三郎ハ、此時ハ演習視察カ何カデコチラニ出張シテ居リマシタ。
此時ハ二、三十分デ辭シマシタガ、外ニハ別ニ話ヲイタシマセン。
本件ガ統帥權干犯デアルト申スコトハ、
昨年七月二十日、當時早稲田大學ノ服装將校デシタ平野少將ニ、其オ宅デ私ハ直接ニ聽キマシタ。
此時ノ話ノ内容ハ、
當時怪文書ガコレニツキ出マシタガ、ソレト同様ナコトデアリマス。
即チ、軍閥、重心閥ノ畫策ニヨリ眞崎大將ハ敎育總監ヲ罷免サレタト書イテアリマス。
尚、此時、平野少將ノ談話ノ内容ヲ申上ゲマスト、
⑴、七月ノ統帥權干犯事情ハ、林、永田兩將軍ノ私情ニテ爲サレタ疑惑ガ深ク、
 參謀總長宮殿下ニ對シ、南、林、稲垣三郎、建川、永田等ガ、眞崎派ヲタタキノメスタメニ策謀シタラシイ。
此策謀ノ一端ハ、七月十二、三日頃、三長官會議ノ席上ニモ表ハレテオル
即チ、席上、殿下ハ、
「 眞崎大將ハ事務ノ進捗ヲ妨害スルノカ 」
ト云フ キツイ御下問ガアリマス。
⑵、七月十六日、林大臣ハ三長官會議決裂後、自動車ヲ驅リ葉山ヘ參ラレ、上奏サレタノデス。
 其内容ハ甚ダ畏イガ、想像シマスニ、三長官會議ノ協議不成立ノ事情掩蔽えんぺいシ、
眞崎大將ヲ辭メサセネバナリマセント云フコトデアッタコトヲ考ヘマスト、
統帥權干犯ノ事實ハ明瞭デアリマス。
⑶、更ニ疑惑ノ根據トシテ、林、永田、軍務局課員二、三人 及 根本大佐等ガ、
 會議三、四日以降ノ言動ニツキ、歸納スルコトガ出來マス。
七月十日前後、此人達ノ言動ニ基キ、其思想ニツキ併セ判斷シタノデアリマス。
永田少將ノ統制思想ハワガ國ニハ相容レヌモノデアリマス。
之ニ關シ、七月十日か十二日ニ、
陸相官舎ト思ヒマスガ、林閣下ト眞崎閣下ノ問答内容ハ次ノ様ナモノデス。
眞崎大將
「 統制ノ中心思想ハ何デアリマスカ。
 私ハ國體精神カラ發スル軍人精神ニ統一セナケレバナラナイト信ズル。
ソレハ相當幅ノ廣イモノデアル。
此ノ廣イ幅ノ内ニ色々ノ人ヲ含ンデ居ルガ、
我國體ニ背カナイ人デアルナラ皆許シテヤルベキモノデアルト考ヘル。
此意味デ秦中將ヲ第二師團長カラ辭メサセルコトハイケナイト信ズル 」
右ハ當時問題ニナッテ居リマシタ、秦中將ヲ待命ニスルト云フ林大將ノ案ニ對シ、
眞崎閣下ガ極力反對サレテ爲サレタ言葉デアリマスガ、
之ヲ聽カレタ林閣下ハ 「 ギャフン 」 ト 參ラレ、
遂ニ本音ヲ吐カレ、
「 實ハ南ト永田ノ策謀デネ!」
ト 申サレタ。
恐ラク林陸相ハ永田少將ヲ伴ヒ満鮮視察ニ參ラレタ時、南閣下トノ間ニ爲サレタ策動ト思ヒマス。
眞崎閣下ハソコデ、
「 ソンナラ、永田ヲ馘首スレバヨイデハナイカ 」
「 永田ハ秦ヨリ惡イコトヲシテ居ル。其證據ハ私ガ持ツテ居ルカラ見セテヤラウカ 」
ト 申サレマシタ。
以上、⑴、⑵、⑶ 共、私ハ平野少將閣下ヨリ聽キマシタ。
私ハ之ヲ信ジマス。

次ニ申上ゲマスノハ、
眞崎大將ハ靑年將校ニ會フノヲ大變嫌ツテ居ラレマシタ。
私ガ小川三郎ト共ニ前述ノ如ク眞崎大將ヲ訪問イタシマシタ処、
閣下ハ 「 直接俺ノトコロヘハ來テハイカナイ 」 ト 申サレマシタ。
軍ノ統制ヲ紊スカラトノオ懸念カラト思ヒマス。
平野少將ガ九州ヘ赴任セラレマシテカラハ、眞崎閣下ノ近況ヲ知ルコトハ出來ナクナリマシタ。
眞崎閣下ハ閣下トシテ獨歩シテ居ラレ、統帥權干犯ヲ主因トシテ完全立ツタ相澤公判ニハ、
私共ヨリ以上ニ其持ツ使命ニツイテ眞劍デアッタト思ヒマス。
私ハ何モカモ、刀ノ外ニハ解決ノ望ミハナイト信ジ、刀ヲ抜イタノデアリマス。

次ニ、早淵中佐ト
私の關係ハ、私ガ近歩四ノ次級主計ヲシテオリマス時、
中佐ハ經理委員主座ヲシテオリマシタノデ、知ッテオリマス。
本事件關係デハ何モ關係ハアリマセン。
又、事件前後 中佐殿ヲ訪問シタコトモ、會ッタコトモアリマセン。

次ハ、眞崎大將ト蹶起將校トノ關係デアリマス。
閣下ハ、靑年將校ヨリ尊敬サレテ居リマシタ。
巷間ヨク眞崎大將ニヨリ煽動ヲ受ケテ起ツタト申シテ居リマスガ、之ハ靑年將校ヲ見縊くびタ話デアリマス。
私共ノ行動ハ信念ニヨリ決行シマシタノデ、煽動ニヨリヤッタノデハアリマセン。
閣下ノ偉イ処ハ斷行力ガアリ、思想、信念ニツキ一致シタ點ガアルカラデアリマス。
將軍ガ恰モ黒幕ノ様ニ疑惑ヲ受ケツゝアルコトハ、洵ニ御氣ノ毒デアリマス。
私共ガ煽動ニヨリヤッタトシタラ、自主的ニ零デアリマス。
全國ノ靑年將校ガ眞崎閣下ヲ見ル処ハ、期セズシテ一致シテ居リマス。
平野少將ヲ通ジテ見タ眞崎大將モ同ジデアリマス。

次ニ、私共ガ眞崎大將ニ時局収拾ヲ一任シタイト申ス希望ニツキ、
大分間違ッテトラレテ居ル様デアリマスカラ、一言申シ上ゲマスト、
時局収拾ノ實行力ノアルノハ閣下丈デ、外ニナイト考ヘマシタ。
宇垣サントカ南サンデハ駄目デアリマス。
實ハ蹶起後スグニ、參謀本部ノ意嚮トシテ 榊原大尉ガ私共ニ傳ヘマシタトコロハ、
皇族内閣トカ、平沼内閣デハドウダト申シマシタガ、
皇族内閣ハ我國體ニ容レマセン、平沼内閣デモ 若シ出來タラ私ハスグニ襲撃シマスト申シマシタ。
眞崎大將ニ時局ヲ収拾シテ頂キタイト申シマスノハ、強チ首相ニナッテ頂キタイト申ス意味デハアリマセン。
三長官ノ一人ニナッテ頂イテ、早ク此時局ヲ収拾シテ頂キ、
爾後ノ処置モ、私共ノ希望スル様ナ社會ニナシテ頂ク様ニオ骨折リヲ願フトイフ意味デアリマス。
首相ニナッテ頂ケバ、或ハ尚更ヨカッタノカモ知レマセン
此意味ハ、蹶起直後ノ私共ノ心境ガアマリニ衝動ヲ受ケテ居リマシタノデ、
ヨク私共ノ眞意ガ川島閣下ニ徹底致シマス様ニ御達シスル事ガ出來センデシタ。
ト 申シマスノハ、丁度、私ト村中 及 香田ガ大臣ト對談シテ居リマスト、
坂井中尉ガヤッテ来マシテ、
「 只今、完全ニ渡邊大將ヲ殺シテ來マシタ 」
ト 香田ニ報告シ、外ニハ其部下ガ血ヲアビタ絨衣袴ヲ着テ、トラック上デ銃ヲ上ニ擧ゲテ、
「 萬歳 」 ヲ聯呼シテ居リ、私共ノ心モ殺気ダッテ落着カナカッタカラ、
明確ニオ傳ヒスルコトハ出來マセンデシタ。

次ニ、私共ノ心裡ヲ述ベマスト、
柳川閣下ト申スノモ、同様ノ誤傳デアリマス。
之ハ二月二十二日、三日、村中ト私ガ山口ヲ訪問シマシタトキ、
時局収拾ハシックリ思想ノ一致シタ人ノ一人トシテ、出タ名前デアリマス。
此ノ運動ニ没頭シテ居リマスト 或ル信念ヲ持チ、外ノ人カラ見レバ其心裡狀態ハオ判リニナリマセン。
結局、相澤中佐ト同ジデ、法律ヲ超越シテ有スル一ツノ精神界ニ棲ミ、
神ノ様ナ氣持ガ致シ、人ヲ殺スノモ ナンデモナイノデス。
維新ト申ス事ノ内ニハ、凡有難業苦業、流血、投獄、人ヲ訪問シテ叱ラレテ歸ルト云フ様ニ、
斯カルコトハ革命家ノ朝飯事デアリ、少シモ苦痛トハ致シマセン。
私共ノ決行スル時ノ考ヘハ、
「 アトハ野トナレ、山トナレ 」 ト 申ス様ナ捨鉢的ナモノデナク、或一ツノ望ミヲ持ツテオリマス。
破壊後ノ建設ハ誰カ適當ナ人ガ出テ、収拾シテ下サレバヨイ。
其適當ナ人トハ 眞崎大將ヲ指スモノデハナク、實行力ノアル人ナラ誰デモ良イノデアリマス。

次ニ、私共ガ蹶起迄如何ナル処置ヲ執リシヤトイフコトヲ申上ゲレバ、
如斯クシテ絶ツリ外ニ方法ガナカッタコトガ判ルノデアリマス。
私共ハ、幾度カ上司ヤ要路者ニ各種ノ手段ヲ盡シテ來マシタ。
五 ・一五事件、神兵隊事件、三月事件、十月事件ト幾多ノ尊イ犠牲ヲ払ツテ來タノデアリマスガ、
更ニ更ニ要路者ハ反省ノ實ガ擧ラズ、軍當局ハ靑年將校ト全ク離レテ存在シテ居リマス。
之ヲ明治維新史上ノ大名ハ志士ヲ中心ニ討幕策ヲ練ツタコトト比較シマスレバ、甚ダ遺憾デアリマス。
今日ノ靑年將校ガ政治ヲ感ジ、上司ニ意見ガマシイ事ヲ申セバ、直ニ処罰ヲ受ケル。
例ヘバ、渡邊大將ニ天皇機關説ニツキ忠告申上ゲレバ、重謹愼ヲ喰フトイフ事情デアリマス。
維新運動ヲ阻害シ、軍淨化ヲ妨ゲルモノハ軍幕僚デアリマス。
之ヲ倒サネバ日本ハ直リマセン。・・・「おい、林、参謀本部を襲撃しよう 」 
私ハ參謀本部ト陸軍省ノ全幕僚ヲヤッツケル覺悟デアリマシタガ、外ノ同志ノ爲メ 出來マセンデシタ。
僅カニ片倉ナドト申ス小者ヲヤリマシタノハ氣ノ毒デアリマス。

次ニ、日本ガ現在如何ニ維新ヲ必要トスルカノ一例ヲ申シマス。
靑年將校ガ兵ニ話ヲシマスト、終ツテカラ敎官ノ後にゾロゾロ澤山ツイテ來テ、
今ノオ話ヲモウ少シ聽カセテクダサイト熱心ニヤッテ參リマス。
今回ノ事件ヲ下手ニ処置セラルゝナラ、全國的ニ庶民運動ガ起リマス。
兵ニ對スル同情ハ、同年輩ノ士官候補生出身ノ將校ノミガヨク判リマス。
私共ガ事件決行後、何故自決セナカツタカトイフ話ヲヨク聞キマスガ、
ソンナツマラヌ考ヘハ私ニハ毛頭アリマセン。
世人ハ稱賛スルデセウ。
然シ、私共ハ誉メラレ稱ウトカ、
ソンナ下ラヌ考ヘデ國家改造運動ニ志シテ居ル者ハ有リマセン。
二月二十八日ニ、同志ノ者ハ自決シヤウト申シマシタガ、私ハ之ヲ中止サセマシタ。

山口一太郎大尉ニツキ申上ゲマスト、
一體に、私共ハ三十三期以前ノ人ハ之ヲ別格ト申シテ居リマス。
山口大尉ハソレデ、其任務ハ軍上層部ニ對スル工作ヲ担任イタスノデアリマス。

外ニ申立ツコトハナイカ
靑年將校ト眞崎大將ハ結託シテ居ルト軍部内ニ想像シテ居ル人モアルト思ヒマスガ、
若シ 此考ヘ方ガアルトシタラ、
今ノ軍部ハ維新階級デハナク、佐幕階級デアルト申スコトガ的中スルト思ヒマス。
即チ、眞崎大將、荒木大將 両閣下 并ニ 靑年將校ハ、
從來、皇國ノ維新、昭和維新ノ長州閥、最モ強烈ナ維新派デアリマス。
惡口ヲ私共ニ向ケルモノハ、其思想信念ニ於テ 支配階級ト同ジモノデアリマス。
佐幕派ニ好意的ナ階級デアリマス。
斯カル空氣ガアル様デシタラ、日本維新ノ爲メ 由々敷 問題デアリマス。
コノ思想ガ軍部内ニアレバ、私共ハ百方手段ヲ盡シテ是正致シマス。
陳述人    磯部淺一
昭和十一年四月十三日