あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

安藤大尉 「 吾々は重臣閣僚を仆す前に軍閥を仆さなければならなかったのです 」

2019年07月24日 21時08分02秒 | 安藤部隊


帰順する蹶起部隊

二月二十九日
私は午前六時半頃と思ふ頃起きて見ると、
安藤、香田両大尉も起きて居たが非常に緊張した顔をして居りました。
私は愈々最後の一戦を交えるのではないかと思ひ
安藤大尉の処へ行き
今一度申し上げたい事があるが聞いて戴けますか
と 云ひますと 安藤大尉は暫く無言で居たが、
「 今となっては、何を聞いても仕方がない、何事も言うな 」
と 云って居りました。
私は止むなく引き下りました。
安藤大尉は
「 兵は各部屋へ、自分達は此処でやる 」
と 云ったら ホテルの者は
「 此処で大丈夫ですか。
女達が恐がって居りますから、弾丸は飛んで来ないでせうか 」
と 云ったら、
大尉は笑ひながら
「 心配はない 」
と 云ひ、又外へ出ました。

私は其内に顔を洗って各部屋を廻ったりして、
再び元の部屋に帰って見ると、安藤、香田両大尉は居らず、
テーブルの上に、一枚の原稿用紙が裏返しにして居たのを見ると
命令書と思はるるものであり、
良く記憶しませんが、各部隊は首相官邸と新議事堂へ引き上ぐべし、
猶一ヶ月は持ちこたへる事が出来る。
〇〇部隊は急速に食糧の蒐集給与に当るべしと云ふ意味の事が書いてありました。
私は此れを見て愈々最後の一戦の覚悟と感じ、
外部へ知らせ様とし、ホテルの電話を探しました処が電話は線が切れて居り、
或は器物なんか一括入れられてあり、這入れる事が出来ませんでした。
私はホテルを抜け出し自動電話をかけ様と思ひましたが、包囲軍の兵士が一ぱいで近寄る事が出来ません。
止むなく連絡を断念し帰りましたが、
附近の人家は全部避難したらしく、人影も見えず、静かでした。
ホテルの前を再び厳重な誰何を受け元の部屋に帰りましたが、安藤大尉の姿は見えませんでした。
ホテルに這入って右側の室には近所から徴発したのか
白米袋、醤油、味噌、木炭、漬物が沢山あり、兵士の話では、酒もある様でした。

私は午前十時頃と思はれる頃、
三階から外を見ると、
電車通りも行動隊の兵士が ( 白襷を掛けて ) 整列して居って、
階下に下りて来て先程の部屋を見ると
安藤、香田の両大尉及下士官、七、八名も居り
緊張して居り安藤か香田に何か大声で話をして居りました。
安藤大尉は
「 自決するなら、今少し早くなすべきであった。
全部包囲されてから、オメ オメと自決する事は昔の武士として恥ずべき事だ。」
「 自分は是だから最初蹶起に反対したのだ。
然し君達が飽迄、昭和維新の聖戦とすると云ふたから、立ったのである。」
「 今になって自分丈ケ自決すれば、それで国民が救はれると思ふか。
吾々が死したら兵士は如何にするか。」
「 叛徒の名を蒙って自決すると云ふ事は絶対反対だ。自分は最後迄殺されても自決しない。」
「 今一度思ひ直して呉れ 」

と テーブルを叩いて、香田大尉を難詰して居りました。
居合せた、下士卒は只黙って両大尉を見詰めて居るばかりでした。
香田大尉は安藤の話をうなだれて聞いて居たが暫らくすると、頭を上げ
「 俺が悪かった、叛徒の名を受けた儘自決したり、兵士を帰す事は誤りであった。
最後迄一緒にやらう、良く自分の不明を覚まさせて呉れた 」

と 云って手を握り合ひました。
安藤大尉は、
「 僭越な事を云って済まなかった。許して呉れ 」
と 詫び

「 叛徒の名を蒙った儘、兵を帰しては助からないから、遂に大声で云ったのだ。
然し判って呉れてよかった。最後迄、一緒にやって呉 」

と 云ってから
「 至急兵士を呼帰してくれ 」
と 云ったので、
香田大尉は其処に居た下士に命じ、呼戻させ、又戦備をつかしめたり。

其内に 「 タンク 」 の音がしたので安藤大尉始め皆電車通りに出て行きました。
私は 「 ホテル 」 の中で見て居ると
安藤大尉始め下士卒約三十名は一斉に電車線路に横臥してしまひました。
私も出て見ると、赤坂見附方面から 「 タンク 」 が続いて進んで来ました。
私は 「 タンク 」 の全面約二十間計の処で見たのですが、
前面に
「 今からでも遅くない。下士、兵卒は早く原隊へ帰れ云々 」
と 書いた帰順勧告の貼紙が付いてありました。
安藤大尉は兵士に向ひ、
「 タンクに手向ひするな、皆此処でタンクに轢殺されろ 」
と 横臥の儘命令して居りましたが
タンクは其為か赤坂方面へ順次に引き返して行きましたが、
其時タンクから、謄写版刷の帰順勧告のビラを沢山撒布しました。
安藤大尉はそれを拾って見て非常に憤慨して居りました。

タンクが帰って暫らくすると
山王ホテルの前の路地から、十数名の兵士を率ゐた将官 佐官の様な人が来ました。
電車通り迄来た時に、
安藤大尉はそれを見ると既に抜力して居た軍刀を閣下の前に出し、
「 閣下、私を殺して下さい 」
と 云って道路に坐してしまひました。

閣下らしい人は、
「 さう昂奮しないで立って刀を納め自分の云ふ事を聞いて呉れ 」
と 数回云ひました。
が 安藤は、立ち上がったが刀を納めず、
「 今タンクから斯う云ふビラを撒いたが、
此中に、下士、兵卒とあるが、将校と兵卒の間に如何なる相違があるか 」
「 将兵一体の教育をして居るのが、日本軍隊の筈である。」
「 其様なビラを以てして我皇軍が動揺すると思って居られるか。
あなたは左様な精神で皇軍を教育して来られたのか。」
「 今や満州の地に於いて隣邦と戦端を開かれ様として居るが、
若し開戦された場合斯様な宣伝に依て動揺する様な事があったら如何なされるや。」
「 あなたは、三聯隊の兵士を左様な兵士だと思って居りますか、
左様な人の云ふ事は私は信ずることが出来ませんから、何事も聞く訳には行きません 」
と 云ふと 閣下らしい人は、
「 左様な事ばかり云って居たのでは話にならない 」
と 云って居りました。
安藤大尉は
絶対に聞く事は出来ません、
話があるなら、斯様な事態になる前になぜ早く話してくれなかったか、
全部包囲し、威嚇されて屈伏する訳には行きません。
話があるなら、包囲を解かれてから来られたい。
私達は間違って居りました、聖明を蔽ふ重臣閣僚を仆す事に依て
昭和維新が断行される事と思って居りました処、
吾々は重臣閣僚を仆す前に軍閥を仆さなければならなかったのです。
吾々は何等の野心なく、只陛下の御為に蹶起して導いた処、
戒厳令は昭和維新の戒厳令とはならず、
却て自分達を攻める為のものとなって居るではありませんか。

「 昨夜から自決せよと云って来て居られるが、安藤は自決しません、
自決せよと云ふなら殺して呉れ 」
と 云って軍刀を前に出しました。
すると 佐官の人が安藤大尉の傍に来ました。
安藤大尉は、
「 あなたは何故斯うなる迄放って置かれたか、斯様な事態になったのもあなたにも責任がある。
安藤は絶対に自決しません。だから殺して下さい 」
と 云ふて軍刀を突き出しながら、路上に坐りました。
佐官の人は
「 左様か。成程自分も悪かった。お前が左様云ふなら、お前を切って、自分も死ぬ 」
と 云ひながら、
此処で両人の間に切り合ひが始まり層になりました。
双方の兵士も各四十名計り互に銃を向け合ひ正に危機一髪と云うふ状態になりました時、
私は先に行動隊の或る兵士から預って持って居た、
「 天下無敵尊皇討奸 」 と書いた、日の丸の小旗を持って、
安藤大尉の傍に居りましたが、此状況を見るや三尺計りの間に飛び込み、手を広げて、
「 射ってはいけない、切るなら自分を切ってからやって呉れ 」
と止めました。
此為か、双方の気合いが挫けた様でありましたが、
瞬間双方の兵士も銃を引き、双方の将校を引き離しました。
斯様な情景があった後、包囲軍の将校は引き上げて行きました。
包囲軍の警戒線では御苦労様と云ふて通して呉れましたが、
三ケ所計り通り過ぎた処で、其将校達に追ひ付きました。
私は其処で、
「 何卒あの人たちを殺さないで下さい 」
と 云ひましたら、将校達は
「 安藤は絶対に自決する事の出来ない男だ 」
と 云ふて相手にして呉れません。
私は
「 イヤ、自決します。それは安藤に勝たせれば自決します。」
「 安藤に勝たせると云ふ事は武器で勝たせると云ふのではなく、
安藤等の今回の蹶起が尊皇義軍であると云ふ事を認めると云ふ事であります。
それが認められれば安藤は自決します 」
と 云ひましたら、
「 イヤ自決出来ない男だ 」
と 云ふので、私は
「 それがせ認められれば、誓って自決させて見せます。
何卒彼等の忠義に依た楠勢を見殺しにしないで下さい 」
と 申しましたが将校達は之に答へません、
私は止むなく、
「 此事をお願ひします 」 と 云ふて帰って来ましたら、
安藤大尉は未だ電車通りに居りましたので
私は、「 少し休みませう 」 と 云って
安藤と共に山王ホテルに入り、三階の表の見える部屋へ這入りました。
安藤大尉は従って来た兵士と食事をして室外に出た後
私に向ひ、
「 町田さん、今の行為は芝居して見て居りましたが、間違って居るでしょう 」
と 云ひました。
私は、「 あーする様に他は無かったでせう 」 と云ひました。
更に私は、今包囲軍の将校に面会して来た事を話しましたら、
安藤大尉は、
「 イヤ、絶対に自決しません 」
と 云ひ 金鵄勲章を貰ってオ酒でも飲みませうと笑って話しました。
私は安藤大尉に対し
「 尊皇の蹶起であることが認められれば自決すべきでせう 」
と 云ひましたが、安藤は之に対し何も答へませんでした。

・・・・中略
私が議事堂から ( 首相官邸へ ) 帰って来た時には
包囲軍の大隊長が行動隊の兵士に向って、
「 只今勅命が降った、
陛下はお前達を皇軍と仰せられた、此から俺の指揮に従って聯隊へ帰るのだ 」
と 説得して居りました。
其処へ栗原中尉が機関銃を担はせて帰って来ましたが、下士兵を集める事を命じました。
私は如何するのですかと聞きましたら 聯隊へ帰すのだ、と云って居りました。
私は首相官邸の玄関まで行ったのですが、中へは這入りませんから、中の様子は知りません。
私は官邸の裏口から帰りましたが、此頃飛行機が飛んで盛んにビラを撒いて居りました。

時刻は丁度午後一時頃であったと思ひます。
私は食事を首相官邸へ届けて山王ホテルへ戻って来ましたら、ホテルの前には兵士が整列して居りました。
香田大尉に出合ひながら山王ホテルに入ると、
応接間の隣りの部屋に安藤大尉を囲むで大勢の下士卒が泣いて居りました。
安藤大尉に取りすがり、死なないで下さい。と云って居りました。
私は安藤大尉に首相官邸へ行き、
栗原中尉に会ひ食事を届けた事及栗原中尉の動静を告げました処、
安藤大尉は、私の手を握って、
「 僅か計りの知り合ひなのに色々と御苦労様でありました。厚く御礼を云ひます 」
と 云ひ、
「 然し最早これで万事お終ひです。跡の事を宜しくお願ひします 」
と 云って居りました。
私は
「 それでは御別れします。なんとかして包囲の外へ出ます 」
と 申しましたら、安藤大尉は
「 それでは吾々の蹶起の趣旨、及吾々の行動を誤りなく世間の人に伝へて貰ひ度い 」
と 云ふて居りました。
私は山王ホテルを出ましたが、
包囲軍が厳重で中々外へ出られませんので、
安藤が帰順したいと云ふ事を一応電話丈でも掛け様と思ひましたが、
附近の電話は皆不通になって居りましたので、それも出来ず、再び山王ホテルに戻りました。
すると、安藤大尉は部隊の兵士をホテルの前に整列せしめ、兵士に向ひ、
「 二十六日頃より之れ迄団結してやって呉れた、此の団結を持って行っては、天下無敵である。
お前達は此際如何なる事があっても早まった事をしてはならぬ。」
「 お前達の命は満州へ行く迄此安藤が預って置く。陛下のお為めよく働いてくれ。」
「 中隊は之より靖国神社を参拝して原隊へ帰るのだ 」
と 云ふ様な訓示をし
最後に中隊の軍歌を唱ふと云ひ 全員興奮の中に暫らく唱ひ続けて居りました。
安藤大尉は其内に、
二間計り兵士の前を後退し曲れ右をしながら、
取出した拳銃で自分の喉を打て仰向に倒れました


町田専蔵の憲兵隊聴取書
昭和史発掘11 松本清張 二・二六事件 五 から