あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

中村軍曹 「 昭和維新建設成功の日 近きを喜びつゝあり 」

2019年07月02日 12時42分25秒 | 安藤部隊

只今 ( 二十七日午前八時四十分 )
三宅坂警備司令部前に於て陣地占領中なり。

昨二十六日午前三時半同志と共に聯隊出発、
我等の襲撃目標たる鈴木侍従長邸宅を一挙に襲ひ之を射殺せり
 (東日記事は重傷とあるも最早死に至りたるものと判断す)
爾後三宅坂均東京警備司令部、陸軍省等の陸軍中央部を囲んで警戒に従事中、
一同元気益々旺盛昭和維新建設成功の日 近きを喜びつゝあり

午前九時頃より
通行人一切の通行を許し 電車も開運す、然し事件は未だ結末を告げず。
更に第二第三の計画の断行に向かって突撃するやも図り知れず。
帝都は今方に戦々恐々たるものあり。
益々暗黒化せん。
小生未だ無事、皇国の真の姿顕現のために更に一段の努力を惜まず。
警視庁は襲撃前完全に之を占領しあり、
二昼夜に亘る不眠不休の活躍にて、疲労其の極に達せり、
何事も陛下のため国体擁護のためなりと信じて行ふ行動なり。
安心あれ。
戒厳令の布告されるまで
二・二七前五時  三宅坂にて
中村軍曹手記

一、其の前後
丁度其の日は初年兵の基本射撃第三柊習会のため、
三、四〇  聯隊出発 舎前にて実包装填
四、五〇  鈴木邸到着約十分間区処其の他に用ふ
五、十五  鈴木大将を射殺し一路陸軍省に引く上ぐ
六時二十分陸軍省に於て中隊長趣意書を朗読す、
七時頃より降雪となる、三宅坂に別紙要図の如く配置を以て配置に就く。
夕刻より戦時警備に就く。
一、夜復哨及下士哨を以て警戒に当る
議事堂に向ふ27、十二時三〇分
十時頃より警戒をゆるめて将校も地方人もみんな出入を許可したので、
人通りのめっきり絶えた三宅坂も真里になって人の流れが始まった。
撤去して寺内元帥銅像前に整列すると民衆は矢鱈に近付く、
之を制止すると警官どなりつける、班長連流石に異状を呈した、
見つければどなりつけるが其れでもねずみの様に一寸飛出してカメラにする者も見つけた。
喇叭の声勇ましく威武堂々と議事堂へ向かった、
歩一の一部は雪の議事堂庭へすでに繰込んでゐる、
中隊長は叉銃を命じて昼食のため解散した。

吾々の行動は依然として有利に進展しつゝある、
この際精神を弛めたならば折角の行動も水泡に帰す、
逆賊となるのも勤王の志となるのも今のみ、此の腹一つである。
もう暫らくの間である。
是非最後まで頑張りをつゞける様にと云ふ訓示を与へて解散した。
尊皇討奸と云ふ旗を何時の間にかこしらへて、
一班でたき日をしてゐる所へ押立ててゐるのが眼にたった。
渡辺軍曹が之を引抜いて塀の外へ垂れ下がる様に竿で立てた。
民衆が何時の間にか寄ってたかって拍手をしてゐる者、
頓狂な声を上げる者等、見る見る中に黒山の様になった。
我々のために絶大の援助をしてゐる様に感ぜられた。
日は何時の間にか暮れて三四日頃の月がおぼろに照り映へてゐた。
美麗な議事堂の建物が空際にくっきりと鮮やかに浮び出てゐた。
外は見物の民衆や慌たしい人々で、往来も相当頻繁だ。
午後七時、
小藤部隊は其々二晩の疲れを休ませるべく配宿につく事になった。
我が六中隊は赤坂の幸楽に急ぐ。

 
二米ばかりある尊皇討奸と大書した幟を押立て喇叭の音も勇ましく幸楽へ着き、
装具を取り、巻脚胖を取る事が出来た。
歴史始って以来の大事件大事業九分九厘までは成功の徴が見えた。
八時にはみんな柔らかい床の上にのんびりすることが出来たが、
今夜はまたまた余程警戒を要するものがあった。
MGと第小隊で約百名余這入った。
周囲も充分の地形、偵察をして置いた。
俺の分隊のねたすぐ裏はこの家の一番と思われるところ、寝る時には充分用意をして置いた。
着剣に殆んど全員に対してやらせておいた。
二十八日午後〇時二十分、形勢逆転せんの形勢見えしため、
安藤中隊長は遂に戦闘準備を宣し、一同勇躍して出陣に就く、襷掛けの悲想な出陣だ。
兵隊との別れの握手、
実に見る者をして涙ぐましめたり、民衆は之を見んものと道路を埋めてゐる。

折しも雪はチラチラと降りしきり、悲壮な最後の出陣に相応しき者があった。
安藤中隊長も最後の握手を兵隊達と交わした。
俺の分隊の血旗「尊皇討奸」を我々に元気づけて呉れた。
出陣せんとした折午後四時吉報入る。
皇族会議の結果、
我々の勤皇の行動を認めるとの中隊長の伝達に依り一同にどっと喜の声が絶えなかった。
実包を抜きとり、志気作興のため演芸会開催せり。
師団幕僚�車来る、中隊長忙しき。
午後八時。
午後十時二十分突如戦闘準備を命ぜられる、配備へ就く。
同志(地方人)の密告に依り歩三将校が安藤大尉を討つとのこと。
二十八日午前二時三十分奉勅命令来る。
内容未だ知らず。
直に東方三百米の山王ホテル(歩一丹生部隊在り)へ引き上げり。
討伐の機迫る由。
二十八日午前四時二十分山王ホテルへ著いて番号をふり参考資料とす。
夜の混雑時或は歩行中の筆記なり。
尊義軍  万歳
中村軍曹

歩ノ三  中村軍曹
現代史資料23  国家主義運動3 から