あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

町田専蔵 ・ 皇軍相撃を身を以て防止すること決意す

2019年07月22日 20時52分08秒 | 安藤部隊

 
町田専蔵
私は
二十八日朝
警視庁前で清原少尉から安藤大尉が幸楽に居ることを聞きました
ので、
同人に会へば 色々情報が判ると思った事と、
今事件に私達と反対的思想を有して居る 北、西田が参加しているのではないかと 謂ふ疑がありましたので、
中に入って行くことを決意した訳で、入る手段としては
二十八日午後六時頃
幸楽の正門に到りまして、兵に名刺を通じ 安藤中隊長の知人であると申しますと、
直ぐ 取次いで呉れました。
幸楽正門・将校は坂井中尉か ?
« 安藤大尉とは »
五・一五事件直後、安藤大尉が裏切ったと謂ふ風評がありましたので、
私は入営兵の見送りを兼ね同人に其事実を確めに行きましたことが最初で、以後 一回位 会って居ります。
二十八日午後六時頃、
兵の案内にて応接間に通され、安藤大尉と調書にある様な事実を話し、
其の純一無雑な精神に共鳴して、自分も其処に踏止まらうと決意し、
安藤大尉に此処に居て働かせて貰ひ度いと申出ますと、
喜んで承知して呉れましたので、
私は曩さきに聞いた情報を生産党に齎もたらすべく 前田虎雄に電話をかけ情報を話した後、
自分が踏み止まって皇軍相撃つの事態を 身を以て防止することを誓ひました。
同日 ( 2 8 日 ) 夜、包囲軍の少佐 ( 伊集院大隊長 ) の方が訪ねて来て、
幸楽の門前で安藤大尉と面会、盛に何か交渉して居りましたが、
遂に決裂し、少佐は君を殺して己も死ぬと 互に抜刀し、双方の兵は銃剣を突合せ、
将に一触即発の危険な場面でありましたので、私は身を挺して両者の間に入り、之を引き止めました。
其日は此様な事があったのみで何もなく、私は午前零時頃 横にうたた寝をして、
午前四時頃 目が醒めますと、誰も居りませんので、方々捜しますと、一名兵が居りましたから、尋ねますと、
午前三時頃 「 山王ホテル 」 に引揚げたとのことで、
早速同所に行きますと、香田大尉、安藤大尉、栗原中尉等が居りました。
丹生隊
それで、兵を引揚げさせることに就て別室で激論しました結果、
香田大尉が自己の不明を詫び、互に手を握り合って泣いて居りました。

午前十時頃 首相官邸に行きました処、
兵は二食も食べて居ないと謂ふ事を聞き、
安藤大尉に話しますと、何とか成らんだろうかと謂はれましたので、
私は之を引受け、赤坂の瓦斯会社の処に本部を有して居りました包囲軍の本部に行き、
大尉の人に話すと、此事を少将の方に取次いで呉れ、
其の少将の方は、兵が飯を食はんで居ると謂ふことは可哀相だ、而し、こちらからやる訳には行かんが、
お前が持って行くのなら宜しい と謂はれましたので、
私は帰って安藤大尉に話し、兵三名計りと 共に幸楽より ( 首相官邸に )食事の運搬を為し、
安藤大尉が 「 山王ホテル 」 に 引返したので、私も 「 山王ホテル 」 に 行き、
安藤大尉より もう最後だから お前は早く脱出して呉れと言はれましたので、
而し 私は帰る心持ちになれず、
暫く其処に居りました処、
安藤大尉は兵を集めて訓話を為し、自殺を企てましたので、
私は下士官の人達と共に病院に送るべく出発、
赤坂溜池附近で警視庁職員に同行を求められ、今日に至って居ります。
・・と 当時の状況を悲壮なる面持にて落涙で陳述す
公判・審理
町田専蔵の 陳述

・・二・二六事件秘録 (三) から