日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

「パッパ」。それは私の心の全部だった。 森茉莉

2010-10-17 | book

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「パッパ」と呼ばれ、子供たちから慕われた明治の文豪・森鴎外は
軍医、作家の顔とは別に、家族を思い、子供たちに能うかぎりの愛情をそそいだ父親でもあった。


現在、東京の「世田谷文学館」で展示されている「父からの贈りもの-森鴎外と娘たち」展では
鴎外自身の資料や、長女・茉莉(森茉莉)、次女・杏奴(小堀杏奴)への
数々の「父からの贈りもの」を見ることが出来る。
教育者としての鴎外、そして子供たちを人としてその個性を尊重しながら
暖かくみつめた父親の姿がある。

そして、いじらしいほど父を慕う子供たちの手紙や回想から伝わってくるのは
深い絆で結ばれた森家の感情の歴史である。

 

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父から送られた首飾りをつけた茉莉


「お茉莉、西洋では十六になって、最初の舞踏会に出る時に、はじめて首飾りをするのだ」
父が茉莉にこう言ったとき、茉莉はまだ16歳に達していなかった。
この時、玩具のようなものなら、と父は伯林(ベルリン)に洋服を注文した際、一緒に注文をした。それはシベリア鉄道で届いた。

その首飾りを茉莉は2度も紛失したがいずれも見つかっており、終生大切なものとして茉莉を幸せにした品だという。


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鴎外が杏奴に歴史を教えるために作った教科書。

天照大神からはじまり、時の天皇、将軍など主要人物の説明が書かれている。
他にフランス語や、長男・於菟(おと)にはドイツ語の教科書も作っている。



 

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チョコレート箱の中に鴎外が書いた末子・類(るい)の時間割

このように鴎外が子供たちにそそぐ愛は、親が持てる知と愛を惜しみなく与えて感動的ですらある。

杏奴は「パッパ」と鴎外へ多くの手紙で呼びかけている。
そして胸を打つのは、大正11年(1922年)、13歳の杏奴がヨーロッパに滞在している茉莉に
鴎外の死の直後に悲痛な心境をつづった手紙である。

<あれ程パッパが死ねば生きて居られないと思ったほど大切な大切なパッパです。
ゆめであればいいと念じましたが、たうたうほんたうの事となりました。
(略) どうしてどうして死んだのでせう。>



鴎外は、萎縮腎、肺結核で逝去したが、口述筆記で「栄誉や肩書きをとり払い、森林太郎として死す。」と遺言している。
子供にとって父の存在は大きく暖かい懐であり、一家の幸せを守る絶対の存在であった。


若かりし頃、森茉莉に傾倒して本を買いあさって読んだ時期があった。
文字からにじむフランスの香りが素適だった。
そして父への忘れがたい思慕が彼女にペンを走らせ、生きる支えになっていることは容易に理解できた。
安価なものでも宝石に変えて楽しむ魔法を生まれながらにもっていた茉莉。
しかし茉莉にとって一番の宝石は父・森鴎外であった。

           2010年10月2日(土)~11月28日(日)まで


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2 コメント

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鴎外の愛情は、教育だけでなく人から決して奪われ... (黎門)
2010-10-18 08:18:07
鴎外の愛情は、教育だけでなく人から決して奪われることのない強い感受性を育てそれがそれぞれの子供たちの人生を決定づけていったのだなとその後の活躍を見ていると強く思います。
質素な暮らしの中でも森茉莉さんの目を通せばそこは、パリの街角やレースが揺れるアパルトマンの一室になるのだと思うと幸せや美の基準は人が決められないことこそ彼女の心の中にいつまでも輝くパッパが教えてくれたのでしょう。
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>黎門さん (ひBiYuko)
2010-10-18 11:07:53
>黎門さん

幸せや美の基準は本当に人それぞれですね。
きっとパッパは心の中に幸せを持つことを教えたのでしょうね。
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