日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

湊川神社 神戸市中央区

2012-06-12 | 神社仏閣

左右対称の建築様式が美しく、目を引かれる湊川神社。
正面に立つと威風堂々としたたたずまい。表神門は、白く塗られた垂木(たるき)の先が均等に並び
束ねられた御幣の飾りが神聖な気持ちにさせてくれる。
JR神戸線の「神戸駅」からまっすぐ。

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地元の人々が「楠公さん」と呼ぶ湊川神社は楠木正成(大楠公)を主祭神として
子・正行(まさつら・小楠公)と正成の弟・正季(まさすえ)をはじめとして
その一族を祀っている。






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目にしみるようなくすの木の葉が白い鳥居をきわだたせる。
本殿への参道を歩きながら木々を見ているうちに

少しずつ身が清められていくような感覚になる。

 





ここ湊川の地で最期を遂げた楠木正成は南北朝時代の南朝方の初代天皇・後醍醐天皇に仕えた武将。
鎌倉時代末期、時は騒然としており、
後醍醐天皇から鎌倉倒幕の命を受けて正成は北条氏と戦い、鎌倉幕府の崩壊へと導いた。
しかし足利尊氏が背き、彼はいったんは九州へ退いたがふたたび攻勢してくる。
湊川で迎え撃った正成は猛然と戦うが敗北。

勝ち目のない戦いであることをあらかじめ予知していた正成は
兵庫への出陣に随行してきた子・正行に、大阪の桜井(現在の大阪府三島郡島本町)で、
分が亡き後は天皇への忠節を尽くすよう諭し郷里へ帰した。(桜井の別れ)

6時間にも及ぶ激戦の末、敗れた正成は
弟・正季と「七たび生まれ変わっても賊のために戦う」(七生滅賊)ことを誓い湊川で自刃した。

楠木正成の天皇への忠誠に心打たれた地元の人々は彼が殉節した地に供養塚をつくり、大切に守り続けてきた。
元禄5年(1692)、正成の功績を高く評価していた水戸光圀によって
「嗚呼忠臣楠子之墓」(ああちゅうしんなんしのはか)と書かれた墓が建立された。

そして、大楠公の忠節を後世に伝えるために明治天皇によって明治5年(1872)、湊川神社が創建された。

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均整のとれた本殿は鉄筋コンクリート造りで
戦後の代表的な新しい神社建築様式という。

中央の扉の奥には主神の大楠公
右の扉は大楠公夫人
左の扉は子の小楠公、弟の正季と一族16柱が祀られている。





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楠木正成の墓(写真はパンフレットより)

正成の墓前には、幕末から維新にかけて国事に奔走した政府要人もここに訪れている。




境内は静かでどの人をも受け入れる大きなものに包まれているような気がした。
「楠公さん」は地域の人々に愛され、また何世紀も超えてそうであったように
地域の人たちを暖かく見守っていくのだろう。


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