日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

薄幸の祇王 木村武山の絵

2010-11-25 | 絵画

Giougijyo

『平家物語』巻11の哀話「祇王・祇女」は悲運の恋に生涯を送った女性の物語である。
平家が全盛を誇っていた頃、都に名を博していた白拍子の祇王と祇女の姉妹がいた。
白拍子とは当時の男装をして歌い舞うこと。

平清盛に寵愛された祇王は、祇女と母とぢにも館を与えられ平穏に暮らしていた。
 ある日、若い仏御前が清盛に白拍子を見せたいと訪れた。
清盛はすでに祇王がいると門前払いをするが祇王は「せめて一度だけでも」ととりなした。
ところが仏御前に心を移した清盛は祇王を追放してしまう。
やむなく出て行った祇王は悲しみに沈むばかりであった。
そんな日々の祇王に、清盛から退屈している仏御前に舞いを披露するよう命じられる。
通された場所は下座であったという。
舞う祇王のあわれさに周囲の人々は涙をながした。

帰った祇王は屈辱的な扱いと悲しみに絶望し
自害を思うが家族を道づれにするに偲びず母、妹と嵯峨の奥に隠棲する。

ある日ひとり訪ねてきた仏御前。世の無常に清盛のもとから出て来たという。
一緒に仏道に生きたいと願い出る。祇王はそれを受け入れ四人は日夜念仏を唱え往生の本懐をとげた。

清盛の無節操・不実によって哀れな生涯を送った女性たち。
栄枯盛衰の道をたどりながらも平家滅亡の渦からのがれられたことがせめてもの救いである。

写真は日本画家・木村武山(明治7年~昭和17年)が描いた『祇王祇女』(明治41年)
秋の草花に目をやる祇王は静謐なたたずまいに世のはかなさを滲ませ心を打つ。
後姿は祇女であろうか。こころ気高く、静かに生きる姉妹の気品ある絵画世界である。

永青文庫蔵


最新の画像もっと見る

コメントを投稿