日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

写実は何を語る 高島野十郎展

2016-06-24 | 絵画

会期はとうに過ぎてしまったが目黒区美術館で「高島野十郎展」を見た。
没後40年の今年、
近年発見されたものや初公開の作品なども含め、高島野十郎の全貌を紹介する展覧会だった。



「世の画壇と全く無縁になる事が小生の研究と精進です」

この信念を貫き通して
どの美術団体にも属さず、自らの画業に打ち込んだそのストイックさ。
描かれた絵は、そこに存在するものから彼自身が発見したものを
キャンバスに乗せたかのように鋭く、また静かであった。

「けし」


けしは種類によっては毒を含む。
その魔性を秘めているかのように茎はくねり、葉はなまめかしい。
一見、普通の絵のようだが私には美しくも怖い絵に見えて仕方がない。


「からすうり」


枯れた葉に艶を帯びたからすうり。
死せるものと生けるものとのコントラストがくっきりと。


「雨 法隆寺」


数奇な運命をたどった雨の法隆寺を描いた作品。
この絵は、野十郎が所有者の恩に報いるために贈ったものだが盗難に遭い、
その4年後に所有者の家の縁の下から発見された。
修復を経たのち、今度は火災に遭って2度目の憂き目に遭うも
緊張と困難をともなった修復によって作品は今日に残ることが出来た。
雨に濡れる法隆寺の厳粛なたたずまい。


「蝋燭」


「第5章 光と闇」と題された展示室では蝋燭だけの絵が19点飾られていた。
何年か前に蝋燭の絵を初めて見た時、胸にしみるような印象だったが
炎がゆらめき、あたりをほのかに照らしている。
闇の中で光は尊く、また闇は何事かを語るように濃く淡く描かれている。
蝋燭の絵は売ることなく、恩ある人々に贈呈したという。


1890年(明治23)、酒造家に生まれた高島野十郎は東京帝国大学農学部水産学科を首席で卒業。
将来を嘱望されていたが念願とする画業の道へ進んだ。
終生独身を通し、静けさを求めて転居を繰り返しながらも
旅先で見た風景や果物などを描いた絵は
端正であり、自然に対する敬虔な思いが込められているようだった。