サッカールーの何でもござれ パート2

シドニー在住者のサッカーについてのざれごとです。

ロナウジーニョ

2020-03-15 08:15:47 | 日記

パラグアイの刑務所でフットサルをして大活躍のロナウジーニョだが、メッシが保釈金を払うかも知れないなど話題満載の男である。もうすぐ40才だが現役中にまっとうな人生を送っていれば、今頃は大金持ちだったはず。それが一文無しなんだから笑ってしまう。

 

さて筆者はロナウジーニョのプレーを見たことがある。ロナウジーニョは2000年のシドニー五輪に出場した。もう20年も前の話ではあるが、若きロナウジーニョは髪型も短めだった。大会前にブラジルはシドニー郊外にあるマルコーニというローカルクラブと練習試合をした。この試合を筆者は子供を連れて観に行った。

 

ブラジルはユニフォームに背番号を付けていなかったので、選手の区別がつかなかったがロナウジーニョはすぐにわかった。マルコーニのスタジアムはキャパが5千人くらいのこじんまりと小さく、スタンドに屋根もなかった。その日は8月終わりで春の陽気だったが気温が高く、屋根のないスタンドは暑かった。そのために子供が暑くていやだとごねだして、仕方なくハーフタイムで帰った。

 

ブラジルは1次リーグの3試合目で日本とブリスベンで対戦。この試合も観に行った。ブラジルが前半早々に先制して1-0で勝った。ブラジル人サポもけっこう多くて試合後にスタジアムの外の道で太鼓をたたいてパレードのように大騒ぎしていた。

 

さてブラジルは準々決勝で優勝したカメルーンにあっさりと負けた。カメルーンはエムボマも出ていた。ちなみに2位はスペインでホセ・マリがいたし、3位のチリはなんとザモラーノが出ていた。表彰式でエムボマとザモラーノががっちりと握手した光景を覚えている。

 

この時のロナウジーニョはまだグレミオに所属していたが、そのあとにバルサ、ミランとキャリアを重ねて大金持ちになったはずだが、どうしてパラグアイの刑務所でフットサルをすることになったのか。