皆川博子さん、『水底の祭り』

 『水底の祭り』、皆川博子を読みました。

 収められているのは、「水底の祭り」「牡鹿の首」「赤い弔旗」「鏡の国への招待」「鎖と罠」。初期の頃の短篇集で、単行本が出版されたのは1976年でした(私が入手したのは10年後に出版された文庫本)。そして主な物語の舞台になっているのは、高度経済成長期の日本。

 時代を感じるのは、例えば戦争が残していった黒い影が、まだまだ人々の足元まで不気味に伸び続けていること。当時子供だった世代(戦中派?)がいい大人になり、それでも何かしらの心的外傷を癒やしきれずに抱えていたりする。それが人の命に関わるような内容なので、ずしりとした重みでのしかかっているのです。
 この頃はまさに、昭和らしい煩雑さといかがわしさに満ち満ちた時代ですが、この短篇集に一貫して流れている空気から感じられるのは、勢いのある時代の華やかさに隠された、底知れぬアンダーグラウンドのいかがわしさかもしれません。

 男から性を買う女性剥製師、勢いを失ったミュージカル・グループ、堕ちていく偶像。とぐろを巻いた、血なまぐさい妄執。どの作品の中にも、あらがい難い退廃の空気を嗅ぎ取ってしまう。そして、ずくずくと果実が爛熟して、ゆっくりと腐敗していく姿をまざまざと見せつけられているような落ち着かなさ。それなのに決して目を逸らせなくなるほどに、悪魔的な魅力に捕り込まれてしまう。それでかねての思惑通りなのだけれども。
 爛熟と腐乱も、美も醜も、行き着く先では一つに混じり合う。魅入られたように背中を押されながら、滅びへの誘惑に足を向ける彼らも。彼らの醜い(のか、美しいのか)姿を描ききる筆の、容赦のない冷徹さったらどうだろう。

 表題作の「水底の祭り」は飛びぬけに秀逸だなぁ…などと恐れ多くも思いつつ読み進んで、「鎖と罠」で再び突き落とされた。救いのなさに、ゾクリとする。冴え渡る凄味に、射竦められる。
 熱いのか冷たいのかすら、もうよくわからなくなる。皆川さんの描く女たちの情念は、激しい温度差を孕み持っていつも危うく揺らめいている。その測りがたい温度差に幻惑されるのが、私は怖い。
 (2007.7.19)

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