ダイ・シージエ、『バルザックと小さな中国のお針子』

 『バルザックと小さな中国のお針子』、ダイ・シージエを読みました。

 “羅(ルオ)が小説を読んでくれると、冷たい滝の水にどうしても飛びこみたくなるの。なぜかって? もやもやした気分をぱっと晴らすためよ! 胸のわだかまりを、話さずにはいられないときってあるでしょ、それと同じ!” 173頁

 文化大革命ですか…と少々怖気づいていましたが、殊更に暗くて恨みに満ちた時代として描いているのではなく、時にはユーモラスにさえ語られているのでぐいぐいと読めました。
 物語にまつわる物語は好きです。人が如何に物語に生かされているか、人が本当は、如何に切実に物語を求めているか…ということが、どうしようもなく胸に迫って切なくなります。

 もしも物語との出会いが、長いこと禁じられ続けてきた末にやっとめぐりあえたものだったとしたら、その後の人生にとってどれ程大きな意味を持つことになるでしょうか? 想像してみるしかありませんけれど、例えばそれは、僕や羅(ルオ)やお針子小裁縫(シヤオツアイフオン)たちの運命を、思ってもみなかった遠い場所へと押し流してゆくにさえ充分な力を持っていたのでした。誰も予想だにもしなかったやり方で。
 飢え渇いていることにさえ無自覚だった彼らが、無我夢中になってそれを飲み干すのはむべなること。言ってみれば、不自然な状態にその枝を矯められ、不自然な形にその枝を摘まれていた若木のようなものでした。だから彼らの初恋は、衝動そのもののような激しさで相手に向かう、粗野で野蛮で一途なものになるしかなかった…。のではないかなぁ、と。残酷に美しく、残酷に伸びやかに。

 目蓋の裏に焼き付きそうな、とても綺麗な場面がありました。粗野な初恋の一瞬の煌きのようで、キラキラと輝きながらいつまでも残像となりました。そしてラストが…鮮やか!
 (2007.7.6)

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