故郷にある墓のお墓参りは、先週のシルバーウィークに早めに行ってきた。
とにかくお寺に彼岸のお布施を持って行かないといけないからだ。
私の帰省はほとんどお寺関係の必要性によって行われている。
まあ、それは定期的に年老いた親元に足を運ぶことになるので、良いことであろう。
また、老親のほうでも「具合が悪いから介護に来てくれ」というわけではなく「お寺にお布施を届けなくてはならないから来て」と言う理由のほうがしっくりくるのだろう。また、お墓をきれいにしておかないといけない。
お墓は私の実家だけではなく、同じ寺に夫の家族の墓もあるので、どっちみち、やるべきことは同じだ。
アタマに来るのは、夫のほうで、すべてのことを私の実家母と私に丸投げしており、何から何まで母と私がやっているのだ。
その母も老いが進んで、先日などはとても暑かったので、行かないほうが良いと言って、私が1人で行ってきた。
年寄りというものは、食べたもののエネルギーが長持ちしない。すぐに身体がへなへなになってしまう。「フラフラすると思ったら、朝、バナナと牛乳しか飲んでいなかった」などという。
そのくらい食べとけば普通は大丈夫だろう。
年寄りじゃなければ、1食くらい抜いたってどうということはないのだが、年寄りはそうはいかないらしい。あまり食欲もないし、エネルギーを身体に蓄えられないようだ。
母は、今朝はよく眠れなかった、朝はあんまり食べていないという。
そんな状態で、11時頃になって「私もお墓に行く」なんていうものだから「こんな時間では、帰りは昼も過ぎてフラフラになっちゃうから、やめときな」と言って、私一人で行ってきた。
それは正解だ。
私は、いつもの山道を歩いてお墓に行こうとしていた。
ところがなんと、道がない。草ぼうぼう。
たぶん、お盆以降、誰もこの道を歩かなかったのだろう。
狭い車道から数歩入ったところで、もう引き返すかと思ったけど、なんとか1人くらい草を踏み倒して歩いたあとがあるので、そこを頼りに進んで行き、やっとお墓にたどり着いた。
母が来なくてよかった。
墓は暑いのなんの。その日は、先にお寺にお布施を届け、その後は通常の墓参りをする気はなかった。
草が少々生えてはいるが、暑くて草取りなんかしてられない。
父の墓の後ろには彼岸花が5~6本つぼみになっていた。母が植えたものだ。
写真を写して母に見せれば良いな、とは思ったが、暑いので写真を撮る元気もない。
2つの墓の花たての水を捨て、湯呑みやコップの水を取り替えただけである。そしてちょっと手を合わせて来た。
これはなぜか真夏より暑く辛い気がする。墓の水道で顔を洗った。
来た山道は歩けないので、別方向の車道を歩いて帰ることにする。車道は登り坂だ。
途中にバス停があったので、時刻表を見ると、まだ30分も先である。
乗車区間は1駅だけなので、バスに乗っても財布からお金を出しているうちに降りなくてはならなくなり忙しい。だからバスは使わない。
距離は近いが、それでも歩くと大変である。
田舎は誰も歩いていない。
クルマが時々通り過ぎていくだけ。
海は真っ青できれいだ。
遠くの水平線のほうが色が濃い。
お寺とお墓には1~2組の墓参りの人を見かけた。車も駐車してあった。
田舎に行って疎外感を味わうのは、周囲の人間が自動車で動いているのに、自分だけが自分の足で歩いているということである。
同じ空間に居ながら異次元の人のような気がする。
歩いている人には誰にも会わなかった。
私はただひたすら、汗を拭き拭き坂を登る。
バス停のそばの自動販売機でリンゴジュースを買ったので、それを飲みながら歩いた。
やっと駅前のスーパーに到着。
地元の海の「朝どり」という表示の「いさき」の刺身を買って帰った。