山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

試験すべて終了1

2007-02-04 23:13:11 | 放送大学
放送大学6年間の最後の試験が今日終わった。
これで、3月に卒業できるかどうかが決まる。

きょうの試験は、まず、「博物館概論」。
受験者が博物館経営・情報論よりずっと多かったのは、ラジオではなく、テレビ放送だということがあるようだ。そして、欠席者もいなかったようだ。
思うに、今使っている教科書は03年のもので、07年から改訂される。だから、今期を落としたくないと誰もが思うだろう。
テレビ放送の科目はラジオの科目よりも人気があるが、私はテレビ放送を見ていないのでほとんど関係がないといえた。教科書を読む限り、面白さは同じような感じだった。
結局時間切れで教科書を全部読むことはできなかったが、なんとか適当に記述できたので、大丈夫ではないかと思っている。

2日間連続して一夜漬けで乗り切ろうというのは、やはりかなり無理がある。集中力が持たない。昨日試験から戻って夕方まで昼寝をしたのだが、夕飯を作っているとなんだか右目が痛いので見ると、結膜出血を起こしていた。白目の半分が真っ赤な血になっている。血眼(ちまなこ)というのはこのことか?いや、血眼の場合は充血のことを言うのだろうが、これは毛細血管が切れたようだ。白目が血糊になっている。以前にもなったことがある。別に精神的に血眼になって勉強をしたとも思えないし、これの原因はとくにないらしい。治療法もなく、自然に血が吸収されるのを待つだけのようだ。目玉は左右とも時々傷むが、これは以前からで、今回の出血とは関係がないようである。
しかし、徹夜や慣れない勉強が関係していないとも思えない。日・木・土・日と先週から試験が続いているので、確かに疲れが溜まってきていることは確かだろう。
それで、昨夜はなんとなく目をかばうような感じになって、今日の試験が午後だったこともあり、勉強をやらずに寝てしまった。午前中は洗濯をしたり家族のご飯を作ったりでやはり集中して勉強できなかったが、テストに出そうな部分に山をかけておいたらいくらかは当たったのが幸いだった。

エコミュージアムというのに関心が湧いた。
全国のいろいろな博物館を見て歩きたい。

「芸術の理論と歴史」「文化人類学」「博物館概論」「博物館経営・情報論」の授業内容が関連性を持ってつながったことはけっこう感動だ。

2へ続く。
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節分

2007-02-04 00:12:27 | 未分類過去
きょうは、節分なんだって、店でやたらに恵方巻きとかいう太巻き寿司が売っていたのでわかった。
この恵方巻、買おうかなあと思って見たが、あまりおいしそうでないからやめた。
気のせいか780円というものが多かった。780円という数字は縁起でもいいのだろうか?ちょっと安くなると、480円で、やはり「8」がついている。
多くは卵とかんぴょうときゅうりと何かくらいのもので、大したものは巻いてない。
せいぜいアナゴとエビが入っているのもあるくらいかな。
生の魚が何種類か入っているのは1280円だった。
ふだん売っているサーモン巻きやカニサラダ巻き、などのほうがいい。

しかも、ひとりあたり1本ずつ用意し、どっかの方角を向いて丸ごとくわえて食べろだとか、いちいち食べ方まで指示されるのは気に食わない。太巻きというのは切り口がきれいなものなんだから、切らなきゃ意味がない。丸ごとなんか食べにくいし、そんなにたくさん食べるわけがない。1人1本なんて買ったらいくらになると思ってんだ。しかも切る手間を省いているなと思う。
わざと切ってくださいなどと言ってみようかと思ったが、やめた。
どこもかしこも恵方巻きをワゴンにのせて大量に売っていた。いっぱい売れ残りそうだな~

恵方巻きは最近始まった習慣のようで、やったことはないが、豆まきも当然やらない。
私の実家は誕生日やひな祭りなど、ほとんど年中行事らしきものをしない家庭だった。
それで、小学生の頃、担任の先生が「昨夜豆まきをした人、しなかった人」と手を上げさせたとき、しなかった家は私ひとりだったことがあった。家に帰ってそのことを親に言うと、ええっそうだったのか!よその家はやっているのか、そりゃ大変だ、ということになって、子供が恥をかかないようにと、翌年は豆まきをしたりした。

私が大人になってからは、子供が小さいときは、鬼のお面つきの豆を買ったりしていた。豆まきは児童館や幼稚園でやり、自宅ではやらなかった。幼稚園などでは、からつきの落花生でやることが多かった。
たぶん豆まきは今ではやっていない家のほうが多いのではないかと思う。
ヒイラギなども店で売ってはいるが、買っている人は見たことがない。
最近は豆は撒かないが、買って食べることはあった。日本語学校や地域の日本語教室には豆を持っていって、年の数だけ食べるといいことがあるなどと教えたりした。しかし、今年は豆も買わない。

きょうは、日差しがとても春らしかったなあと思う。
やはり節分で、明日が立春だからだろう。

豆まきをしないので、変な鬼が何年も住みついたままになっているし、恵方巻きも丸かぶりしないので、幸運はなかなかやって来ないようだ。
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博物館経営・情報論

2007-02-03 19:48:26 | 放送大学
持ち込み不可で記述式。
丸暗記は必要ないし、ひっかけ問題もないから、ちゃんと勉強した人にとっては、そう難しくないはずだが、サボり続けていた人間にとってはかなりきつい。
択一式と違って山勘でマークするということができない。

課題を提出するために拾い読みして以来、教科書を開いたこともなかったので、普通だったら次期に回しているところだが、もう後がないから、やけっぱちで昨夜と今朝で教科書を読んだ。きょうの試験が1科目だけだったのは幸いだった。

「博物館法」「博物館における評価」「博物館マーケティング」「博物館マネージメント」「博物館の社会的使命」などを説明する問題がでた。
印象に残っている部分は、完璧とは言えないまでもそれらしきことは書けるのだが、やはり飛ばして読んだところは、的外れなことを書いてしまったりした。

もうどうにでもなれである。

前回、博物館資料論のときと同様、本腰を入れて読んでみると面白いのに、その気になるのが遅すぎた。懲りずに同じ失敗をくりかえしている馬鹿な人間だ。

ところで、博物館に関することを読むうちに、非常に図書館にも似ている部分があることを感じる。私は短大で図書館司書の資格をとったが、それを生かして司書の仕事につけるひとはほとんどいないのが現状だった。一方、図書館の現場には図書館に関することを専門的に学んだ人材が充分配置されていないというのが現状である。それは博物館も似た状況であり、学芸員が充分配置されていないようだ。どちらも昔は資料を保存しているだけのような陰気で地味な印象を受ける施設だったが、最近は実質もイメージも変わって、積極的なサービスを意識し、変革されていると思う。だが、まだまだという感じでもある。

図書館学を短大でやっていたころは、図書館概論、図書館資料論、図書分類法、図書館演習とか、図書館何々という科目がいろいろあったように記憶している。(今現在とは違うかもしれない。)社会教育という科目も図書館司書のための必修だったと思う。
博物館も博物館何々という一群の科目で、なんとなく構成が似ている。
教科書を読んでいると、短大のときの図書館の担当の先生方がアタマに思い浮かんできた。さらに、この放送大学の博物館の科目を数科目担当していらっしゃる石森先生の名前と、短大の図書館学を複数科目担当していらっしゃった先生の名前に共通点があるので、名前も似ているなあ、などと関係ないことを連想したりしてしまった。

私が高校時代に進学したかった大学の学部は、たまたま学芸員の資格がとれるものだった。私は国文が好きだったが、演劇などをしていたため、総合芸術ということで、文学にとどまらず、芸術を理論的に学びたいと思っていた。それで「文芸学部」というのに魅力を感じていた。
高校生のころは、学芸員などというものの存在は知らず、入試案内などを見て、その学部で学芸員の資格が取れると書いてあることから、初めてそういうものがこの世に存在することを知った。しかし、その大学には落ちたので学芸員には縁がなかった。

短大の国文科を出たら図書館司書の資格くらいしか取れないし、国文科らしい仕事といえば、出版社や新聞社、アナウンサー、などを連想していたが、田舎に帰るとすればそういうものはないから、市役所に勤めて図書館に配属されるというのが望ましい。
しかし、田舎の市役所はコネがないと入れないし、入ったところで水道課とか福祉課とかに回されて実際に図書館で働ける可能性は少ないといえた。

だから、国文科なんかに進学するのは職業とは直結しないので、当時の田舎の人は高校を卒業したらそのまま地元の銀行や信用金庫、農協などに勤めるのがよいという風潮だった。
4年制大学に進学する人自体少なく、短大に進学するなら、家政科や栄養科、保育科ならばまだ主婦になってから役立つだろうというわけである。
だから、親にとっては短大の国文科も本当は不要のもの、4年制の文芸学部なんか落ちて幸いのものだった。

それで、学芸員などというもののことはすっかり忘れていた20数年間だったが、ひょんなことから偶然にも放送大学で博物館について勉強することになった。
残念ながら、放送大学で学芸員の資格を取ることはできないが、博物館活動支援の科目群履修認証というのを取得することができる。

これから、東京の博物館でボランティア活動などしてみたいし、私の田舎では観光客をターゲットにした博物館類似施設も多々ある。また、地域おこしのために博物館のような公共施設を充実させる動きも出てくる可能性がある。今後は放送大学で学んだ事をいかし、そういうことに関わっていけたらいいかなと思う。
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野党もテレビもおかしい

2007-02-02 19:12:05 | 未分類過去
柳沢伯夫厚労相の発言問題で辞職を求めている野党は、その要望が通らないことを理由に国会に出席せず、補正予算案の審議をボイコットしたそうだ。
いったい、どっちが大切なんだ!
補正予算について、質問したり意見を述べたりすることのほうが、重要だろう。
野党はちゃんと、やるべき仕事をしてもらいたい。
本当にくだらないと思う。

野党が騒ぎ、収拾がつかなくなるから、やめなきゃならなくなるかな?と思っていたが、それは野党の思う壺だ。
こうなったら、安倍さんが今までしているように、毅然とした態度で判断するべきだと思えてきた。野党が騒ぐから柳沢氏をやめさせるのではなく、もともとやめるほどのことでないと判断しているのだから、その態度は変えない。それでいいだろう。騒ぎすぎるほうが悪い。
この発言問題に拍車をかけているのはテレビの報道でもあり、野党はそれを利用している。

また、昨日からニュースでは、横領公務員の妻アニータのおっかけみたいなことばかりやっている。
そんなのどうでもいいよ。全くくだらない。
もう不二家のことなんかもすっかり消え去ったようである。
国会の審議よりも鳥インフルエンザよりも、アニータの一日の行動が日本で一番重要なことのように報道されている!!
それから、北朝鮮の金正男がマカオでキウイジュースを飲んでいたというニュース。

テレビを見ていると、いったい何が一番重要なことなのか、わからなくなる。
5時頃帰宅して民間でそんなニュースばかりやっているので、そんなのばかり見ていたら国民もみんなバカになるだろうと思った。
NHKなら公正に、重要なニュースに時間を多く割いてやっているのかな?
チャンネルを回してみたが、その時間帯には興味のあるようなことはやっていなかったので、あきらめた。

そのほかのニュースは、中国人の主婦が幼稚園児を殺してしまった事件。砂の人形を刺したなどとわけのわからないことを言っているそうだ。法廷でつばを吐いたとも言う。
交通事故で亡くなった子供のニュース、自殺のニュース、いやなニュースばかりだ。

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腕時計が止まってた!

2007-02-02 01:30:47 | 未分類過去
朝9時頃、単位認定試験に出かけようと、必需品である腕時計を手にすると、なんと、止まっていた。
時刻は7時半になっており、朝止まったのか夜止まったのかわからないが、日曜日の試験のときは確かに動いていたので、よりによってこんな時に止まるとはショックだった。試験会場には時計がない。
高校生の次女は携帯だけで不便はないので、腕時計というものは持っていない。だから女物の時計は他にはない。普段時計はあまり必要がないので、1個しか持っていない。
まだ、時計屋さんも開いていないしどうしようかと思ったら、幸い夫の仕事が休みだったので、夫が時計を貸してくれた。無いよりはましだ。
大きくて重くてすぐに手首のほうにずれ落ちてきてしまいちょっと不便だなと思って試験を受けていたが、そのうちセーターの袖の上にはめればちょうどいいことがわかった。

試験の帰りに時計を買った店によって電池を入れてもらった。この時計は今の会社の面接試験に行く時に買ったものなので、2年とちょっと経っている。電池が切れるくらいの期間働いたということは、仕事にもかなり慣れたといえるだろう。

充電中に、時計屋さんで女物の腕時計を見ていた。長女が最近就職試験でシンプルな腕時計が必要だと言っていたので、どんなものがいいかと思ったのだ。
本人が普段使っているのはちょっと装飾がついているため、あまりよくないらしい。会社説明会くらいならいいが、面接などはだめなのだそうだ。面接では、高級ブランド物もだめなのだそうだ。まあ、高級品はうちには関係ないが、逆に1000円くらいのだとやはり安っぽいし、すぐに止まってしまったこともある。
娘は時々私の時計を借りていくこともあるが、私のは黒っぽい革バンドのもので、いかにもおばさんぽい。そして私のようなのはいっぱい売っていたが、娘に良さそうというのはあまり見つからない。
就職活動で買った時計を今後も使うのか一時的なものかということでも、値段のおりあいが変わってくるなと思った。

しかし、時計屋さんていうのも、昔ほど品数がないような気がした。手ごろな値段でこれはいいなあというような感じのものがあまりなかった。小さい店だったからかもしれないが、時計は今時あんまりはやらないのかもしれない。

昔は、高校入学とか就職とかで、気合を入れて新しい時計を買ったような気がする。とくに姉の高校入学時は時計屋さんから腕時計のカタログが送られてきたりしていた。
当時は毎年そのようにして大量のお客がいたはずだ。
私が高校に入学するときは、密かに期待はしていたのだが、姉のお下がりで済まされてしまった。
高校の途中でまた姉から次のお下がりをもらい、社会人になってもずっとそれを使っていた。シルバーのシンプルなものだが、おそらくそれを就職試験のときも使っていた。

うちの子の時代には高校入学時に携帯を買うのが普通だったが、最近では中学生でも携帯を持っているのが普通だそうだし、小学生も防犯のために持っているようだから、高校入学で買うということも無くなったようである。

でも、腕時計もいろいろなデザインのを持っていて、服に合わせてそのたびに替えたりしたら楽しいだろうなと思う。一個止まってしまったときでも安心だ。
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単位認定試験

2007-02-01 22:13:47 | 放送大学
今日は、放送大学の単位認定試験を3科目受けてきた。

・「芸術の理論と歴史」 たぶん大丈夫だろう。
昨夜すこし復習をしたが、教科書を読んでいたらキリがなさそうだから、いいかげんにしておいた。放送のほうが整理されていてわかりやすい。実際、試験も教科書を思い出すよりも放送を思い出して解答することが多かった。前回単位を落としているので、いくらなんでも同じ失敗はしたくない。まあ、放送をみただけあって、前回よりはよく回答できたとは思う。

・「日本の古典―江戸文学編―」  これはやばい
放送も聴いていないし、教科書も読んでいない。課題を提出するときに拾い読みしただけだ。短大は国文科だったが、すでに忘れている。前回、近世の日本文学を取ったから、少しは重なりはあるものの、それも忘れている。昼休み中に適当に拾い読みしたが、以前から知っている作者や作品のことは頭に入るが、今まで記憶になかったような名前が出てきても全然覚えられない。たぶんダメだろう。
ただ、だめだとわかっていても試験は受けておくといい。次回どんな感じの問題がでるかを知ることができる。

・「文化人類学」たぶん大丈夫だ。
持込可能で、その上択一式というもの。しかも、試験問題の選択肢に出てくる文が教科書と同じだから、教科書のどこにどんなことが書いてあったかだいたい覚えていれば、該当箇所が見つかり、不明点を確認することができる。時間にもある程度余裕がある。しっかり勉強していなかった人でも、一通り目を通してあれば、高得点は取れないにしても単位はとれそうだ。

というわけで、今日のところは2科目合格という感じ。
試験はあと3科目残っているが、そのうちの2科目はなんとしても合格しなければ卒業できない。
かなり瀬戸際状態である。
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やっぱりこの話題

2007-02-01 20:01:38 | 未分類過去
柳沢大臣のことは、もうどうでもいいやって感じではありますが、一応書いておきます。

今朝、フジテレビの「とくダネ」を見ていたら、またこの問題をやっていた。辞めさせるべきという強い意見の蓮舫さんは、自民党の女性議員にもそのように動けと強く言い、その議員は、それは本人と安倍さんが決定することだというようなことを言っていた。
私の考えは蓮舫さんの考えには反対なのだが、言っている声とことばがはっきりしているので、蓮舫さんの言うことはよく聞きとれ、内容が理解しやすく、自民党の女性議員のほうは、うつむきがちにぼそぼそと何を言っているのかよくわからないような感じで、明らかにオーラが違った。こういうのは、外にどれだけアピールできるかで人の心を動かせるかどうかが決まる。内容よりも言っていることがわかりやすいかどうか、強い意志を持っているかどうかで勝ち負けが決まるものだと感じた。

ところで、その後にコメンテーターが意見を述べたが、眞鍋かをりさんが「私はそんなにひどい言葉だとは感じなかった。本人も謝っているんだし、やめるほどのことだとは思わない。」というようなことを言っていて、私の意見に一致していたので、ちょっとほっとした。
また、ノンフィクション作家の岩上安身氏も、「どうして機械に喩えたのか、その辺を本人によく聞いて調べてもらいたい」というようなことを言っていて、それも私の思ったことと同じだったので、なんか嬉しかった。
閣僚を選ぶときに、新人を就ける場合は慎重に吟味したり調べたりするらしいが、柳沢氏は今まであまり失言などのない人で特に落ち度もなく自分の職務をやってきた人なので、安倍さんも安心していたはずだとのことだ。だが、今までとは畑違いの分野に配置されたので、本人も慣れない部分があるのではないか、と言っていた。

そして、私は今日初めて全文を確認したのだが、問題となるのは「機械の数は限られているから」という部分のみならず、「産める女性に自分の役割を果たしてもらうしかない」とかいうような部分も問題のようだった。産むのが女性の役割だ、などというのも、女性たちにとってはむかつく部分らしい。「産む産まないは自由で、女の役割などとこんなジジイに言われてたまるか、そんな指図をされては余計に産みたくなくなる」と思う人たちもいそうだ。

今の世の中は自由だからな~
確かに「女なら子供を産んで女の役割を果たしなさい」などと強制されてはたまらないと思うが、私自身はそういう気持ちが無いではなかった。夫婦2人からは2人の子供が生まれて命を引き継いで行くのが自然だというようなあたりまえの気分というのがあって、何の疑問ももたずに、子供を産み育ててて来たのだ。それは、「男なら妻子を養って男の役割を果たしなさい」というのと同じようなことである。
当然何がなんでもそうしなければいけないというわけではない。体の具合の悪い人や置かれた状況によってそれができない人もいて、そういう人にまで強制するものではないし、男は仕事女は家庭と決め付けているわけでもないから、それから外れたからといってどうこういうわけでもない。一般的に言って望ましいだろうと思うことを大ざっぱに勧めてにすぎない。
子供に対して「よく学びよく遊べ」と言っているようなものだ。学べない子供もいるとか、体が弱くて遊べないこどももいるのに、どうしてそんなひどいことを言うの!などと怒る人はいないと思う。
社会のために働くというのと同じように、子供を産み立派な社会人に育てるのが自分の役割と考えるのはそれほどおかしいことだろうか。そのためには、多少は無理をしても子供を産むということも有りうるんじゃないだろうか?当然夫だって社会だってそのために協力し頑張るのは大前提だ。

思うに。柳沢大臣などの男野郎が、日本の人口は何人、男は何人、女は何人、20代30代は何人、などと統計上の数字を見て吟味していたときに、「女は○万人いるんだったら、赤ん坊は○万人くらい生まれるんじゃないの?」などと言う話になり、「いや、このうちの何割はおばあさんでもう産めませんし、何割はまだ子供ですから、実際に産むことのできる人口は、こんなに少なくなります」などということになり、「あっ、そうか、女が全員産めるわけじゃなかったんだ」などと気がつき、また、若い人間がたくさんいてもそのうちの半分は男だということになれば、「男はどうがんばったって産めないな~、産みたくたって産む装置が体にないからな~」などと残念に思ったりし、そんなことで産む装置だとか機械だとかいう発想が出てきたとしても不思議はないような気がする。

「女というものは子供を産む機械だ」とは言ってない。「産む機械が限られているんだから~」といういい回しだ。そのあたりはかなりニュアンスがちがってくる。

人を物に喩えたからって、それがそのものものだと言っているわけではないだろう。
「体がビヤ樽だと、飛行機のいすが苦しいものです」と言ったからって、太った人は樽なのか!人間を樽扱いにした!などと言って怒る人はいないと思う。

過剰反応である。
そして、結局は野党がこの発言にかこつけて自民党を崩したいから、こんなに大騒ぎしているのだ。

また、多くの女は「機械」を何だと思っているんだ!
機械とはすばらしいものだ!と仕事で毎日機械の発明を読んでいる私は思う。
そして、そもそも人体などの自然物がほかならぬ装置であって、それを真似して人工の装置が作られているのではないか!
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