山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

これからの10年でやりたいこと

2007-02-14 23:55:04 | トラックバック練習・ご意見板
トラックバックご意見番というのを発見したので、こっちも書いてみようと思います。

10年というのは、ちょうど今の私(47歳)にとっては予定を立てるのが難しいな~という感じがします。
私の場合、あと5年くらいは東京で今の仕事を続け、あとの5年は生まれ故郷にUターンして、年老いた母(現在75歳)のそばで暮らすという予定ですが、田舎に帰った場合、そこでどうやって生計を立てていけるのか皆目見当がつきません。
先のことを模索しつつ、これからやっていくしかないと思います。

とりあえず、今後5年はけっこうはっきりした目標があります。
今、知的財産に関係した部署で、理工系の文書の校正をする仕事をしているので、それに役立つような知識や技術を身につけていきたいと思っています。
放送大学の自然の理解専攻を履修し、徐々に知識を得たいと思います。それと同時に地球の環境や資源についても考えていき、地球を守る何らかの活動に結び付けたいと思います。

また、今年か来年には普通車の免許をとりたいです。
この歳まで免許がなかったわけですが、田舎に帰った場合、どうしても足として車が必要になるので、40代のうちにとっておこうと思います。

上の子は来年、下の子は再来年で独立する予定ですから、東京で自活していくでしょう。
夫は仕事がどうなるかわからないので、田舎にいっしょに行けるかどうか今のところ見通しは立たないのですが、時と共に考えていこうと思います。
とりあえず、家族で共に過ごせる間は、家族の団欒などを大切にしたいです。

今やっている仕事を10年先まで活用させることができないかもしれないというのは、ちょっと残念です。何しろ田舎というのは企業などがあまりないので、今の仕事を活かせるような職場はないと思います。
それで、今まで日本語教師をして地域の国際交流活動などをしたり、放送大学で文学や芸術について勉強してきたので、役所の文化関係の仕事や博物館・美術館の関係の仕事ができないか、などと漠然と考えています。あるいは、自分で公文の教室でも開くのはどうかなと思っています。

とにかく、今後の5年間、母の健康を祈りつつ、東京と田舎を行き来しながら頑張っていきたいです。


食生活の重要性

2007-02-14 19:22:33 | 未分類過去
会社でよく休む人と、休まない人というのがある。
生まれながらの体の丈夫さなどもあるのだろうが、ふと気がついた。
サンプルは少ないのだが、今身近にいる人で、よく体調を崩して休むAさん、このひとは毎日時間ぎりぎりに出勤し、コンビニの袋をぶら下げている。そして、パンなどをほおばりながら仕事を始める。それから、ドリンク剤も毎朝飲んでいる。よほど疲れが溜まっているかと思える。結婚していて、小さな赤ちゃんもいる。奥さんが働いていたりしたら、育児も忙しく朝ごはんなんか作れないかもしれない。また、本人も家で食べる時間さえないような感じだ。当然お昼も手作り弁当ではなく、コンビニで買ってくるか外食をすることになる。
あんまり体にいい食生活はしているとは思えない。ヘビースモーカー。

もうひとりのBさん、この人は私が会社に行くといつもすでに席について仕事をしている。
病気で休んだことはない。青年海外協力隊でアフリカのほうに行っていた人だけあり、体は丈夫なようだ。そして、このひとも結婚していて小さい子供がいる。Bさんは、毎日お弁当を持ってくる。中身はどんなものか見たことがないが、奥さんが作るのだろう。奥さんが専業主婦かどうかは知らない。そして、食べ終わるとちゃんと弁当箱をきれいに洗い、しばらく空いた机の上で乾かしたあと、3時ころになるとしまっている。ずいぶんと几帳面である。煙草は吸わない。

上司のCさんも、病気で休んだことはなく、弁当を持ってきていて、食後は弁当箱を洗っている。煙草は吸わない。

こうやってみると、手作り弁当でタバコを吸わない人は健康であり、そうでない人は体調を崩しやすいということになる。

BさんやCさんの奥さんはよくできた人だと普通に思うわけである。
ところで、私はどうかというと、Aさんの奥さんはだめそうだと思いつつ、Aさんの奥さんと同じであり、夫に弁当を作ってやらない。子供の弁当は作るが夫のは作らないという最悪の妻である。自分自身も子供の弁当が不要になってからは、作ってもおにぎりくらいだし、コンビニ弁当を買って済ませることも多い。

夫は妻の弁当を持っていかない会社員であるわけだ。しかし、夫はまあよくも休まず働いている。煙草を吸わないのはいい。
以前は職場に従業員食堂があり、プロのシェフが作っていたからそれが幸いだったのかもしれない。それで、丈夫な体ができあがっているのかもしれないが、今の職場になってからは食べ物持参なので、健康によくない食生活が始まっている。

これからは私もちゃんとした手作り弁当をなるべく作ってあげようと思う。





テリー伊藤

2007-02-14 01:57:26 | 未分類過去
テリー伊藤さんは、テレビ番組でいろいろとはっきりした発言をする人で私は好きである。
だが、この人のことも人の意見を聞かない人だということで、嫌う人間が多かったようである。最近ではそうでもないような気がするし、かなり人気もあると思う。
スッキリやサンデージャポンに出ているのを見るのは楽しい。
アタマもきれるなと思う。オーラがある。

この人が、1949年12月27日生まれの団塊の世代である。
そして、左目が斜視なのは、日大生だったとき学生運動に参加していて、投石が目に当たり重症を負ったからだそうだ。このことは最近知ったのだが、目が変わっていることは強い個性の1つと思っていたのが、実はこの人の生き様であったことを知り、感銘のようなものを覚えた。
感銘などというと大げさであるが、たとえばの話、なんとなく周囲の勢いにのってデモに参加していたとしても、そのことにより一生残るような怪我をし、その後はそれを背負って人生を歩んできたということである。たとえば接客業などにつこうとしても顔に怪我の後遺症が残っていたら難しい。職業や就職にもかかわってきたはずだ。それでなお才能を発揮し活躍してきたというのは、やはりその人の並外れた能力である。

やはり、学生時代にそういう渦中にいて、その後の人生を強く歩んできた人だからこそ、今もズバズバと世の中の不正や納得できないことに対して意見を言える人なんだろうと思う。度胸がすわっている。
サングラスと帽子もサマになっているし、ファッションの個性も強く、遊びと余裕もあるところが魅力だ。自分というものをしっかりと持っている人だと感じる。


団塊の世代の特徴

2007-02-14 00:09:46 | 未分類過去
なぜか団塊の世代にこだわる自分である。
この間、団塊の世代のテレビ討論があった後、他の人のブログをいくつか読んでみたら、「団塊の世代の人たちに嫌悪感を覚える」「その世代は嫌いだ」「人の意見を聞かず自分の意見を一方的にまくし立てる」と言うような意見が多かった。
そういう意見は、私よりは若く、どうやら30代前後の人のものが多かったように感じる。
それは、段階の世代の子供くらいの世代なのかな?とも思った。また、新入社員で入った時に、その部署で課長くらいの役職についている人たちに相当するのかな?とも思った。自分の親父世代はたしかに煙ったいかもしれない。

ところで、私たち、団塊の世代より12歳くらい下の世代となると、意外にその世代との接点は少ない。親の世代ではないし、兄弟の世代でもないからである。
小中学校の先生は親の世代と同じであり、思うところ高校時代に教わった若めの先生が団塊の世代に近いように思う。当時30歳前後の先生は今60歳くらいだ。

子どもの頃にしてみれば、12歳も年上といえば、大先輩であり、かなり遠い存在で批判の相手ではなかったように思う。
小学校3年では、大学生が何を考え、何をやっているかもわからないわけだ。
高校時代は2歳年上でも尊敬していた。だからそれより上の先輩は偉大だと思っていた。

私たちの世代は高校のとき「三無主義」といわれた年代である。無気力、無責任、無感動、・・・勉強でもなんでも一生懸命やるのは格好が悪い。もしやっているとしても表面上はやる気がなさそうにしているというのが一般的なポーズである。
それで、実際にろくなことはしていない。

だが、見たことのない過去の先輩はもっとまじめな強いパワーを持っていたというイメージを持っていた。たとえば、体育祭の応援団とか、文化祭などに見られる高校に残っていた伝統からそれを感じ取った。

考えてみると、高校時代の先生はストライキをよくやっていた。授業が何日も自習になるわけだ。今になって思うと、さすがに学生運動の時代の人間らしいような気がする。不思議なことに、周囲の誰もが教員のストライキを批判しなかった。生徒も父兄もだ。それは先生たちの当然の権利だった。今の東京だったら受験に差し障るとか、学費を払っているのに等と言って生徒の父兄が大騒ぎしそうだし、生徒はそんなときにはバカらしいから登校しないと思うが、私たちは素直に登校して自習していた。
まあ、当時は国鉄でも会社でもどこでもストライキが普通に盛んに行われる時代だったが、私の高校は日教組の先生が多かった。考えてみれば、学生運動も日教組のストライキも団塊の世代の人たちが始めたものではなく、その前の世代の先輩に続いて従った行ないだといえる。いずれにしても自分の主張を前面に出して戦うような一時代昔の人たちである。
その世代が個性が強く言いたい放題という特徴は確かかもしれない。思想はそれぞれ違うだろうが、そのような自己主張の強い親の元でその被害を家庭で被っているのがその子供世代であり、嫌悪感が募るのだろう。

団塊の世代は自己主張が強い、品がない、自分本位である、意見を押し付ける、人のことを考えない、などという批判が多い。
確かにNHKの討論でも途中収拾がつかない状況になり、発言の許可も無く勝手に大声でまくし立てる人や、人の意見を最後まで聞かず途中でさえぎる人が多かったなと思う。
それは、パワーがあるという点では長所であり、強引自分本位だという点では短所である。
団塊の世代すべてが、そういう人間だというわけではないが、確かにそのような傾向はあるかもしれない。