山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

「遠い泣き声」(桐生典子)

2006-02-08 22:58:29 | 読書
あらすじ
主人公ふさ子は元女優であり、結婚しないで今は70歳を過ぎてひとりで暮している。
彼女には昔画家の恋人がいて、その相手との間にできた男の子を中絶した経験もあった。
彼女は、現在、「たまごっち」のようなゲームで恐竜を育て、その恐竜の世話と成長を楽しんでいた。彼女は家政婦を雇っていたが、その家政婦は恐竜に夢中になる彼女をボケてきていると思いこんでいた。
ある日、ふさ子の家に敦志という若い男性が、あなたの息子だといって尋ねてきた。そのふさ子は子供を産んだことがなかったし、その青年はどう考えても年齢も合わなかった。
しかし、ふさ子は青年を温かく家に迎え入れ、母子のように楽しく過ごすのだった。
その青年はふさ子の経営するアパートに住む大学生の由香里の友人の劇団員だった。由香里はふさ子の財産を狙い、実母と縁のなかった敦志をけし掛けたのだった。
敦志は、ふさ子をだまして演技していたのだとふさ子に打ち明けるのだったが、ふさ子は「わたしが相手役では不足だったのか」と答える。

ふさ子は、敦志が自分の子でないことを知りつつも、母子を演じる生活が楽しかったのだ。
そして、家政婦の芳枝と由香里が実の母子であることにも気づいていた。

ふさ子は70歳もすぎて、自分の過去の恋愛を現在のことのように思い出し、そして、母性に駆られていた。

その気持ちはよくわかるように思った。

この作品でも、過去に置き去りにしてきたものを取り戻そうとしているけなげな女性の姿が描かれていた。

この人の作品は、確かにすじの展開を楽しませてくれるものがある。
そして、テレビドラマにしたら不思議な魅力のある面白いものができるだろうなと思う。
3本立てくらいのドラマに仕上げたらいいと思う。

* * *

たまごっちは懐かしい。この作品は1998年のものらしいが、ちょうどその頃我が家でも子供たちがたまごっちやそれに似たものを育てていて、わたしも手伝ったりしていた。
ご飯やおやつを食べさせて、ウンチを片付け、病気になったら注射をし、寝たら布団をかけ、雨が降ったら傘、雪が降ったらマフラー、そして、あってむいてホイをして遊んであげる。恐竜やその生き物は育てられ方によって変身したり成長したりして、その寿命の長さもいろいろに変わる。単なるゲームなのに、本当に可愛くなってきて、死んでしまうと悲しみにくれたりした。

そんなゲームの中の恐竜育てにしても、過去の思い出には哀愁がある。
だから、本当の恋や過去に葬ってきた現実を今ここで仮想の世界に再現できるなら、しばらくはそれに浸りたいという気持ちは誰でもあるのだろう。
しかし、必ず現実に帰らなければならないし、過去は取り戻せないことを考えると、それに浸るのはやはり哀しい。
私は過去をとりもどそうとは思わない。
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