山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

「働くことと生きること」

2014-11-15 01:12:33 | 読書
水上勉の「働くことと生きること」を読みました。



先月、世田谷文学館で水上勉の「働くことと生きること」をテーマにした展示を見てきました。そこでは、水上勉の人生履歴や、たくさんの著作物・手書き原稿なども展示されていましたが、「働くことと生きること」というエッセイ集の内容が主に取り上げられていました。

この本をぜひ読んでみたいと思い、図書館で探してみると、区内に2冊しかないようで、その2冊とも貸出中でした。この展覧会を見た人が借りているのかなあと思いました。
でも、予約した翌日にはもう借りることができました。その本は、私が以前住んでいてよく通っていた図書館の蔵書であり、あの図書館の書棚にあった物かと思うと、懐かしく感じました。小さい図書館なのによくぞ有ったものです。本はリクエストするとすぐに頼んだ図書館まで運んで来てくれるので、ありがたいです。全く便利になりました。

この本は、水上勉自身が経験した仕事と、水上勉が仕事をする人間を目の当たりにして得た仕事観が著されていました。
初版は1982年であり、私が結婚した年のものです。借りたのは1991年の第4刷でした。今は絶版になっているそうで、書店で買うことはできません。
もし、あの頃読んだとしたら、どんなことを思ったのだろうか。

水上勉には若狭という土地のイメージがあります。でも私は若狭をしりません。日本海のほうで、なんとなく暗いイメージがあります。
水上勉の作品では、越前竹人形の印象からか、黙々と手作業で物を作る職人のイメージが昔から強かったです。

今回この本を読んでも、やはりそういう類のものに興味の強い人であることがわかりました。けっして華やかではなく、楽でもなく、地道な、人知れず物を作ったりする仕事、また人が忌み嫌うような仕事や割の合わない仕事、そういう仕事をしている人を、しっかりと見つめている人です。
モノ作りの職人、火葬場で死人を焼く人、墓穴を掘る人、険しい山に電線を引く人、等。

そして、中国で日本人に働かされる苦力(クーリー)とそれを監督する日本人・自分。代用教員・僧侶・寺の仕事・洋服屋。

水上勉という人は、目線が低い(上から目線ではけっしてない)。働く人と同じ高さで物事を見捉える人だなあと昔から感じていたけれど、やっぱりそれを改めて感じました。

それは、この人が、棺桶を作っていた父と下駄の鼻緒をつけ直していた母の子であり、寺に修行に出され、その後、寺を出て薬屋で働き、洋服のセールスをし、立命館大学に行くが中退し、役所の職業安定所のような所に勤め、そこで斡旋していた苦力監督に自ら就職し、そして山奥の保線工をし、代用教員をやり、・・・作家になり・・。
そういう人生を歩んできたからなのでしょう。

いま、一般的に職業について考えれば、仕事の条件や収入のことばかりが求められています。多くの人は、いかにして高学歴になり、高収入を得るかを求めます。または、いかに楽に手っ取り早く利益を得られるかを重要視します。
しかし、水上勉の目は、そういう視点とは全く違い、別の次元の価値観です。

それは無欲であり地道であることも尊重している。



私がこの本を読む前に読んだ本は「誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功の法則」というものでした。この場合は、人間はたった1度の人生なので欲を持って走って成功させなくてはいけません。

しかし、人は夢をかなえ、華々しく成功することだけが人生なのでしょうか?
そうではない生き方をする人もいて、それも人生です。たった1つのことをコツコツと地味に続けていることもまたその人間の立派な存在理由なのかもしれません。

仕事というのは、むしろ本来そういうものかもしれません。


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