山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

1,030km

2010-02-28 21:12:34 | 運転・車・道路の事
車を買ってから4ヶ月とちょっと。
4ヶ月で1,000kmを達成しようと思っていたのですが、1週間ほど過ぎたところで、なんとか1000km以上にこぎ着けました。
といっても、このうちの100~200kmは娘が走っているかもしれません。
ま、細かいことはいいとして、月に最低250kmくらいは車を走らせたいと思います。

初めは、1日に10kmくらいしか走れないこともあり、どうなることかと思いましたが、考えたら、そのペースで月日を重ねるはずがないということがわかってきました。
つまり、それは最初のうちは運転に慣れないからあんまり走れないのは当然であり、経験を重ねるうちに1回に走る距離は伸びていくはずです。
だから、今までこうだったからといって、それがそのまま続くわけではないのでした。

それで、今日はまた小金井・調布あたりを巡ってきたのですが、前回とは逆回りで、青梅街道・五日市街道・新小金井街道・連雀通り・武蔵境通り・神代植物公園通り・甲州街道という経路で走ってきました。
走行距離は37km。最初から休憩は考えていませんでした。
行った事のないところに行こうかとは思ったのですが、2月最後ということで今まで走った道の総復習ということにしました。

でも、甲州街道と神代植物公園通りは反対方向から走ったことは初めてだし、本当は新小金井街道から東八道路に出るつもりだったのに、小金井警察署のところで左に曲がってしまったため、連雀通りを走ることになりました。連雀通りは短距離だけ走ったことがあったようですが、こんなに長距離は走ったことがないと思います。武蔵境通りも走ったことのない区間を走りました。だから、新しい経験にもなりました。

どうも30数km程度しか走れないなあと思いますが、それでも逆に30数km程度は普通に走れるようになったということで、自分としては進歩かなと思います。
甲州街道もちょっと慣れてきた感じです。

このごろ、走っていてあんまり危ない場面に遭遇しないと思いますが、それって逆に今までは自分が危ないドライバーだったからじゃないのかな?と思いました。
変な車に遭遇しないということは、つまり、多少変なことをしている車がいても、早くに察知して対処できるようになったからかもしれないし、安全確認や危険予測ができるようになってきたからかもしれません。

ただ、慣れた頃が危ないというので、気をつけて走ろうと思います。
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初代マツダキャロル

2010-02-28 00:56:45 | 運転・車・道路の事
昨年初めて自動車免許を取り、現在ダイハツのムーヴを買って乗り始めたばかりの私だが、そのことから、「軽自動車進化の半世紀」という本を読み始めた。

そこで、思い出したのが、私が子供の時に、父が初めて買った車「マツダのキャロル」のことである。思い起こすと、この車は、私たち家族の生活にとって画期的なものだったと言える。
この本には、キャロルのことも掲載されているので、キャロルがどんな車であったかが再確認できた。

この本を読んで、軽自動車というのは、普通車とは全く違う規格から生まれたものだということがわかった。もともと軽自動車の前身は、二輪車に荷台をつけたような本当に小さなもので、運転免許証もいらないものであり、外国からの輸入4輪車に対して、国産で荷物を運ぶためのエンジンのついた車程度のものだったようだ。それがだんだん大きくなって、普通乗用車と比べても、機能や品質が劣らない車として進化してきたようだ。

車のメーカーは今現在日本で繁栄している有名会社が、ほぼ戦前から開発を始めており、その勢力は変わっていないと思える。
1958年ころ、普通車の分野では、ニッサンとトヨタ、軽自動車はスズキ、オート三輪でマツダ・ダイハツが力を入れていたようだ。ホンダは4輪にはまだ進出していなかった。
そのときにできたのが富士重工の“スバル”。これは完成度が高く画期的な車で軽自動車の新時代をもたらしたという。

スバルのことにも興味はあるのだが、今日はその後に出たキャロルのことを書く。

キャロルは1962年2月に発売された。その前はマツダクーペという乗用車が発売されていたが、キャロルは、乗用車としてできるかぎり豪華に作られたものだった。
これ以前は、マツダとダイハツは3輪トラックに力を入れていたようだが、このころからマツダは自家用車としての軽自動車、ダイハツは商用車としての軽自動車に力を入れ始めたようである。

以前、我が家にやってきたキャロルについて、このブログでも書いたことがあったかもしれないが、1960年代の末ころに中古で買ったキャロルは、私たち4人家族を乗せてよく走ったものだった。その前に買うつもりで試乗した車(車種不明)は坂道を上る力が異様に足りなかったため却下し、その代わりにやってきたキャロルに大満足したという経緯がある。

父が買ったキャロルがどのくらいの中古車だったのか、どんな形式のものだったのかは今となってはわからないが、本に載っている仕様を確認してみる。

エンジン 360CC
水冷4サイクル直列4気筒OHV型
シリンダーヘッド ブロック 共にアルミ合金製

当時の軽自動車はだいたい2気筒、空冷、2サイクルで、シリンダーは鉄だった。
マツダクーペは16馬力であり、キャロルは18馬力である。
アルミ合金は軽量で放熱性に優れているが、コストがかかり鋳造が簡単ではないそうだ。
キャロルを作ることはマツダにとってはコスト面では負担となるものと思えるが、マツダはそのときマツダファミリア800CCを開発しており、そこで実用化するというメリットがあったようだ。

キャロルのボディーは、クリフカットといって、ルーフを後方まで伸ばしてリアウィンドウを後ろに傾斜したスタイルにし、4人がゆったり乗れる形としたそうだ。
ただ、重量が500kgを超えていたのがちょっと重い。
しかし、小型車の機能を備えた本格的な乗用車だったとのこと。
価格は37万円で、機構のわりには安かったそうだ。
マツダはこのころから小型車部門での成功を計画しており、軽自動車はそのための布石だったそうだ。

たしかに、現在マツダの車は軽自動車よりも普通車のほうがメジャーである。
だが今現在、1960年代のキャロルとは形がぜんぜんちがうものの「キャロル」という車があることを知っておどろいた。

なつかしいな~、キャロル。キャロルは元気でかわいい車だったなと思う。
しかし、360CCで4人を乗せて走ってたなんて信じられない。
今から考えたらスピードもせいぜい40キロくらいだったんじゃないだろうか。
そういえば、当時ドライブに行くと、周囲によくスバルが走っていた。スバルってだいたい白かったような気がする。

さて、今のっているムーヴだが、ちょっと昔のキャロルと比較してみる。
水冷直列3気筒12バルブDOHC横置き。
排気量658CC.重量840㎏。

排気量も多くなり重量も重い。
キャロルは4気筒だったがムーヴは3気筒だ。
性能は現代のムーヴのほうがいいに決まっているけど、この半世紀、日本人は、車作りにがんばってきたんだな。

日本の車メーカーさん、これからも頑張っていい車作ってください!
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