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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

ある編集者のユートピア(世田谷美術館)

2019-05-18 23:28:28 | 美術・美術館

 

久しぶりに世田谷美術館の企画展に行った。

「ある編集者のユートピア」

小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校

 

小野二郎は、東京大学・大学院で英文学・比較文学を学び、卒業後、弘文堂で編集者として働く。

その後、仲間と晶文社を立ち上げた。編集者として、多くの本を出版した。

また、明治大学等で英文学を教えた。

19世紀後半にイギリスで活躍したウィリアム・モリスの研究者であり、モリスの構想を日本を舞台に展開させた。高山建築学校での活動も、その1つ。

小野二郎は、ジャズやロックや映画関係の書籍等も出版し、1960年から80年代にかけて出版文化に大きな影響を与えたが、52歳の時、心筋梗塞で急逝してしまった。 

ざっと、このような人らしい。

会場には、小野二郎やその仲間の人たちが関わった、たくさんの書籍が展示されていたが、手に取って中を見ることができないのが残念である。ちょっとどんな本か見ることができたら、もっと面白かっただろう。 

この人が亡くなったのが1982年4月だったと思う。

自分の個人的なことを書けば、私はこの年の5月に、たった2年勤めた会社を辞めて結婚している。それは22歳の時のことだ。4年制大学を出たとすれば、卒業と同時に結婚してしまったような年齢だった。 

実は、18歳くらいの頃は、自分が出版や編集の仕事に一生携わりたいと思っていたくらいだった。ところが、4年制大学の受験は失敗し、短大を卒業し、一応出版社という名の会社には勤めたものの、職工さんのような仕事を2年した後、もう1人で生きて行くのは疲れるからと思って楽な道を選んでしまったのだ。 

小野二郎氏が、このような活動をさかんにしていた時代に、自分は学生だったのだし、その後も、もしもっと熱心に出版の仕事等を続けていたら、私は今もこういう世界に身を置いていたのかもしれなかった。本当は、こういう世界が好きだったのかもしれなかった。 

しかし、もはや何ら関係ない世界に30年以上身を置いている。

失われた自分の年月を感じないではいられなかった。

そして、なんとなくとらえどころのないまま、会場を後にした。 

今日は、講演会があったのだが、1時に整理券配布、1時半に整理番号順に開場、2時開演、3時半終了という日程。いや、この間延びした時間にどうやって対応したらよいのだ?

終わる時間が遅すぎるので、中止にした。

ウィリアム・モリスのユートピア思想等も全然わからないまま帰ってきた。 

セタビカフェでガレットを食べ、ワークショップで、プラ板のステンドグラス風オーナメントを作ってきた。これは100円できれいなものができて嬉しかった。

(モリスのテーブル)

 

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濱田庄司展(世田谷美術館)

2018-08-22 22:53:38 | 美術・美術館
日曜日に世田谷美術館の濱田庄司展に行ってきました。

陶器の展示というのは珍しいです。

美術館に入ってすぐの展示が、とても美しくて目を見張りました。



ここは、いつも外の景色は見えないようになっているのですが、今回はガラスの窓から庭が見えます。

陶器の展示と調和して、とても素敵でした。



ここだけ、撮影がOKだったので、写してきました。

心が洗われるようです。

全体に、とてもセンスのある展示でした。学芸員さんすごい!



これは、いつも撮ってくるアングルなので、とりあえず今回も載せておこう。

この展示は26日までだったかな?今度の日曜日までです。

おススメです。
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高山辰雄展@セタビ

2018-05-27 22:21:57 | 美術・美術館


世田谷美術館に、「人間・高山辰雄展」を見に行った。



この人の絵は、パンフレットで地味だなあと思っていたけど、ほんとうに全体的に地味な絵が多かった。
日本画である。

東京藝大を出ている。東京藝大を出た画家は多い。

95歳まで生きて、一日中、蟻などの生き物を眺めていることがあったというのは、熊谷守一に似ているなと思った。
画家は長生きする人が多い。

絵は、人の他に、鳥や猫、犬も描かれていた。

一部、トラックなんかが描かれていて面白かった。

人間は、目が小さくて表情というようなものはないような、独特のものだった。
裸足である。絵の世界のなかに溶け込んでいるようだ。

花を描いても、何を描いても、人間を描きたいのだそうだ。
(たとえば、花瓶の花があったとしても、それは人間が飾ったもので、それを見て感じる人の存在があるからなのかな?)

たくさんの小さなサイズのスケッチがあるので驚いた。
大きな絵は、それをもとに、綿密に計算されて描かれているに違いない。

本の表紙もかなりあった。

大分出身で、その後、世田谷に住んでいたんだっけ?この後、大分で展覧会が開かれるそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日のランチは、セタビカフェで、久しぶりにガレットを食べた。サーモンとほうれん草。



先に昼を食べて、そのあと絵を見たのだ。

ガレットはちょっと、もの足りない感じ。

そこで、絵を見た後、公園の売店で、ソフトクリームを買った。



じゃ~ん、紫陽花ソフト!
いや、ウソウソ、そんなものはさすがにありません。
メロンソフト!



小金井公園で食べ損ねたやつと同じかな? 今時、ソフトクリームって、400円もするんだね。

ちょっと前は、250円くらいだと思ってたけど、物価が上がったな。

しかし、ソフトクリームは、やはりバニラが1番おいしいかも。。。



美術館の前の、ケヤキの木陰は気持ちいい。



あらためて、紫陽花を撮影。



そのあと、西側の運動公園のほうまで行ってみた。

広くて疲れた~



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森美術館「建築の日本展」

2018-05-23 23:42:46 | 美術・美術館
これに行ったのは5月9日のこと。
もうすっかり日にちが経ってしまって、記憶が薄れました。

とにかく、行ったということだけ記録しておこう。

六本木。地下鉄から地上に上がると、こんなだった。





この日は雨のちくもり。



六本木ヒルズ。

どこから入るんじゃ~ うろうろする。



ああ、ここですね。

・・・・・・・・・・・・・・・

ところで、美術館の中では、撮影可能なものもあり、撮影してきたのですが、
クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの許諾とかで
ブログ等に載せる場合は、表示方法が決まっているそうです。
そして、作者や作品名も明記しないといけないそうですが、
それがよくわからないので、
ブログに載せることはできません。

残念なり。

・・・・・・・・・・・・・・・

パンフレットもどっかにやっちゃったので、
地下鉄の通路で見かけた看板の写真だけ載せとこう。



・・・・・・・・・・・・・・・・

日本の建築については、ちょっと前に国立近代美術館の展示を見に行き、それとの共通点も結構あった。

自然との融合というか、日光や風を取り入れて快適な空間を作る。

そういう建築が世界でも注目されているのかな。

それから、色々な建築が展示されていて、それはもうたくさんで、終わりのほうは疲れはててしまったのだけど、

木造の古来の建築や、最近の建築物や、
有名な建築家の作品など、興味深かった。

建築って好きだ。

丹下健三って人は、やはりすごい人なんだなと思った。

昔の木造の寺院等も見に行きたいけど、最近の新しい建造物も実物を見てみたい。

そして、もし自分が、今後、家屋などを建てる機会があったとしたら、
ちょっと素敵な家が建てたいと思う。

小さくてもよいから、自然の風や光が通って、すごしやすい空間で、
造形もきれいな建物空間に憧れる。

建築の勉強したいなあ~~

・・・・・・・・・・・・・・・・

森美術館のあとは、屋内展望台を見てきた。



東京タワーと周囲の建物が模型みたい。
いやいや、模型が現実みたいに作ってあるのだから、これが現実。



見降ろすときれいだった。

この日、迎賓館の方向は見られなくなっていた。日中韓首脳会議があったからだと思う。



展望台の中の風景。

森美術館、展望台も見られるし、なかなかいい。



地上に戻る。

蜘蛛のオブジェ。

色がついてる。 以前はこんな色ついてなかったよね。



こりゃ何?

建築・・・10月までやってるので、もう一度行こうかな。



 
 

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サヴィニャックの絵ハガキ

2018-03-23 22:30:35 | 美術・美術館
練馬区立美術館のサヴィニャック展で買ってきた絵ハガキをご紹介します。
もう、かわいくて欲しいのがたくさんあったのですが、泣く泣く6枚に絞りました。
図録は4000円もしていて買えない・・・。



まずは《北部鉄道:ディーゼル特急》1937年
まだ名が売れていなかった初期のころのものです。
緑の電車がとってもかわいいでしょ。ちょっとアゲハの幼虫みたい。
AUTORAIL の文字の色使いもステキで、気に入りました。



《牛乳石鹸モンサヴォン》1948/1950年

これが、サヴィニャックの代表的作品と言ってもよいものらしい。
ピンクの牛の乳からミルクが流れ出て石鹸になっている。まさしく牛乳石鹸。
シンプルなデザインだけど、特徴を言いつくしている。牛のしっぽの感じとか、顔とかいいですね。



《毛糸の15日間》1951年

毛糸のポスターがたくさんあったので、1つ買ってきました。
羊がそのまま毛糸になってしまっている。

サヴィニャックの代表的な手法の1つ。
たとえば、鶏がチキンスープを美味しそうに飲んでいたり、上半身の牛とか豚とかが自分の下半身で作られた食品をおいしそうに食べて満足しているデザイン。
よく考えるとちょっと残酷なのですが、その幸せそうな表情に心が和んでしまいます。
でも、ヒツジは毛だから死なないよねと思って、羊の絵を選びました。

毛糸のポスターでは、毛糸が自分で自分を編むデザインなどありました。



《エールフランス航空:世界で1番広いネットワーク》

これは、会場で「わあ~かわいい~~~」と感動してしまった作品。
このカラフルな国旗の模様のキリンがたまらないですね。
紺色の地に明るい配色がとても映えています。空を飛んでいるエールフランス。キリンの色もエールフランスを基調としている。これは絶対に欲しかった。



《森永ミルクチョコレート》1951年

日本の企業も、彼にポスターを注文したんですね。デザインはそれほど好きなわけではないけれど、森永のポスターということで買ってきました。
背の低い男の子が椅子の上に立って隣の女の子と同じ高さになっているところが面白い。
板チョコの大きさがすごい。巨大なチョコを2人並んでかぶりつくという発想はすごいですね。
地の黄色も良い色です。



《としまえん 7つのプール》1989年

これは、新しいです。としまえんもサヴィニャックにポスターを依頼していたのかと驚き。
白くま・赤い海水パンツ・青い水に白い氷。白クマの表情もいいですね。
暑い夏はプールで泳いだら気持ち良いよと言っているみたいです。

としまえんのプールのポスターは、これのほかにブタのものもあり、私はそっちの方が好きでしたが、絵ハガキはこっちしかありませんでした。

としまえんのポスターということで、記念に買っておきたかったので買いました。

このほかに、緑の木の下で、黄色いオレンジのジュースを飲んでいるデザインの絵ハガキも欲しかったのですが、あきらめました。

1枚150円。6枚で900円でした。
もう1枚買うと1000円を越えてしまうのでね。

もうちょっと安かったらなあ~~



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練馬区立美術の森緑地

2018-03-22 22:37:30 | 美術・美術館
昨日行った「練馬区立美術館」の前の公園です。
「幻想動物園」とか、書いてありましたが、いろんな動物がいて本当に動物園のようです。



まず、目に入ったのが、大根の胴体の馬でしたが、顔は植物でできていますね。

そして、緑の植物でできた熊さん。





カラフルなキリン。

サヴィニャック展を見て美術館を出ると、雪が激しくなっておりました。



象にトンボに・・・いろんなものが居ます。



雪の中のライオン。



ワンコたちにも雪が積もってますが、ほんわかとした表情。



ゴリラもいます。



これは何かな? 緑のも居ましたね。

そのほかに、ペンギンや亀などもいましたが、雪の中で撮影はほどほどにしておきました。

支離滅裂といえば支離滅裂な動物たちですが、楽しい世界を醸し出していました。

この雪でこれですから、晴れていたらもっともっと楽しい世界なんでしょうね。





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サヴィニャック(練馬区立美術館)

2018-03-21 21:39:59 | 美術・美術館
雨の中を、練馬区立美術館に向かいました。
今日は、サヴィニャックという人のポスターの展示をやっていました。



練馬区立美術館は、久しぶりに行ったら、外がとてもきれいになっていました。
たくさんのカラフルな動物の像が設置されていて楽しいです。(そちらの画像は改めて。)
あいにくの雨、そして雪に変わりましたが、明るく楽しい気分になれました。

そして、サヴィニャックも、とても楽しいポスターでした。



ここだけ撮影可能です。

サヴィニャックはフランス人で、パリの街中にその広告ポスターが貼られたとのこと。
街の中の風景になっていたようです。

清涼飲料水・ジュース・作業着・毛糸・電球・電車・タバコ・石鹸・etc.
様々な会社の商品の広告ポスターがあり、どれも楽しいデザインでした。

日本のポスターも手掛けています。
豊島園のプールや、森永チョコレートなどがありました。

94歳まで生きたようです。

会場は、順路を示す物までかわいいデザインでできていました。

入り口の扉にも作品が。




ロビーのガラスには、世界地図のデザインのワンちゃん。(会場内にある作品です。)
水色の海の色で、背中の模様は世界地図です。

この犬は、ココガミソ。



うまくつながるかな?画像を切って並べてみましたがちょっとずれちゃいました。
元は、柱になっていて、ぐるっと回ってちょうどお尻の穴に目がはまるようになっているんです。自分のお尻をのぞいちゃう好奇心旺盛なワンコ。旅行会社の広告だそうです。

展示を見終わって外に出ると、なんと雪になっておりました。



外の金のオブジェに雪が降りしきります。・・・私が写ってるよ~。

そして、駅と美術館の間の道路にも、サヴィニャックの作品が・・・





寒い!
雪の中をかじかむ手で必死に写したのですが、
天気がよかったらもっときれいに写っただろうなあ。

絵ハガキも買ってきたし、外の広場の写真も撮ってきたので、また載せますね。

とんでもない寒い日でしたが、心のあたたまる美術館でした。










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フェルメールブルー

2018-03-19 23:51:42 | 美術・美術館
ヨハネス・フェルメール 《牛乳を注ぐ女》


小田急ロマンスカー 《MSE60000形》


なるほど、フェルメールブルー





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世田谷美術館「パリジェンヌ展」

2018-02-25 23:46:45 | 美術・美術館
昨日のことなのに、色々盛りだくさんな事があって、さらに本日はひきこもりで昔の写真編集作業をしていたため、ますます昨日の記憶がなくなってしまった。

とりあえず、昨日の写真だけ載せておこう。



まずは、いつもの撮影スポット。





やはり、この絵がいい。
(そういえば、このあいだ見た映画「今夜ロマンス劇場で」の綾瀬はるかもパリジェンヌみたいだったなあ。こんな雰囲気があった。)

この絵のモデルは、たしか、パリジェンヌと言っても、アメリカ人だったと思う。
アメリカの女性たちもパリジェンヌに憧れて、パリで流行したファッションを取りいれたそうだ。

そういえば、今回の企画展は「ボストン美術館」のものなのである。
フランスじゃない。アメリカなのだ。
だから、そういう視点も入っている。
より客観的に、歴史や女性の生き方やファッション・芸術などを展示していた。

1 パリという舞台 邸宅と劇場にみる18世紀のエレガンス
2 日々の生活家 庭と仕事、女性の役割
3 「パリジェンヌ」の確立 憧れのスタイル
4 芸術をとりまく環境 制作者、モデル、ミューズ
5 モダン・シーン 舞台、街角、スタジオ

という構成だった。

ランチはいつものセタビカフェ。



ワンプレートランチとガレットは無いみたいだった。時間がかかるからやめたのかな?

そのあと、解説のトークを講堂で聴いて、美術館を出た。

砧公園の中の梅園に行ってみた。



やはり、この季節にはいつものように咲いている。



ピンクと白。



とても穏やかで暖かい日だった。














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「没後40年、熊谷守一」展

2018-01-08 23:53:24 | 美術・美術館
結局今日は、東京国立近代美術館の熊谷守一展に行ってきた。



熊谷守一の絵は、数年前にもらったカレンダーがそれだったので、それ以来関心を持っている。そして、一昨年は、豊島区にある熊谷守一の美術館に行ってみた。
あの時は「榧」(かや)というのが、次女の名前とは知らず、作品名なのか、それとも守一の別名なのかと思い、読み方もわからないものだから、恥を忍んで館内の人を作品の前まで呼んで、何なのかを聞いてしまった。守一の作品だけだと思い込んでいたのだが、「熊谷榧」の作品もあり、そして、そこの館長さんでもあったのだ。いやいや、聞くは一時の恥である。

さて、今日はチケットを学割で買おうと学生証を出したら、1200円のところ600円になった。大学生800円だと思っていたので安くて驚いた。放送大学は、国立美術館キャンパスメンバーズという割引がきくらしい。そう言えば、以前もバカに安いなと思ったことがある。
入館料が安かったので、イヤホンガイド520円と、絵葉書5枚にキーホルダーまで買ってしまった。

イヤホンガイドは、樹木希林と山崎勉によるナレーションで、とても味がある。この人たちが出演する、熊谷守一の映画ができるようだから、そちらもぜひ見に行こうと思う。(「モリのいる場所」5月公開)



熊谷守一についてわかったこと

東京美術学校(現在の東京藝大)の出身。そのころの同級生に青木繁がいて、親しかったそうだ。
そのころは、暗い光の中の絵を描いていた。ろうそくの火に照らした自画像や、逆光で陰になっている裸婦像などがあった。

また、女性が電車に轢かれるのに遭遇したことをきっかけに、轢死した女性の絵を何度も描いている。その姿がよほど衝撃的だったのだろう。そして、横たわった遺体は、絵を90度回転させると、身体が起きて、生き返ったようになることに気付いたそうだ。

42歳で、24歳の女性と結婚する。そして子供にも恵まれる。しかし、5人いた子供のうち3人の子どもが亡くなってしまう。次男は4歳で亡くなり、この子はこの世に何も残さないで亡くなったと感じ、遺体の絵を描いた。長女は結核で20歳を過ぎてから亡くなったが、その数年後に長女の姿を描いている。それから、火葬場からの帰り道に3人が歩いている絵も数年後に描いた。骨壷と本人の髭が白い。この絵の構図は、外国の画家の絵と共通するものがあるそうだ。

轢死に遭遇することについては、夏目漱石の三四郎の中にも同じような場面が出てくるそうであるが、どちらかが先に作品を出して影響されたわけでもなく、同時期に偶然同じことをかいているらしい。

熊谷守一は、暗闇の中の光に関心を持っていたようだが、後には、明るい絵を描くようになる。明るい色を重ねていると、自然にそれよりも暗い部分が影となって現れるのだそうだ。

また、輪郭を赤い線で描き始める。
そして、絵はだんだん単純化されシンプルになって行く。

裸婦像には顔がない。情が移るからだそうだ。美しいと感じる顔は人それぞれに違う。

裸婦・女性の身体が山の景色のようになり、山が女性の身体のようにも見える。

馬が好きである。馬の絵や牛の絵も多い。

晩年は、あまり外に出歩かなくなり、家の庭で植物や虫などを描くことが多くなる。
庭に棲んでいる複数の猫の絵も描いている。それぞれに性格が違うという。

70歳を過ぎても、マチスや他の西洋画家の絵から新しい手法を取り入れて自分の絵を描いて行く。

晩年は、同じモチーフを使って複数の絵を描く。

光に関心を持っていたが、太陽そのものを描く。

97歳で安らかに永眠する。

・・・・・・・・・

忘れないように、思い出したことを書いておいた。まだまだ色々あるけど、今日は遅くなってしまったのでひとまず終わりにする。

今日の展覧会は、熊谷守一の一生と、その作品の変遷がわかってよかった。


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陶匠 辻清明の世界(東京国立近代美術館工芸館)

2017-09-30 20:53:45 | 美術・美術館
「日本の家」(東京国立近代美術館)を見たあと、工芸館に行ってみました。
これまで何度か近代美術館には行ったことがあるのですが、そのチケットに一緒に付いている工芸館に行ったのは初めてでした。

工芸館開館40周年記念特別展で「辻清明の世界」というのをやっていました。



工芸館は、美術館から徒歩5分くらいのところにあります。その建物がみごとです。



明治43年(1910年)に陸軍技師の田村鎮(やすし)の設計によって建築されたゴシック様式の建物です。

なんとなく東京駅丸の内駅舎にも似ているように思えましたが、東京駅は1914年で、ヴィクトリアンゴシック様式というもので、辰野金吾という人の設計だそうです。時期的には同じ頃の建造ですね。

日本人によって設計されたこの当時の建物はあまり残っていないので、貴重なものだそうで、この工芸館の建物は重要文化財になっています。ちなみに東京駅も重要文化財です。



「旧近衛師団司令部庁舎」と書いてあります。



2階中央の階段を上がったところ。



玄関の上の位置に当たるのかな?個室になってます。



こちらは玄関ポーチの中から外を見たところです。

さて、展示です。

辻清明という人は知りませんでした。そのため最初はあまり関心もなく見て歩きました。

そして、最後に目を引いたのがこれです。



鬼の金棒ではなく、鬼の陶器の棒です。(作品名はどうなっていたかわかりません。)
とても大きくて重量感があり、まったく鬼でなければ持てないもので、すごい迫力でした。

それから、最後にビデオが上映されていたので、それを見ました。

その中で、この鬼の棒を制作している場面をみることができました。
1つではなくいくつも作っていました。
本体を形造ったあとで、このとげとげの突起部分をバンバンと叩きつけるようにして貼りつけているのがすごかったです。

とても男性的です。

いろいろな作品を釜に入れて薪をくべ、数日間も焼き続ける作業風景など、すごいなあと思いました。
辻清明氏とそのお弟子さんのような人たちが作業をしていました。

それを見て、初めて展示物に興味がわいてきました。



戻って、鬼の棒を見直し、それから帽子とステッキも見ました。
これも、制作風景の中で、焼き上がった帽子を作者がかぶってみている様子があって面白かったです。帽子を陶器で作るなんて考えつきません。



辻清明氏はこんな人です。とてもかっこいいです。

作品は撮影可能とのことで撮影させていただきました。もう一度戻っていろいろな作品を見ました。


きれいです。



この大きな鈴のような形のもの(鈴ではないですが何なんでしょうか?
作品名は「信楽大合子 天心」と書いてあります。
この作品もたくさん作っているようです。とても大きく堂々としています。
書もすごいです。







いいなと思うものをいくつか写してきました。

陶器はよくわかりませんが、出光美術館に行って古唐津などを見たことがありました。
それから、制作風景などを見たものでは、ルーシー・リーを思い出します。
女性で、小ぶりの電気かガスの釜を使っていたと思うので、今回の、薪をくべて焼くという昔ながらの大きな釜は興味深いものでした。

それでも、作者の作品に対する情熱や、焼き上がった作品を釜から出す時の期待感など、相通じるものがありました。

これは、見に行ってよかったなあと思います。

今後、近代美術館に行くときは、工芸館も必ず見てこようと思います。










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日本の家(東京国立近代美術館)

2017-09-30 00:48:19 | 美術・美術館
2週間くらい前に、東京国立近代美術館の「日本の家」展を見に行ってきました。
撮影可能な展示もたくさんあったので、写真をたくさん撮ってきたのですが、どれもこれも捨てがたく、その写真の多さゆえにブログをなかなか記せないままになっていました。

「1945年以降の建築と暮らし」という副題の展示ですが、多くの家の時代傾向というのではなく、建築家が作った特別な作品としての家でありました。
とはいえ、住む人あってのものなので、デザインのみならず住宅としての機能はもちろん、住む人の意向なども反映され、また強い個性を持った家をどう使いこなすかという、その家の住民までもが作品の一部のように見えるものもありました。



そんな中で、一番印象に強かったのは、上の写真の家ですが、映像で家の中が紹介されていてとても興味深かったです。(この写真じゃ全然わかりませんね。)

地上に駐車場スペースを作るために、その上部の建物を支えるのに、斜めに太いコンクリートの柱が渡っているのですが、それが部屋の中にあって、巨大な木の幹のようにも感じられます。

このような作りは、それが一見じゃまになりそうですが、そこに住む人は、むしろその家の個性に順応し、他の家にはない魅力を謳歌して生活しているふうでした。

人間に人格があるように、家にも家格があるのであって、この家はすごいなあと感じました。

 
  
次は、なんとも不思議な透明の壁の家です。55mm角の鉄骨を組み合わせた箱の集合でできているそうです。
隙間を組み合わせてできた空間。1990年代。建築家:藤本壮介
こんな家は住むには落ち着かないないだろうとは思いますが、街中に存在させてみるのは面白そうです。



順番がめちゃくちゃですが、こちらは細い敷地に建てられた家です。
住吉の長屋だったところ。 1970年代。建築家:安藤忠雄
中庭を挟んで家が分かれているので、庭を通って移動しないといけませんが、光や風や雨等の自然感覚を家のなかにとりこんでいるものです。

 

伊東豊雄の自宅
シルバーハット  「ハット」とは小屋のことだそうです。
内と外の境界があいまいな家。



顔の家。建築家:山下和正
京都で、住む人はグラフィックデザイナーで、人目をひく住宅兼事務所を注文したようです。

目は窓、鼻は換気、口は入り口で、中は普通の家。
1970年代。遊戯性のある家。

 

これはなんだっかたかな?
自然採光を取り入れた作りですね。

 

これは、ポニーと暮らす家。



屋根の家。屋根の上にいるのが好きな人のために作ったそうです。
屋根は川べりと同じように緩やかな傾斜になっているのが居心地がよい。
屋根の端は地面から1.9mと低く、地面から屋根の上の人に、料理を渡すこともできる。
屋根の上で食事をする。
家と自然をつなげる土着的な家。



これも結構印象が強かったです。
道路や人通りの中に家が一体化しているようです。



いろんな階段からそれぞれの部屋に上がって行く間取り。



鉄筋の建物ですが、それぞれの階に違うデザインのベランダがあり、木を植えてある。
木の文化は、精神的な軽さ、開放感をもたらす。

 

これは、農業をやっている人の個性的な家でした。

 

斎藤助教授の家。建築家:清家清
実物大に再現した建物。

縁側があり、部屋とつながっている。
平安時代の貴族の家である神殿作りに似ており、日本の伝統を受け継いでいる。
内側と外側の境界があいまい。

実際の建物は既に現地にはないようです、現地は傾斜地になっており、低予算でたてるために、もともとあった基礎を使ったので、宙に浮いている部分があるらしい。実物大に再現した建物では、傾斜地という地面との関係がよくわかりませんでした。

・・・・・・・・・・・・・

「日本の家」の展覧会は、日本の建築家が設計した1945年以降の家を紹介するもので、これまでローマとロンドンで展覧会が開催されたそうです。

日本の家の特徴として感じたことは、自然との一体化、共存が多いように思いました。
そのほかに、狭い面積での工夫や、面白さを楽しむ要素もありました。
まだまだ沢山の家がありましたが、とりあえず、このくらいにしておきます。

建築の展覧会は、世田谷美術館の竹中工務店展以来でしたが、なかなかおもしろかったです。
















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“日本の家”(東京国立近代美術館)無料音声ガイドアプリについて

2017-09-17 22:03:44 | 美術・美術館


東京国立近代美術館の企画展「日本の家」を見に行ってきました。
写真撮影可能な展示が多かったので、後ほど改めて掲載させていただこうと思います。

その前に、今回初めて、自分のスマホによる無料音声ガイドを利用することになったので、それについて書いておこうと思います。

チケットを買い、「日本の家」の展示入り口に入ったあとで、音声ガイドの表示(無料アプリの案内の掲示)を発見しました。
その前には、普通の有料の音声ガイドがあるのかないのかにも気付かなかったのですが、スマホで無料の音声ガイドが利用できるとのことで、これはよかったと思いました。

ところが、どうもやり方がわからないのです。アプリをダウンロードしないといけないのですが、その方法が説明を見てもよくわからず、結局美術館の係の人にやっていただきました。(これは私のスマホ操作無知による。)

係の方はとても親切でありがたかったのですが、その人たちの居る場所が、会場の外だったため、中から呼んできてもらい、その後、また一緒に会場の外に出たり入ったりしてやっていただくことになりました。イヤホンも外のカウンターで無料で貸していただけました。

できれば、イヤホンガイドの案内板と係の人とイヤホンの貸し出しが同じ場所にあれば、もっと便利だと思います。

また、会場内では、イヤホンガイドの1番は作品とは関係ない全般的な最初の案内だったのですが、2番の案内に相当する展示が見つからないので、しばらく展示を見たあともどったりして、うろうろ探し回ってしまいました。3番もなかなか見つからず、展示に番号がふってないのだろうかと思ったくらいです。結局2番の展示は最後のほうで、イヤホンガイドの番号と展示物の順番が違っていました。これもわかりにくい要素でした。

その間、スマホをずっと点けっぱなしなので、電池の消耗が激しく通信料もかかるだろうとヒヤヒヤしてしまいました。(通信料はダウンロードするときだけなのかな?)

そして、展示を全部見終わって会場から出てきたあとで、初めて無料wifiがあるという表示を発見しました。入る時からわかっていたら設定しておいたのですが、入り口にはそのような表示はなく(あったのかもしれませんが全く気が付きませんでした)、会場入り口よりももっと奥のほう(企画展の出口を出た所)にあったので、後の祭りです。

せっかくこのような便利なツールがあるのに、案内の場所が適切ではないと思います。

スマホを持っていても利用していない人も多かったようです。

たとえ無料wifiを利用しなくとも、有料のイヤホンガイドに比べたら、通信料と電池の費用は微々たるものなので、とても便利なものです。

これから行く方は、スマホにしっかり充電して行き、まず建物に入ったら無料wifiをセットし、展示場に入る前にイヤホンを借りて、アプリをダウンロードするとよいと思います。

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青梅市立美術館

2017-09-01 23:54:20 | 美術・美術館
青梅市立美術館に初めて行ってきました。



青梅街道をずっと西に向かって走って行くと、左側にあるのでとても行きやすいです。
平日だからか、駐車場も十分に空いていて、しかも無料でした。

9月3日までの展示は、「輝く女性ー美術界における女流ー」というものでした。

作品自体は、とりたてて気に入ったものはありませんでした。

会場の中の説明書きによれば、昔は東京藝大は男性しか入れなかったそうで、そのかわりに女子美術大学ができたそうです。

画家の会も、女性画家は活動に参加して作品を出してはいても、正会員は男性だけで、女性が正会員になったのは、何年もあとだったとか。

青梅では小島善太郎が女性にも絵を教えており、ここに展示されていたのはその女性たちの絵のようです。

入館料は200円でとても安いです。

16日から特別展「谷内六郎作品展」が開かれるそうです。こちらは500円ですが、それでも安いです。
あまり広くないし、作品の数も少ないので、こんな感じなのでしょう。

絵はともかく、このあたりの自然に惹かれました。

美術館からの眺め。



多摩川の河原と斜張橋が見えます。とてもきれいな景色です。

絵を見たあと、西のほうから下って行ってみました。



公園があり、1つ橋を渡りました。そこから写した景色です。簡保の宿があります。

河が湾曲していて、もう1回橋を渡ります。



その橋を渡りながら写したものです。これは美術館から見えた橋です。

そして、その橋からみた美術館です。



この橋のあたりは公園になっていて、川辺で遊べます。神社や郷土博物館等もあるようです。
川のそばには有料駐車場があり、1時間100円という安さでした。

今度また遊びに行こうと思います。


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画家「青木繁」の子孫

2017-07-31 01:17:29 | 美術・美術館
前記事に引き続き、気になったことを調べてみました。

若くしてこの世を去った画家「青木繁」は、福田たねとの間に息子を残しています。
この天才画家の子孫は、今どこかにいるのだろうか?というのが、私の関心でした。

そこで、調べてみると、この息子さんは「福田蘭童」というそうです。
青木繁は福田たね とは結婚はせず、この子が2歳のときに亡くなっています。
福田たねは、この子を末の弟として、父、福田豊吉の戸籍に入れてあるそうです。
豊吉は教師で私塾を開いており、福田蘭童は音楽家になったそうです。

そして、「福田蘭童」の息子は「福田エータロー」という人で、ハナ肇とクレージーキャッツのメンバーの1人でピアニストだそうです。
この人は1994年6月22日に亡くなっておりました。

そして、この人が結婚したとか子供がいたという情報はインターネット上ではみつかりませんでした。

つまり、青木繁の孫までは居たことがわかりましたが、今現在青木繁の絵の才能を継いだ子孫がいるということは無いようでした。

ところで、青木繁の絵画の絵ハガキなどが手元にないかと探してみましたが、ブリヂストン美術館のものはみつかりませんでした。

ただ、府中市美術館所蔵の「逝く春」という絵のハガキが1枚ありました。




これは、明治39年に描かれたもので、青木繁と福田たねとが恋愛中の頃のものだそうです。福田たねの作品として出品されたものですが、おそらく青木繁との合作であろうと言われているそうです。

この絵を会場で見た時は、一目で青木繁の絵だと感じ、近づいて見るとまさしくその通りでした。この女の人の顔や色合いは、たしかに青木繁の描く絵の特徴がありますね。


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