日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

7月、4連休のはてに・・・

2020年07月26日 | Weblog
 こんにちは。
 まだまだ梅雨があけそうにありませんね。毎日、空を見上げています。
 散歩もするのも敬遠しがちです。それでも、少しは体のことを考えて動かしている日々です。天気がいいときにはセミが鳴き始めています。空にはツバメが気持ちよさそうに飛んでいました。
 
 さて、今週は明けても、暮れてもコロナ、コロナの毎日でした。それというのも「緊急事態宣言」が解除されてからも感染者は増える傾向にあることに驚いています。都市部での感染増加は、これまでの数字より多くなっている日があることさえあります。思えば、通勤電車の「密」や「GoToトラベル」などでますます人の移動が多くなっていくわけですから当たり前といえば、当たり前なのでしょう。こんな状況をみていると、政府と都知事の見解が違うので驚いてしまいます。共通しているのは、どちらも抽象的で不透明なところでしょうか。

 都側でがこの連休は「自粛」を呼びかけていて、安倍首相は「医療提供体制も逼迫していないので、緊急事態宣言を発する状況ではない」という。さらに、東京都から現状分析を依頼された杏林大学の山口芳裕氏は「国のリーダーは『東京の医療は逼迫していない』と言うが誤りだ」と訴えていた。なんとも、こんな状況では、不安が増えるばかりのです。観光事業のことを考えてのこともあるのでしょうが、むしろ、観光事業者にしてみてもこんなときに旅行されても不安でしょう。国がやるべきことは事業継続のための予算をつくり、しっかりした保障体制をつくりあげることでしょう。こんなときだからこそ、1機何百憶円もする戦闘機を買う防衛予算より国民の生活が維持・継続できるしっかりとした予算をまわす決意が大事なことだと思いますが・・・。それぞれに「自己責任」を押し付けるようなことではなく、政治が国民のためにやるべきことはたくさんあるのだと思えます。
 

 今週、本来ならば東京五輪が始まっていて、日本中が五輪の応援をしていたころでしょう。現在の状況からみれば、五輪開催は無理なのようにみえます。世界中で1500万人もの感染者がでている状況のなかであるし、ワクチンもできていない状況でもあるし、感染者も減りそうもありません。
 新聞記事で新型コロナウイルスが世界で最初に拡大した中国湖北省武漢市の記事がありました。都市封鎖から半年、感染は収束し街は日常を取り戻しつつ状況を紹介していました。それでも、コロナの後遺症があるようで、今でも続く偏見や差別の日々でもあるとのことです。それでも、少しずつ日常生活を取り戻しつつあるようです。武漢市は今年の5月1000万人を対象にPCR検査を実施して「陰性」の結果を示した。それでも、まだ感染の不安があるとのことです。仕事もまだ不十分という日々でもあります。これまで、感染者の多くの死を経験したなかで、心的外傷も残っています。それでも、市民は「今までお金をたくさん稼ごうとしていた。でも今は命が一番大事だと考えるようになった」という声も出てきて、少しずつ元気をとりもどしているようです。


 今週、2020東京五輪がはなばなしく開催される予定だったのだろう。「体育の日」あらため「スポーツの日」という名前にも変えた。さらには「海の日」も重ねて、土・日曜日と4連休ということもあって盛り上がるもくろみだったのだろう。会場となる国立競技場も納期に悩んだ一人の自殺者を出して問題にもなった中で完成もした。世界中から来るであろう観光客のためのホテルも用意した。まさに、「お・も・て・な・し」のことばの中で、国中あるいは世界中が歓喜のなかに選手と観客が乱舞する週になるはずだった。
 ところが、今年1月末ごろから中国で新型ウイルスが発生した。その名前を新型コロナウイルス(COVID-19)。世界中がグローバル経済ということとなっていたため、一気に感染が世界中に広まったのだった。そこに来て、日本は東京五輪の開催国としての判断が求められていた。「どうすのだろう」という人々の気持ちのなかで、日本五輪委員会・政府・小池都政は悩んだ末、「延期」を決断したのだった。しかし、感染症は「時間とのたたかい」というわれる。判断が遅くなってしまったため、日本も一気に感染者が移動して増えたのだった。

 なにもかもが後手にまわった末、いまだに感染者が増えている・・・、となって「延期」となった。はっきりしたていることは、政治が先頭になってやるべきことが、医療関係への予算を増やすことやいまだのコロナ禍のなかで休業をする自営業者へ補償が大事になっていくのだろう。そして、ここにきていまだに感染者が増えている理由として、アメリカ、ブラジル、ロシアなどをみればあきらかに一国主義を強行する国が多いこともうなずける結果だと思う。アメリカなどは、中国との覇権を争っているありさまである。いまいちばんやるべきことを忘れている。国が大きいからそのツケが国民に大きくなっている。それが感染者の多さとなって現れているのだろうと思う。

 いったい、どこへ向かっているのだろうか・・・と思う。 
 考えてみれば、コロナがでてきた意味がいちばん問われる時間が今なのだろうと考えるようになった。一つの災害について、政治がどれだけの希望を作るのか、それができるのかが大事なのだと思う。決して、大きなビルを建てることでもなく、観光客を楽しませる建築でもなく、ばか高い戦闘機が持つことでもないだろう。いま大事なことは、人々がコロナ前よりも大変になった生活が、同じように元に戻らなくても、少しでも生きていてよかったいえる生活をつくろう、と思える政治が大事なときはないではないかと思いますが・・・。
 突然だが、コロナ感染が始まったころ、ドイツのメルケル首相の演説内容を思い出しました。その率直な呼びかけに素直にうなずいている自分がいました。政治家のメンツにつきあっていく必要はないんだなーとも思う。
 第163回芥川賞・直木賞が決まりましたね。最近では、芥川賞とか直木賞の作品にはあまり興味はないのですが、今の時代を象徴しているなんらかの作品であることは間違いないことです。興味がなくなった理由に本が高くなったことで文庫本になるまで待って読むようになりました。むしろ、受賞作家のその他の作品を図書館で借りて読むことが多くなりました。ところが、若い作家などはでていないこともあります。そんなこともあって、忘れてしまっています。きっと読んでいる本は、かつての芥川賞作家ということが多いようです。それというのも、身近に読んだ本の事を話す場所が少なくなったこともあるのだろう。

▼私はこのたびの旅行で見て来た町村の地勢、地質、天文、財政、沿革、教育、衛生などに就いて、専門家みたいな知ったかぶりの意見は避けたいと思う。~世人は仮りにその科目を愛と呼んでいる。人の心と人の心の触れ合いを研究する科目である。私はこのたびの旅行に於いて、主としてこの一科目を追及した。どこの部門から追及しても、結局は津軽の現在生きている姿を、そのまま読者に伝える事が出来たならば、昭和の津軽風土記として、まずまあ及第ではなかろうかと私は思っているのだが・・・。(p30)

▼大人のいうものは侘しいものだ。愛し合っていても、用心深くて、他人行儀を守らねばならぬ。なぜ、用心深くなければならぬであろう。その答は、なんでもない。見事に裏切られて赤恥をかいた事が多すぎるからである。人はあてにならないう発見は、青年の大人に移行する第一課である。裏切られた青年の姿である。(p41)

▼~津軽人としての私をつかもうとする念願である。言いかたを変えれば、津軽人とは、どんなものであったのか、それを見極たくて旅に出たのだった。(p49)

▼このたび私が津軽に来てぜひとも逢ってみたいひとがいた。私はそのひとを自分の母だと思っているのだ。三十年ちかく顔を忘れない。私は一生、その人に依って確定されたといってもいいかも知れない。(p187)

▼もう、何がどうなってもいいんだ。というような全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持ちの事を言うのだろうか。(p206)
太宰治(ダザイ・オサム)
(1909-1948)青森県金木村(現・五所川原市金木町)生れ。本名は津島修治。東大仏文科中退。在学中、非合法運動に関係するが、脱落。酒場の女性と鎌倉の小動崎で心中をはかり、ひとり助かる。1935(昭和10)年、「逆行」が、第1回芥川賞の次席となり、翌年、第一創作集『晩年』を刊行。この頃、パビナール中毒に悩む。1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚、平静をえて「富嶽百景」など多くの佳作を書く。戦後、『斜陽』などで流行作家となるが、『人間失格』を残し山崎富栄と玉川上水で入水自殺。


室生犀星「小景異情 その二」
ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの
 よしや うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても 帰るところにあるまじや

 私は、いちばんふるさとを感じることができる場所は、山道を歩いている時ぐらいであろうか。舗装されていない、でこぼこの道をころばないように歩いている時、風の音や鳥のこえがきこえては消えていくときだろう。通りすぎる景色と一緒に消えていく光景。できれば、40年ほど前にもどっての高尾山を歩きたいと思うことがある。静かな、寂しいくらいの山歩きの時代を思い出すときふるさとを感じる。それが、わたしが故郷の景色の原風景になっているのだろう。

 40年ほど前、一緒に歩いた友達のことを考えると『津軽』という作品が浮かびあがる。「津軽」のなかで太宰自身が故郷を感じたのは、風景よりも子ども時代に生きた幼なじみと会うたびでもあった。誰にでも一緒に野山をかけたりした風景は消えた者であっても記憶のどこかに生きているに違いない。そして何よりも、自分をこの世に産み出してくれた母の姿があるように思う。夏目漱石の『坊ちゃん』には清という育ての親がいるように、太宰にはたけという育ての親があったのだろう。そういう人たちを思い出すことができた本である。

やまない雨はない
コロナ禍のなか
雨降る天をながめている
地上に雨が降っている音が鳴りひびく
もうすこしすると梅雨あけだという
きっと一年の途中のひびきだろう

鳥たちは夜明けとを待っていたかのように
空に鳴き、飛び立っていく
さあー一日の始まりだと
無意識に動くその羽音がうれしい

コロナウイルスも季節を感じいているのだろうか
私たちと共存することを拒み
いまは悲しみ、苦しみばかかり背負い
いつかは必要なウイルスと変身してくれるのだろうか
そんな日がいつか来ると思いたいが

ウイルスの文句ばかり考える日々だが
人類というという生を考え
社会というかたちのひずみに気づかせて考えさせた
そのひとつひとつが後悔がないように


 4連休と思って楽しくなると思っていたら、新型コロナウイルス感染がいっこうに減らず、結局「自粛」が宣伝された休みだった。地元でも、必ずといっていいほど感染者の数字が増えていった。
 いったいどうなっていくのだろうと・・・不安ばかりかかえての休みだったように思う。そんなこともあり、楽しみにしていた山歩きも中止にした。空模様もよくなく雨ばかりの続いた連休だった。

 2020東京五輪が開催される予定で「スポーツの日」ができたのに、完全に当てがはずれた。全国的にコロナ感染者が増える4連休になってしまった。
 きっと、「普通なら」という言葉を使えば、今頃は、オリンピックを筆頭に、高校野球の地方大会やプロ野球のオールスター投票などでスポーツ界は溜息と歓声でもりあがっているころだったはずだろう。
 本当に来年できるのか? という思いはますます色濃くなってきた休みだった。
 思えな、今年にはいって、新型コロナウイルス感染があっという間に世界中にまん延し、それぞれの国がその対応に追われてしまった。「感染症は時間とのたたかい」ということがいわれるなか、日本ではオリンピックの開催か延期か、あるいは中止かで、新型コロナウイルス感染への対応が遅れたことはまだ記憶に新しいところだろう。緊急事態宣言」や「PCR検査」なども遅れたりした本当の理由は、オリンピックか新型コロナウイルスかの二者択一に翻弄された日々だったのだろう。その判断の遅さと、政治家の政策が遅れてしまったツケが今週までずっと続いている結果となったように思う。
 とはいえ、この状況はいつまで続くのだろうか。いつも、頭のかたすみに「コロナ」を気にしながら生活が続いているなかで、感染者が少なくならない状況がニュースになるのを見たりすると、なんにつけやる気が失せていくようになってしまう。コロナに怯えてはいなくても、気持ちが滅入ることが多いように思う。これに輪をかけてやることがうまくいかないと何故かコロナのせいだという気持ちにもなってしまう。
 さらに、コロナ商品などの宣伝などが流されると「こんちくしょう」とも声をあげたくなることもある。

 だれかに奴当たりをしたところで解決することはないことは知っているのだ。
 こんなとき、以前から計画中の山歩きなど思い切ってやるのも解決策だろうと思う。自分が楽しく送れる時間をつくることが大切なのだろうと思う。
 「不要不急の外出」とはそれぞれ個人差があるのだから、最低限、自分が楽しめるものを「自粛」という言葉で一くくりされることが、コロナウイルスとともに嫌いなことだろう。
 も一度、コロナ禍での行動を復習していくしかないようだ。
 今月も終わります。
 来月はどんな月にしたいのでしょうか?
 コロナ禍は当分つづきそうです。
 では、この辺で失礼します。
 読んでくれたひと、ありがとうございました。