日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

3月の土曜日は忙しい…

2015年03月15日 | Weblog


 こんにちは…
 まだまだ、寒い日が続いています。散歩にいくにもちょと気おくれする休日です。
 それでも、巷では卒業式が行なわれている様子で袴すがたの女性などをみかけることが多いです。子どもから大人までなんにつけ「卒業」のシーズンなのでしょう。
 どんな思いで、卒業式をむかえているのか…。それでも4月にむかって日々が進んでいることには変わりません。
 散歩の途中では桜も咲いていました。河内桜でしょう。季節は、一歩一歩前へむかっているようです。

 サッカー日本代表の監督がきまったようです。ヴァヒド・ハリルホジッチ( 1952年10月15日)という名前のユーゴスラビア(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)出身の監督だそうです。
 ぼくとしては、南米の監督よりヨーロッパの監督のほうをいいと思っていましたが、これはとてもいいニュースです。まして、元日本代表オシム監督とも知り合いということもいいニュースです。オシム監督の就任・指揮半ばで病気のため代表監督を降りた「志」を引き継いでくれるのではないかと思えます。
 今年から、いよいよワールドカップの予選が始まります。ぜひとも、強いチームつくりを期待したいです。

 さて、今週は東日本大震災から4年目。
 これまでの災害の阪神だ震災や御嶽山の噴火など、未曽有の災害を日本人は受けてきました。自然がつくりだした避けられない災害。これには、人はいかんとともしがたいことです。しかい、東日本大震災はちがっていました。自然災害プラス人災でも福島第一原発の爆発がありました。チェルノブイリ原発事故以上の放射能漏れによる災害は、これまでに経験したことの大災害であることは、いまでも収束し展望がみえない事実からしても大変なことなのだといえるのではないのでしょうか。このことで町は「復興」はできても、人の心に「復興」は永遠に訪れないような気がします。さらに、政府は、世界中に日本は唯一の原爆の被害国であるにもかかわらず、放射能をつくることをやめるどころではなく、原発再稼働を計画しているという事実にはあ然とするばかりです。



 鹿児島の川内原発の再稼働もしようしていることにも不安はかくせません…。
 今週、ニュースでは「大震災4年目」の企画で放映されていました。津波でおおくのがれきのやまを片づけて復興している様子がみられました。こういうことは、どうにかなるのでしょう。でも、大事なことは福島原発の放射能対策やそれで避難した人たちの対策、さらには放射能をあびた子どもたちの健康対策がいちばん大切になってくるのでしょう。その対策に重点にしながら、今後の原発は造らない、稼働させないをはっきりさせ、安心をつくることではないかと思います。

 沖縄の辺野古基地移設の工事も、昨年の沖縄県知事選挙、衆議院選挙でも民意は「ノー」であるにもかかわらず進むという動きもあった週でした。
 なぜ、こんなに強行しようとしているのか、本当のことを知りたいです。
 政府は今年に入って「集団的自衛権行使」にむけ、ますます具体的に実行できるように安全保障関係の法案を次々にだしています。そのいくさくは「憲法改正」をもくろみ、強いては武器を使えるような自衛隊にしたいのでしょう。これが『積極的平和主義』の本当の姿なのではないのでは…と思えます。



 週末、職場の人の送別会に出席してきた。
 病気でも途中退職ということで、職場を去るとうことはきっと残念だったのだろうと思う。しかし、これ以上仕事をする体調がもどることはないと判断した結果だから仕方がないとのだろう。それでも、他人事ではないように考えてしまうのは、その人との年齢が近い、新しい職場を起ち上げた仲間としてさみしい。

 そんなことになってしまったことに反省しなければならない一方で、二度とそんな形でやめる人をださないように考えないといけないのでは思う。
 まわりも見渡せば「そうなっているのだろうか…」と。
 現実には前よりわるくなっているのではと思いつつ帰った送別会だった。人は減るし、仕事の量は他の職場のこととの連携のない仕事のノルマになっている。結果さえよければ、人の体調などおかまいなしの経営のありかたに「赤信号」がともった送別会だったのではにかと思う。それを防ぐための取り組みはいったいどうなっているのか。もう一度職場を見つめなおす春になるのではないかと…。

 働くことは大切なことだが、健康を害しして経営をし、これらはを黙認していることは正常だといえない。
 おおよそ、人のありかたを考えていない上司は、考えられない上司は最悪のパターンだろう。
 そのことによって、それぞれ個人プレーで修復しようとすることには、限界があるだろうし決してほめられたことではない。それを、考えるのが労働組合であったり、上司だろう。
 



 人が何十年も携わってきた仕事を辞めるということは、人生の節目でもあるはず。その場所に立ち会っていない上司は最悪だろう…ね。その、招待もないこおとを反省してほしいなあ…、と思った。
 と、思うと今の職場は、形ばかりはノルマを消化しているが、人が仕事をする場としての「場」になっていないような気がしてしようがない。
 自分が働いて場所が、ただの一日の仕事のことだけを流していくような職場はさみしいものではないでしょうか。何十年もいる場所であるはず…。そこでは、きっと昨日とは違うことが起きているのです。そして、その時間も昨日とは違う感情ができているのです。誰でも昨日よりはいい一日にしようと頑張っていられる職場でありたいと仕事をしているのではないかと思います。
 それならば、なおさらいい人間関係をつくっていくことが大事でしょう。
 


 今回の送別会は、道なかばで病気になってしまってやむを得ず退職したことになっています。でも、本当はもっと前のできごとから、進んでいたのではないかと思います。
 日々の仕事があたえるストレスが積み重なって、当事者に信号をおくっていたのでしょう。それを強引に続けた結果、みちなかばの退職だったように思えます。
 ただ救いなのは、ぼくにはけっして真似ができないほど仕事のお客様の方がぜひやろうと呼びかけて、開催してくれたことでした。ぼくには、こういうお客様はできないでしょうから…。
 ぼくも知っている人もいっぱいいました。ながーいつきあいです。これからも大事にしていきたいものです。

それでは、今週はこの辺で…。また来週。
読んでくれた人、ありがとうございました。