日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

書中お見舞い申し上げます

2014年08月03日 | Weblog



 こんいちは……。
 書中お見舞い申し上げます。

 季節は盛夏。歩くところから汗がおちる季節になってきました。うっかり、水分補給をおこたると立ちくらみ(熱中症)がします。この時期は、無理はせずにできるだけ楽をして過ごす月なのではないんかなあ、と思います。
 東京にくらして30年。この時期は、ビルの谷間はできるだけさけクーラーのきいたビルを移動するようにしたいものです。アルコールを飲んでいい気持ちになって昼間から暑い場所で寝込んでしまうと危険ですよ。

 今週、危険といえば佐世保での「高校生の殺人事件」には驚きました。なんでこんなことが起きてしまうのか……。優しさが殺人の動機みたいなところもあって、こうなるといったい人は何を信頼していいのかわからなくなるような気がします。まだまだ、容疑者の女子高校生の動機が不明な点も多いと思えます。まいってしまう事件でした。

 さて、今週久しぶりに集会に参加してきました。それも、いまいちばんの旬のテーマでもある「集団的自衛権」と「沖縄の平和闘争」についての講演でした。会場は熱気で盛り上がっていました。久しぶりに熱い政治の場所に遭いました。ということは、やはり危険きわまりない法案なのだろうと考えてしまいます。そんなことと思いつつレポートしてみました。

 


憲法破壊の閣議決定を今すぐ撤回しろ!
(戦争させない1000人委員会7.31集会)
7月31日(木)お茶の水・電通会館ホール 午後6時30分~8時30分

集会参加レポート・私の感想です
 7月1日に安倍内閣が「集団的自衛権行使」の閣議決定を行ってから1カ月。閣議決定から憲法改定までの暴走を防ごうということで集会は行われていました。
 夕暮れの神保町の会場は500人以上。立ち見の人もいるほどでした。会場の熱気は「これは本気だな」と思えました。これが、集団的自衛権への良識ある市民の声だと思えました。
 私は、今回の集会への参加は久しぶりでした。さて、どんなものなのか? と思っていまいした。今回の集会を私なりにいえばこれまでの、そしてこれからをすすむ方向を再確認した集会でもあったと思います。正直なところ、「こんな時代で、個々人がバラバラな状態が印象にあったのでどれだけ集団的自衛権で集まるのかな」と疑心暗鬼でもありました。会場に行って「びっくり!」。満員の会場に「本気さ」を強く感じました。(35年ほど前に集会やデモに行ったときの景色がいつの間にか蘇ってもきました)

 今回のメインテーマは「集団的自衛権の歴史的背景」でした。
 前半は講師の浦田一郎(明治大学法学部教授)さんの講演でした。憲法をめぐる歴代の首相や当時の外交情勢などを講演していました。そのなかでも、自衛隊の活動について憲法のなかでどれだけ可能であるのか、ということをいっていました。「専守防衛」のために自衛隊の活動の許容範囲や「集団的自衛権は」はどこまで可能であるのかということも研究テーマでもあったようです。
 講演は教授の講義であったので眠くなってしまうほど、たんたんと報告をしていました。実際に「集団的自衛権」の歴史は大事なテーマであること思います。知ることも必要だと思えます。それは、今回の安倍政権が簡単に公明党との与党同士の閣議決定で決めるまでには、自民党内で憲法9条のことを鑑みれば絶対に集団的自衛権によって、自衛隊の武器使用は認めない、という時代もあったという事実です。歴史的経過のなかでなぜそれほど反対したことがあったのか、ということを知ることは憲法を知る上で大事なことだと思います。

※集団的自衛権とは(集団的自衛権の歴史)=豆知識です
 自国と密接にある外国が武力攻撃をうけていて、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止する権利。
例には、集団的自衛の行使は1965年のベトナム戦争で南ベトナム政権の要請によってアメリカが軍事介入したことがあります。また、韓国も米韓相互防衛条約によって介入をしました。日本では、沖縄が嘉手納基地からB52爆撃機が作戦の拠点として利用されていました。(ちなみにこのときの死者は米国56,000人、韓国5,000人、南北ベトナム合計90万人。大量の化学兵器枯葉剤使用)
最近では英国のブレアで政権がイラク参戦で敗北をしています(劣化ウラン弾)。戦争で生存してかえっても心的外傷後ストレス障害(PTSD)が発症して問題になっている。

参考:「日本は戦争をするのか」半田滋著・岩波新書。

後半は沖縄平和運動センター副議長の福元勇司さんの沖縄の現地報告がされました。
 今、沖縄は米軍基地を普天間から名護市辺野古に移設問題の反対運動の報告でした。そのなかでは、政府の強硬姿勢の移設に対応して、沖縄県民の声を聞けというなかでの現状が報告されました。
 沖縄県知事の移設反対を反古からはじまり、安倍政権の後ろだてにより反対者へのきりくずしが行われている事実を当地の新聞(沖縄タイムズ・琉球新報)から抜粋して報告されていました。
 今後は11月の県知事選を目標に「辺野古移設反対」をつくりあげていく決意表明をして終わりました。

※詳細はこちらでどうぞ。戦争させない1000人委員会 



 最後に集会に参加して思ったことは、勉強することは山ほどあるということでした。
学者はいろいろと過去のことを引っ張り出して、こねくりまわし、私たちの目に前に提起します。それを理屈でうまくまとめているように思えました。それよりも自分の気持ちを素直に行動にしていくことが大事ななんだなあーと思いました。
 はっきり言って学者先生のいうことは、いろいろな文献を調べればでてくる知識です。もっと大事なことは、当の本人が「こだわり」を持ち、そこへたどりつくまでの経験や思いだと思います。こうして人の熱意にうたれて行動して、悩んで、考えて、学んで、また行動して、という繰り返しで終わっていくのだろうと思います。これが運動なのだと思います。情報過多の時代、選択して信じてすすむのは自分なのですから…。
 「それはそれでいいんだ、と自分で最後に笑えればいいんだ」と思います。
 
 それから、こんなことをしたからといって私の反対は、本当に通るのと思うことはあります。きっと、ながーい(来年の秋の国会で本番まで)大変なことばかりではないかと思うときつくなるかもしれません。でも、格好のいいこというと、それを話せる場があって本音をいえる場所が大事だなあーと思えます。それが、いつか米粒ほどの歴史としてちょっとでもいい方向に向いて、私の子孫や友達が楽しいと思ってくれれば(自己満足でも)いいなあ、と思うしかありませんか。いまのところそう考えています。

 ぼくは、誰のためにとか、平和のためにとか…という大儀名分より大事なのは自分のことではないかと思います。最後は自分がいちばんかわいいと思ええることがいいのではないかと思います。だから、何かを変えるときは、まず自分が変わることが大事な条件だと思います。
 そして百聞は一見に如かずで自分からいかないと政治は変わらないようです。黙っていては、やりたいように他人が政治を独占してしまうんが政治ではないかと思います。
 誰でもが「あたりまえがあたりまえ」にできていることが政治の目標なのではないのでしょうか。憲法も政治家の横暴を防御するはずのあたりまえの法律であってほしいと思えば、閣議決定はあたりまえじゃないのではないかと思います。
 久しぶりに「政治」というのが身近になったような気がします。こうして思うと政治は決して遠い国の物語ではないのだな…といえます。
 どこまでやれるのか、自分なりにみつけていく8月です。
 それではまた来週まで
*読んでくださった方、ありがとうございました。