日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

自然(人)災害あり、戦争を意識した8月でした

2014年08月31日 | Weblog



 こんにちは。
 8月も今日で終わりです。どんな8月であったのでしょうか。
 毎年、くる夏ではあるのですが今年は昨年よりちょっと違う夏を見つけたのでしょうか。
 散歩をすると、朝夕は涼しくなってきて秋の虫が鳴いています。セミの声ももアブラゼミやクマゼミからツクツクホウシへと変わってきました。
人と人の挨拶も「暑い…、暑いですね」から「涼しくなってきましたね…」に変わっていくのでしょうか。そして、今月は日本にとっては「戦後から69年の夏」でもありました。ふつうは、年をとるにつれて、過去の歴史には謙虚になって反省するのが常なのですが、今、日本は年々、「危うい日本」という気がするようになってきました。それも、自然災害や原発被害と再稼働、さらには暴力=軍隊の足音が少しずつ大きくなるようなニュースが身近になってきたように思えました。それも、直接ではなく、周りから徐々に少しずつ…という感じで日本が窮屈になっていくようにも思える8月だったように思えます。
 
 一つに、日本の表現の自由が危ぶまれたニュースがありました。
 都内国立市で毎月行われている「憲法とわたしたち」という連続講座に市が待った…、という記事がありました。いまこそ、憲法を知るいい機会であるはずなのに市の後援をしないというものでした。
 調布市でも「調布九条の会『憲法ひろば』」が創立10周年イベントを市に後援を申し入れたが後援要綱に難色をしめしているという。
 こればかりっではなく、さいたま市大宮区でも「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ市民の句が排除されました。
 担当教育長は「集団的自衛権が背景にあり、掲載すべきではなかった。今後もこの立場をご理解いあただく」という対応であった。

 少しずつ、暮らしを考える政治が市民の手から「一強多弱」のあおりで黙らされていくように見えた。通常、市民が「反対」という声がとりあえず選挙結果にあらわれて、市政が運営されていきます沖縄では、反対が選挙結果に反映さていても、米軍の基地移設を辺野古に移設する政治が強行されています。
 いったいこの国の地方自治はなんだろう…という疑問がうかんだ8月でした。これが、2014年の日本の夏であったことは事実です。事実は事実として受け止めて、9月へと向かうしかありません。
 私にとっては、8月は終わってしまいますが、今年はこれまでで最悪な8月になったように思えるものでした。

 さて、読者の皆さんにとってはいかがでしょうか……?


 月末は、今月図書紹介コーナーです。
 暑いせいでしょうか、本は遠い存在でした。暑い、厚いのは敬遠気味でした。事実、今月読み終えた本は2冊でこれまでで最低でもありました。
 一冊は、知人の紹介で読んでみた村上春樹さんの小説でした。これは、おしゃべりをしていて、友達がなんかのひょうしに名前を出して、ならば一冊いい本があったら貸してください…、ということで読んだものでした。それにしても、ぼくは今一度、村上春樹という小説がよくわかりません。なにをいいたいのか、何をめざしているのか、よくわからなかったようです。これは、ぼくの勉強不足なのでしょうか。

 単純に思うのは「本なんて読まなくても生きていける」という認識でいれば、村上春樹さんは読んでいなかったでしょう。貸してくれた人が、あまりにも熱心で、その人そのものの熱意があったからお借りして読んだものでした。えらいもので、作家は読者がいてなんぼで、それがいい読者にあたってみれば作家生活も続けられるというものです。

 

 センセイの鞄/川上弘美/新潮文庫
・失敗した。大人は、人を困惑させる言葉を口にしてはいけない。次の朝に笑ってあいさつしあえなくなるような言葉を、平気で口に出してはいけない(p182)

・たとえばセンセイと肌を重ねることがあったならば、センセイの気配はわたしのとって確固たるものになるだろうか。けれども気配などというもともと曖昧模糊としたしたものは、どんなにしてもするりと逃げていってしまうものかもしれない(p209)

・しかしほんとうに、今まで一人で「楽しく」などと生きてきたのだろうか。楽しい。苦しい。暑い。なまぬるい。いったいわたしは、どんなふうに生きてきたんだっけか(p243)

・センセイの意向を気にすることをわたしはもう止めたのだ。つかず。離れず。紳士的に。淑女的に。淡い交わりをを。そうわたしは決めたのだ。淡く、長く、何も願わず…近づこうと思っている(p260)

・人間の体の営みは、脳下垂体も内臓も生殖器もひとなみなのである。そのことをわたしはセンセイの年齢を通じて知るようになった(p279)

【本のあらすじ】
ひとり通いの居酒屋で37歳のツキコさんがたまさか隣あったご老体は、学生時代の国語の恩師だった。カウンターでぽつりぽつりと交わす世間話から始まったセンセイとの日々は、露店めぐりやお花見、ときにささいな喧嘩もはさみながら、ゆたかに四季をめぐる。年齢のはなれた男女の、飄々として、やがて切々と慈しみあう恋情を描き、あらゆる世代をとりこにした谷崎賞受賞の名作。


【感想】
 こんな偶然があっていいのだろうか。年をとっても男は男、女は女、そして人間。男女の感情は死ぬまで無くしたくないと思った。まして、好きな人は人間を成長させてくれる。それも、憎しみ、苦しみ、愛というものを思いながら「一人では人生、生きていけないなあ」とつくずく思わせる小説でした。
 そして、二人を包む四季おりおりの風景もいいと思えました。会話のなかに四季のできごとからはじまるのだろう日もあったのではないかと思う。
 生きていることを、今から楽しもうとしたい人は是非、一度読んでみたらいいと思う一冊でした。

 実はぼくがこの本を読んでみようと思ったのは、以前「年をとってはじめてわかること」立川昭二著(新潮社)がきっかけだったと思います。シルバーシートの前に立ったとき、小学生に「どうぞ」といわれたら「私ってそんなに年とっていたっけ」と思った。でも、客観的にみたら年をとっているのだろう。白髪まじりの頭だし、顔にはシミが少し出てきているし…とやっぱり老人なのだろう。では、老人は何が得したと思い生きていったらいいのか、と考えたとき読んだ本でした。そのなかに、「センセイの鞄」という本が紹介されていたので、手にとってみました。

 読んで、肉体的には衰えていてもまだまだ成長するところがあるのではないかと思いました。それは、人としてのもつ生き方にもつながるものではなかったのではないかと思います。
 「命短し、恋せよ老人」です。そんな気持ちは大事だと思います。度が過ぎると、セクハラやパワハラのリスクはあるので注意して読んでください。これは、あくまでも独身(一人身)の話ですから、誤解しないように。

川上 弘美(カワカミ ヒロミ)
1958(昭和33)年東京都生れ。’94(平成6)年「神様」で第一回パスカル短篇文学新人賞を受賞。’96年「蛇を踏む」で芥川賞、’99年『神様』でドゥマゴ文学賞、紫式部文学賞、2000年『溺レる』で伊藤整文学賞、女流文学賞、’01年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞、’07年『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞


 アフターダーク/村上春樹/講談社文庫

【感想】
深夜から朝までの時間を追って、傷つきやすい若者たちの会話が読んだ人に作者の思いを伝えているよう小説でした。背後には音楽の曲名をいれてBGM効果もイメージさせることによってより効果的に読者を引き込もうとする作者の粋(いき)な配慮が、いかにも村上風なのかなと思えました。でも、まったく曲名に音としてイメージできない読者はどうなのだろうと思えます(ぼくはソニーロリンズくらいしかわかりませんでしたが…)。

 小説では、人々が眠りつくころ、静かになったホテルを舞台にそれぞれの言葉が、自分の生き方のシンボルとして語り合っているように思えます。理不尽な時代に影響された若者が自分の言葉をさがしています。
 その中で語られる会話が印象的です。
 「……僕らの人生は明るいか、暗いかだけで単純に分けられているわけじゃないんだ。そのあいだには陰影という中間地帯がある。その陰影の段階を認識し、理解するのが健全な知性だ。そして健全な知性を獲得するには、それなりの時間と労力が必要とされる。君は別に暗いわけじゃない」(p273)と語るなかに、眠れない原因を肯定しようと語られている。
 さらに、マリという女性が
「……正直な話、私はこれまでにけっこうたくさんの男とセックスしてきたけれど、考えてみれば結局ところ、恐かったからやねん。誰かに抱かれていないと恐かったし、そんな風にセックスをしてもね、なにもええことなんかない」と語る。男の女の関係を肯定するなかでマリは眠ろうとしている。そして、会話は自分の立っている位置を確認しようと続く……。

 私は小説の中での会話をする内容は何十年もまえに誰かと語り合っていたように思えたように思えます。それが、小説を読んでいて「追体験」をしているような気分にさせていました。
 「同日同刻」世界中のどこかで何万回も同じような会話があったのだろうと思い起こさせる内容だと思えました。戦争であれ恋であれ、人が生きていくという前提に会話は言葉として話していかなければ「人」という生き物を理解していけないだろうとつくづく思えました。

 私は、一方で多くの読者を持つ村上春樹という小説家は、今の時代の特徴に多大な影響をもっている小説は「時代を写す鏡」と思えば、『アフターダーク』という小説も、読者の鏡になっているようにも読めます。その時代の若者が、夜も眠れず、延々と話す内容に心あたりが、きっとあるはずだと思える会話もありました。それが、この小説のよさなのだと気がつきます。

 今、時代は「ブラック企業」「契約社員」「再雇用」という若者に生きづらい社会になってきていることを考えれば、会話の大切さがゆっくり眠るためにも必要になってきたのではないのでしょうか。
 言葉に優しさをもつことも大事です。多くの理不尽な社会を憎んでも何をもうまれないということにも気づかされます。会話をもって、時間とともに解決していく日々が大事なことだろう。曖昧さのなかからつくられたものを、会話の中から探し出し、自分を変えていくしかないようにも思えました。
 そのための「深夜の会話」が眠らずやるときがあっていいと思います。

 これまで、生きてきた年数だけの言葉があるのでしょう。記憶に残しておきたいもの、忘れたいものいっぱいあるのではないかと思います。忘れたい言葉は暴力的なできごとが生み出されたものだと思います。それが憎しみになって覚えているのでしょう。
 言葉には痛みをともなうものがあります。戦争のような物理的な暴力もあるでしょう。

 大事なことは、「言葉って本当は、仲良くなるためにあるはずなのにね……言葉って、心を一つにしてくれる大事なものだよ……」(徳永英明「WEALL」より)ということを忘れてはいけないこと。
 でも、私は大事に思うことは、暴力で理不尽であれ、解決するというよりも、楽しいことをたくさん作り出すことで、自分が変わっていかなければ、いつになっても変わらないでしょう。
また、すべてを肯定してしまう自分をつくること。そこからしか始まらないように思えます。

もう一つ「言葉」に関して8月という月で忘れてはいけないものもあります。
太平洋戦争の時代、連合軍の攻撃によって日本は次々に玉砕という悲劇をつくってしまいました。そのとき、連合軍が日本人の戦死した軍人たちの日記や手帳を集めて研究のため自国に持ち帰ったそうです。日記や手帳は現在もアメリカが保管していて遺族には返ってはいないそうです。
今回(2003年)にNHKが保管しているアメリカに渡ってそのコピーを持ち帰ったそうです。そして、その内容と日記や手帳を遺族に返していく番組を制作し放送されました。
 その日記や手帳には戦地で家族や恋人に伝えたかった言葉がめんめんとつづられていました。
 戦争も末期、負けるとわかっていてもなお抵抗を続けたなか、死んでいった人たちの「本当の言葉」が放送されていました。
 戦後「ただいま」と言えず死んでいった人たちの言葉が、妻へのお礼、兄弟への励まし、恋人へのやさしい言葉であり、と本当に大切な「伝えるべき言葉」だと思えました。

 そして思うことは、人は言葉を伝えるために、また自分を励ますために残していることに気づかされます。そして、書き残すことの大切さをいっているのではないかと思います。それが、マスコミの誇大化された言葉でなく、自分の生きた言葉で伝えていく……ということが大事ことかわるような気がしました。

 少し横道にそれてしまいましたが、「言葉」つまりは会話の中身が自分の意思として伝わることということは大事なことだとつくづく思いました。それが、その時代のわたしの言葉として、振りかえるときに大事な記録と記憶として伝わることが大切な時代かもしれないと思えました。
…………………………………………………くどいですか?


 今、国会は休館中です。
 7月に「集団的自衛権行使」の閣議決定を受けて時間がたっています。
 忘れてしまいそうな日々もあります。ぼくも、「集団的自自衛権ってなんだっけ」とならないよう、28日(木曜日)夕方の学習会にお茶の水に行ってきました。途中、御茶ノ水の夜の静かさのなかの居酒屋を振り切っての参加でした。(御茶ノ水の学生街です。夜は静かで、路地を入って、遠いところにポツンと居酒屋の灯りが見えたりすと、立ち寄って静かに飲みたい雰囲気満載の場所ですねえ)

 この日は、東京新聞論説員の半田滋さんの講演でした。テーマは「集団的自衛権のウソ」というものでした。
 「うそ」とうのは、これまで安倍首相が集団的自衛権の閣議決定をするために、国会で説明したことについての解釈でした。実際はありえないことを、人の同情をひくような言葉と説明に半田さんが、具体的に歴史的経過をまじえて現実ではどうなっているのかという説明でした。

 そのなかのひとつを紹介すると首相答弁の「他国を守るために日本が戦争に巻き込まれるという誤解があるが、あり得ない」という説明では、これはもう「政府の思考停止」状態である、ということ。
 「戦争に巻き込まれない」はない。まして、日本は島国。周りには原発がある。集団的自衛権行使をした相手は必ず、何らかの攻撃はしてくる。攻撃しやすい国。事実、朝鮮労働党新聞では「朝鮮半島で戦争の火花が散り、自衛隊が介入しても、日本が無事だと思うならば、それより大きな誤りはない」といっている。
 日本側では「K半島事態処理計画」(防衛庁・防衛省)という想定がされている。それによれば、一個軽歩兵師団、港湾・重要防護施設の破壊、弾道ミサイル、27万人の避難民……という想定がされていたそうだ。
 ほかにもありますが省略します。

 等など……。民間の船舶も利用可能にしていると報告してもいました。
 私たちには知らされない場所で既成事実が着々と進んでいるそうです。
 また、危険があると防衛大学の幹部候補生が辞めることが多いそうで、今回もいつにも増して多かったそうです。

  正念場は来年の通常国会だそうです。関連法案が矢継ぎ早に出され、強行採決……かということでした。
 久しぶりに、社民党の福島瑞穂副党首の顔がみることができました。がんばっていますねえ。
 以上簡単ですが報告です。

 当日、会場で気になったことがありました。参加した人を見渡せば、ぼくと同年齢くらいの人ばかりでした。若い人の参加は、少なかった。学生さんもいないようですし、いったいどこへいったのかなと不安になりました。
 これが今の現状なのでしょうか。以前、新聞で「若い人の参加」がないとの投書に出ていたことを思い出しました。若い人の張りのある音がない。
 徐々に、人が生活する「音」が消えていくような思いがしました。その代わり、人の心も建物も破壊をする「音」が小さく聞こえるような講演でした。
 いったいどうなるんだ……という気持ちがあります。
 少しずつ、中身を勉強してこれからもできる限り参加していこうと思いました。


 今日で、最悪の8月が終わります。
 最悪なのは「政治」のことで、日本の政治家の歴史認識を疑ってしまいます。講演会では、これまで以上に政府は秘密を国民に報せず進めるでしょうには、唖然としてしまった。これが、最悪というもの。

 職場の人が辞めたということもショックでした。これから、自分の夢を実現するべくがんばるー、との声に応援したくなりました。

 明日から9月です。さて、どんな月になるのでしょうか。スケジュールも考えていこうと思います。当面は、4日(木曜)の日比谷野音での集会に参加。参加したところでどうなるの…という声を振り切って、日々思います。ぼくはいいけど、次世代はどうなるんだよ、と思うと自分の子どものことが気にかかります。できるときにやっておこうと開き直っていくしかないようにも思います。
しごともがんばらないと……ね。
お疲れ様でした。
*読んでくださった方、ありがとうございました。

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