日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

温かさは…もうちょっとのですか。

2014年03月09日 | Weblog


 こんにちは…。
 今週は天気にもめぐまれた分、寒さももどってきました。朝の通勤時間はきびしい寒さのなかでかけていく日々でもありました。
 それでも、温かさは日々着実に季節が運んできているようです。散歩の出かけると、足元には小さな花が咲きはじめています。早稲の桜は花をひろげてむかえています。
 季節を感じることは、少しずつその季節にあわせた体が反応をみせるころでもあります。日の出も30分くらいはやくなったようです。
 季節を敏感に感じるのは、鳥のような恒温動物ではなくて、虫のような変温動物だそうです。鳥には羽毛があるわけで寒さをのりこえる体ができているのですが、虫はそれを土地の温度で感じて地上にあらわれるそうです。日々、三寒四温……。身近に虫たちがみえるようになると本当に温かくなったということだそうです。「春の数え方」日高敏隆著)。鳥は虫をごはんに生き生きした姿をみせ、虫たちは鳥のごはんになってしまうなどとは夢にも思わず活発に動き出す。弱肉強食という日々が近づいてきているよは考えてもいないだろうが……。それでも本当の春になるということはそういうことだそうです。

◎ソチパラリンピックは非日常…生活は日々、毎日だということ
 さて、今週はロシアのソチでパラリンピックが開催されました。冬季五輪のあとで少しは、応援熱はさがってしまいましたが選手の活躍には家族で一喜一憂の日々がもどってきました。でも、今のところ残念なのは、ソチのニュースよりもクリミア半島情勢の方が多く報道されているようです。
 さらには、ソチパラリンピックにウクライナの選手が不参加というニュースも流れてきました(結局は参加することになりました)。

 選手の人たちには自分の競技に集中してほしいところですが、国の利権をあらそって政治が語られるパラリンピックになってしまいました。ロシアのウクライナ対応にアメリカが反発しいました。昔、モスクワ五輪をボイコットした日本が思い出されます。
 スポーツは政治を超えて…といきたいところですが、当事者にとっては国の生死にかかわること。選手のがんばりは大変貴重なものですが、それでも生活は明日もつづくのですからスポーツ以上に大事なことなのだと思います。
 がんばれウクライナ!!残念のことはそれだけではありません。
 ソチの気温が東京よりも温かいせいか雪の質が悪いそうです。選手にとっては普通以上に工夫が必要なところです。

◎夜行バス事故…やっぱり無理が先行してた
 3日に富山県小矢部市の北陸自動車道上り線・小矢部サービスエリアで夜行バスが大型トラック2台と衝突した事故で運転したいたバス運転手(37歳)の勤務が11日連続で働いていた。
 事故の原因は過労でしょうか。現場では人も減らされ、赤字にならぬようにいる人たちでどうにか運行をしていたようだが、やはり無理がたたって事故がおきたのだと思えた。労働組合も人員減でもあり、残るためには連続勤務も暗黙の了解だったようだ。運転手の不注意ですまされる問題ではないので原因をもっと身近な現場にしぼっていくことが大事なことだと思う。

 きっとなにか違反しているとか、やりたくもない「手抜き」を仕方なしにやってしまった…とかあるようだ。まわりまわって、それをやれる環境を会社も組合もつくってきたのかということが大事なことだろう。
 最近、料金が安い夜行バスの利用がふえているにもかかわらず、バス運転手の労働環境は変わっていなかったようだ。どんなにいい法律ができても、それが職場で日々働く人に伝わり、実践しなければ無意味で、政治家の自己満足になってしまいます。

◎柏の連続殺傷事件
 むかし、柏の高校にかよっていたころ(40年ほど前)は静かなところだと思っていたが、なんといまや新宿をもぬく勢いのJR利用客の多さ。東京まで30~40分くらいの近さもあり人口が年々ふえているのだろう。
 人が増えるということは、いろいろな人がいる……ということ。
 容疑者は24歳と働きざかり。若い身で「社会の報復」することが生きるエネルギーになってしまった。

 深い溝につきつけていくとやっぱりドストエフスキーの「罪と罰」の犯罪者のラスコーリニコフを思い出した。犯罪は自分の気持ちをいちばん先行していくが、それを押すものが背景にあったのだとと思う。ラスコーリニコフにとっては貧しさだと思えるように、今回の24歳の容疑者も貧しさ(お金)があるのだと思えた。金銭がすべて……とは思わないが、自分の形をつくる第一条件でもあるのもお金。
 うまくつきあっていくことはできなかったのか、と思った。

◎福島原発事故から3年…風化される危険
 安倍総理の原発再稼働の政治の勢いをかってか、水面下では再稼働の塊がうごきはじめたような気がする。それも、原発事故の解決も廃炉もいっこうにすすまず、福島原発では事故処理に原発労働者のがんばりにもかかわらず、でてくるニュースは汚染水が出る。これから問題になってくる、原発地域にすんでいる健康診断もどうなっていくのかわからない……。

 知人に福島の人もいる。最近は賠償問題になってきているという。それも、原発でなくなった人の保険や賠償金をめぐって家族が離散することも起きているともいう。賠償金をめぐって遺族がバラバラになっていく…遺産相続のようだ。
 もとを質せば、こんな問題をつくったのは、原発を安全という政治だろうし、原発を管理している東電だろう。
 放射能の危険はだれでも認識していても、それがどうやってできてしまうのか、歴史を覚えそのなかで選択したきた原因をもう一度反省していくことが大事なことだと思う。

 汚染水問題、漁業者の仕事、廃炉に従事する労働者、さらには古里を追われた市民の保障問題。
 過去、現在、未来……というなかで、いま政治は過去を無視して「靖国参拝」、「集団的自衛権の行使の拡大」さらには「原発再稼働」ということを考えているように思える。現在は大事だだが、私たちが後世に残すべきは未来を見据えた過去の反省なのではないかと思えるのだ。あわてて、過去を無視して「今がよければいい…」ような今の経済政策のようなことはつつしむべきであるのではないかと思う。
 原発事故3年目。私たちは過去に目を向けて検証し、原発の危険をさらに学び、次に必要な現在をつくり、未来を後世を後世にどれだけ残せるかが試されている時代だということをつくずく思うですが……。そのなかで自分でできることを忘れないでおきたいと思うのだ。
 3年めも活発に報道してほしい。


 遠距離通勤(往復90×2+ローカル時間)は日々負担が大きい。それも電車通勤である。乗り換え4回(こんなはずではなかった)はちょっときびいなあーと思っている。どうしても、全部座っていきたいといつのまにか「座席獲得バトル」に参戦している自分がいた。
 乗り換えもほとんど駆け足状態で階段を下りたり、昇ったり…という日々を送っている。さぞかし、足腰が鍛えられるだろうと考えるような余裕がない。そう、思っているのはほとんどが第三者に人たちだろう。
 当事者は常にバトルに参戦し、座ることに集中する。オジサンは今日も座ることに集中しているのだ。

 そんんなか、最後の乗り換えにのときにはゆっくり周りを見渡すこともできるようになる。すると、毎朝同じ顔ぶれの乗客の顔が安心をつれてくる。
 Aさんはこの時間。Bさんはこの時間。Cさんと一緒になったら、もうやばい…会社に電話連絡を…となる。
 よくよく考えてみればみんな一人ひとりが時刻表になっているようだ。
 そんな日々が休日には居眠りをしてもいい……。電車のなかでゆっくりしていたいと思うのは自然なことだろう。
 帰りはだんだん暗闇にはいっていくようなローカル線に乗車すると安心する。まだ、東京でも田舎で、川あり、畑あり、ちょっと足をのばすと田んぼまである。夏には蛙がないている。梅雨時には道路のまんなかを歩いているひき蛙にでくわす驚きもある。これがあるからガマンもできているのかもしれない。そんなとき、ふとわれにかえる。


 春闘がはじまった、というより、大手はもう終盤戦の様子。
 今年は労働者側は消費税8%都という数字が大きな武器になっているようです。交渉の場でも消費税よりは値上げをしてもらわないと、消費者らしくならないし、買えない…ともいえる情勢だろうと思う。大手企業ではこの消費税をあてこんで多くの人が駆け込み消費者になることで利益をもたらすことだろう。企業がもうければ、当然労働者にも還元すべきとは、当然の理屈で、組合も頑張れる理由がある。

 大手電気企業はベースアップ値上げの調整段階だというからもう終わっている。この様子をみていると、ベースアップはいずれも正規社員のことで非正規社員はかやの外。
 いつでも、どこでも派遣切りの安全弁の非正規労働者はどうなっているのだろうか…とふと、考えた。安倍首相は派遣社員の対応を「規制緩和」の名のもとに法改正を進めている。ますます、不安定な労働者をつくりだそうとしているようにも思える。
 いつの時代から「派遣社員」の企業があり、そこを通して派遣される労働者のしくみができた。おかで、「職業安定所=ハローワーク」は失業者のみの対応のようになっているようになった。以前はハローワークから仕事を紹介されていたものが、職業選択の多様化なのだろうか、派遣会社ができてしまった。おかげで、法の内容もあまり追求されず仕事を紹介するようになった。結果として、ブラック企業がはびこり、労働者は「蟹工船」(小林多喜二)の世界にひきずりこまれたようだ。

 アメリカではメキシコなど中南米の移民の労働者が多数をしめている。それも不法労働もあるという。しかし、それもうまく利用されているようにも見える。選挙ときは大事な有権者として、また、アメリカ人の労働者の失業対策の安全弁として利用されてきたようにも見える。
 それが、いまの日本の派遣労働者のようにも見えるように思えるのはなぜだろうか。むかし、日本はアメリカの10年後だといっていた人がいたことが思い出される。しかし、いまや日本は失業や格差はアメリカを追い抜こうとしているのではないかと思える。それをつくっているのも労働者自身であるから、どこしようもない。

 大事なのは春闘、春闘で賃上げするのも大事だが、アメリカの10年後にならないようにするのにはどうしたらいいのか考え、実行するときなのではないかと思う。労使にしろ、民族問題にしろ……いいことはないことだらけだと思う。




 春ももうすぐだと思うと、やはり温かい方がいいなあと思う。
 人との関係もそうありたいと思うのだが、これはひとすじなわではいかないらしい。自分が思うより行動を少しずつやっていくのも解決方法なのではないかと思う。
 今月11日は、原発事故3年目という。
 はやいものだと思うのか、まだまだと思うのか……少しもいいことがない原発事故の報道には、いったいこの国は本当に原発がなければだめなのだろうか?と思う。放射能というえたいのしれない物質があり、古里にかえれない現実があるということは気味のわるいものだ。
 小さな町などひとたまりもない被害、それも目にみえない物質。
 ほんとうにこんなものに人間は弱いのだろう。
 ただ、これから心配になるのは、5年後、10年後のことだろう。少しずつ形になってくる。それも病名がでてくるのだろうと思う。

 最近、友だちから『朽ちていった命』(NHK東海村臨界事故取材班)新潮文庫という本を借りて読んでいる。茨城県東海村の核燃料加工施設でおこった放射能被爆事故で被爆者となった患者を追ったドキュメントである。
 事故から83日間、取材班が追いかけた被爆者の命を伝えた本である。人間の体内に入った放射能がどう人間の命をむしばんでいくのかが詳細に書かれた本。人間というものは、とんでもないものをつくっているんだな、と思った。
 
 3年前の3月11日の。
 会社に宿泊して、外では数珠つなぎの車が途絶えることないような長さだった……。
 車も電車もとまって寒い夜でした。
 こんあなことが原発はやっぱりだめだと言う理由にはならないが、子どものことを考えると「とんでもない、やめてくれ」と思う。

 今週は、こんなところでしょうか。来週はどんなことが起きるやら。
 ウインドウズXPも更新が終わるそうだ。まあ、文章を書くくらいならなんの問題もないのだろうが、世の中には故意にウィルスをばらまきたがる人がいるそうだ。まあ、ゆっくり、小遣いでもためて買い換えようかと考慮中。

*読んでくださった方、ありがとうございました。