日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

気がつけば6月、また人が去る

2017年06月04日 | Weblog

 こんにちは。
 若葉も日々少しずつ濃い緑にかわっていくようです。陽ざしがつよくなってきました。昼間は陽ざしをよけて歩く通勤です。
 上を見上げれば、空に白い雲がゆっくり動いて行く様子がみえます。
 ある雑誌の表紙をみていたら、まっさおな空の下に田んぼの苗がきれいに並ぶ写真。新緑のうしろの山が田んぼに映るとてもきれいでした。人の労働が田園を美しくしている姿にもみえます。こんなところで、ご飯でも食べたら、きっとうまいのでしょうねえ。自然は人間の手が加わっていることがわかります。私たちに、人と自然の営みがよりいっそう身近の感じさせてくれいるのでしょう。

 いつも通いなれている商店街の軒先のツバメの巣から姿が消えていました。巣立ちをして飛んでいるのでしょうか。今年の夏もいよいよ本格的になってきました。



 東京という町はいつでもどこかで工事中の毎日です。渋谷では、上へ上へとビル工事が行われています。こんなに高い建物が建つなか安全性はどうなのでしょうか。地震が起きてビルが崩壊したときまず助かるような感じがしません。そんなことを思いつつ工事を眺めていました。2020年の東京五輪はいいですが、この町もあの町もきれいにするばかりで、結局地域住民にはちっとも配慮のない工事がすすみそうですが…。今回はどんなことがでてくるのでしょうかねえ。
 ちなみに小池東京都知事が電柱を撤去するという公約はどうなったのでしょうか。東京で唯一電柱のないところは、永田町界隈です。木々が良く見えて景色はいいのですが、国会のなかは真っ暗闇状態で危険ですが…。


<何となく明日はよき事あるごとく 思ふ心を 叱りて眠る(啄木)>

 思えば東京にきて四半世紀。得たものは会社での仕事と家族とローンだらけの住居、そして今日、一緒に飲んでいる人たちもしれないなあ…と思う。それでも、今まで体だけはどうにか無事に過ごせて来た。そんな思いをよぎらせた送別会だった。そして思うのだ、「人はないものを欲しがってはがんばって、つまづきながら生きていく」という感想だけが残った。

 ぼくが、東京に初めて足を降ろしたのは、仕事のために総武線が走る錦糸町駅だった。さらに、住居をかまえたのは昨日送別会があった品川だった。
 品川は海寄りのところから、住宅地が密集する環状7号線沿い。わたしは住宅地が居並ぶ環状7号線沿いだった。この奥までくると東京もビルよりは人が住む暗さとこじんまりとした住宅がたくさんあったように思う。そこでは、小さな個人商店が日常品をかかえて商売をしていた。そこに住む、おやじさんとも話す日々もあった。毎日、定食屋にかけこみ、おやじさんの話を聞きながらすごした夕暮れもあった。
 あれあから40年以上もたっていれば、すでにその人の姿もろとも違う建物が建っている。いったい、どこで暮らしているのだろうかと考えるだけである。

 40年前に住んでいた品川で送別会があった。
 定年をすでに終え、今月中旬まで働き生まれ故郷に帰るのだという。
 あたまをよぎるのは、私が入社したとき右も左もわからないことを教えてくれた。休日には、野球チームにさそってくれて一緒にプレーした。試合が近づくと、お互い野球会場をでかけた思い出が多い。
 さらに、人づてにたくさんの人と知り合えになれた橋渡しをしてくれた人だった。
 そんなこと、あんなことと、たくさんあったことが思い出せないほどだろう。
 とはいえ、年にはかてない…。人間は年をとり仕事もしなく日があるのだろうと思っていたがこんなに月日が早くてうらめしいと思った一日でもった。
 送別会のきたのは60歳以上。最終的に集まった人は気心もしれた人たちだった。還暦をすぎると、もう若い人との会話も世代の違いを感じる。職場でもよほど、会社の企業文化というものがいい会社ではないと若者との話も敬遠しがちになる。ぼくの会社もそれほど立派な企業風土のようなものがあったはずだが(そう思っているのはじぶんだけかな)最近は「疎外感」も感じる日もある。おそらく、正社員と契約社員とのミゾのようなものが、お互いの距離をつくってしまっているのだろう。それが利害関係があるとなおさらに距離は遠くなるようだ。

 その距離をうめるべき労働組合や企業側が寄り添って話し合う会社がどれだけあるのだろうか。ぼくが知っているなかでは皆無に等しい。
 それでも、労働組合や企業をひっぱっていくのは老人ではあるまい。若い働きざかりの人たちなのは世界共通だと思う。先輩と後輩という関係がうまくいっている労働組合は企業のなかでの契約社員との正社員との関係をどうしているのだろうか。

 現実はそれぞれの労働者の孤立化は時代とともに進んでいるようだ。だから「過労死」になるまで労働組合や会社の名前がでてこない現実があるようだ。まじめに働けば働くほど、死に近づいている労働とはいったどんな労働なのだろうか…。
 「少子高齢化社会」というのはよく聞くテーマである。
 しかし、そのなかで「少子化」や「高齢化」は反比例して増えていくばかりである。その本当の原因はいったいなになのか、今日の送別会に参加してもっと身近なところにあるように思えた。そんな知恵をもっている高齢者との関係がなくなりつつある時代ってロクな時代ではないのではないかと思う。

 


 6月が始まりました。
 梅雨も近づいているようです。
 日曜の午後、妻の知り合いのコンサートが渋谷であり行ってきました。
 曲名はバッハの〇〇。(曲名も忘れる)。正直、会場では目をつぶって聞いていました(ほとんど居眠りでしょうか)。ヴィオラを弾いていた人も「ほとんどくらい曲ばかり。でもわたしには都響(東京都交響楽団)の時代からのこだわりがって、死ぬまで絶対これを弾いておこうという気持ちだけです」と、断りを言っておりました。暗い部屋で野太いヴィオラの音を聞きながら居眠り…なんて、なんと贅沢な時間なんだろう、と思えました。それも、渋谷のど真ん中のビルの一角でのこと。

 途中、3日前にイタリアから届いた五弦のヴィオラは面白いものを見ました。弾くのにも大変なようです。

 さて、今月はどんな月にしたいのでしょうか。
 ぼくにとっての当面「気になる」ことは「共謀罪」という言葉。最近よく聞きます。読んでみたい本は『スノーデン、監視社会の恐怖を語る』という本です。図書館で予約して、何カ月も待っていました。本当は買って読むのがいちばん身になるのですがね。予約した分、ぼくも意地で待ってましたよ。
 二日間、東京の町をうろついていたもので大変疲れました。人のペースで歩いたり、食べたりはちょっとしんどくて、苦手なジジイになりました。
 今回はこのへんで失礼します。

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