日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

お山はまだまだ梅が満開

2018年03月25日 | Weblog

 全国から桜の開花宣言がきかれる週であった。あたたかさも加味して桜も咲く時期を待っていたことだろう。
 これほどまでに日本人から開花の期待をもって迎えられる花もうらやましい。まさにスポーツ選手の「金メダル候補」のようにも思える。プレッシャーもあるだろうし、期待を寄せる瞬間を待っている人々にとっては実に待ち遠しい楽しい時間だろうと思う。
 メダルをとれれば喜び、とれなくても選手の一生懸命さに胸うたれる。

 さて今月は、この「誰かの期待」が全部右たぎられたような一ヵ月だったように思える。
 いま騒がれている「森友文書改ざん」でも、国有地を安く手にいれるために期待をこめて公文書をつくりあげたが、これが「改ざん」だった。事実とことなり、「誰かの期待」のために偽造されたことが発覚した。そして、それに関係した人々がまた「ウソ」のようなことを平気で国会の答弁でおこなっていた。そして、国民が汗して働いた税金がかかわっていることからいまだに真実を求め、国会は紛糾している。

 もうひとつ。年金入力問題。新システム移行に関連して年金機構が個人情報の入力を委託業者に依頼したが当初の予定通りできなくなった。何億年もの税金をかけては発注したが「できない」といことが発覚したようだ。年金機構の期待がかんぜんに裏切られた。それよりまして、こんなにもいいけげんに業者を頼む年金機構に裏切られたのは年金受給者だろう(私もその一人)。なんとも年金受給者を軽視したものだと…。
 あれほど、若者に年金をはらうように追いたてておきながら、これはないだろうと思う。年金をもっとまじめに納めている人はバカみたじゃないか。これまで年金機構になってから、個人情報の漏えい問題などで気がめいる日々も多い。あげくの果てに「私の年金は大丈夫?」と不安になってしまう。
 どれだけ大変なのかはわからないから言いたいことをいわせてもらえば、「国民の期待を裏切るな」と思う。




 今月は老いについて読んでいました。
 日本は平均寿命が男性81歳、女性が87歳という「超高齢化社会」になって来ました。寿命が延びても長生きした内容は、医療介護の病院で寝たきりであったり介護施設の待ちであったり決して社会保障の面からは充実しているとはいえない現実があります。さらには「認知症」となり、介護の負担が家族にかかってしまうこともあります。すなおに長生きがよろこべない現実ばかりになっていることも事実です。
 今回の『長い別れ』(中島京子著)は、親が認知症になってからの家族の物語です。最後を誰がどこで看取るのか…、ということを考えさせられた小説です。ますます増える高齢者の生き方や最期のむかえかたと今、日本が直面している問題を読み取ることもできる一冊です。

 もう一冊は『登山者のために法律入門』(山のトラブルを回避する・溝手康史)です。
 山ブームによって、日本各地の山では数々の事故が起きていることはニュースなどで耳にすることでしょう。その事故によって、その責任の所在はどこにあって誰が保障してくれるのだろうかという問いに数々の事例を参考に消化しています。
 一つに昨年起きた栃木県での栃木県那須町湯本の那須温泉ファミリースキー場で雪崩が発生し、登山の講習会に参加していた県立大田原高校の16~17歳の男子生徒7人と男性教員1人の計8人が搬送先の病院で死亡した事故についても法律的に検証しています。
 さらには登山者個人の事故に関しての行政の対応や責任につても書かれています。
 個人が他人に事故などのトラブルなどの賠償の責任などもあります。

*ちなみにこの事故で、県教育委員会は19日、指導的立場だった教諭3人を懲戒処分としました。処分理由としては「講習会を安全に実施すべき立場にありながら、生との安全への配慮を欠いた」と説明しました。記者会見した教育長は「安全安心であるはずの教育活動で起きた事故で、責任を重く感じている」と謝罪。事故でなくなった父親は「八人死亡という重大な結果にしては、足りない処分だ。今後の部活動での安全管理に緊張感をもてるかも疑問だ」と話した。(3月20日・東京)

 登山は原則的に「自己責任」でもあると書いています。わざわざ山に行くとうことは、日常からリスクの多いところでの生活になります。そこでの、事故は全部「自己責任」ということです。それでも、山の登山道の管理や危険場所などについての責任も書かれています。どこまでが個人の責任なのかということも考える場として書いていることもあります。そんなことを考えると楽しさも半減してしまうと…いうことではなくあくまでも危険な場所でいかに事故を防ぐことがたいせつかということもかいていると思います。



 誰でもいつかは老いていく。それと同時に肉体や精神の老いも一緒につれてくる。
 最近、わたしは若いころは思いもよらないところで「老い」ということを痛切に感じることが多い。それは、駅の階段を降りるときや「年金」という言葉が身じかに感じたときであるかもしれない。そんなとき「私はどんなふうに年をとっていくのだろうか」とい疑問がのしかかってくるのだった。
 現実、若い人に比べるまでもなくなんにつけ動作が重くなっている。生活であれ、仕事であれ若者と競争しようなどという気は起らないくらいだ。そんな日々に「人は年相応に生きればいいと」割り切っている自分がいたりすることもある。いまとなっては老いということは遠い存在ではなく、となりにいつも一緒にいる現実であるということを痛感している。

 『長いお別れ』(中島京子著)という本はそんな思いの中読んだ本だ。父、昇平がアルツハイマー認知症にかかり、父をとりまく家族の話である。老老介護という現実と向き合いながら生きるということ。つれあいの曜子さんも介護をする傍ら網膜剥離にかかり入院することになってしまう。結婚してアメリカカルフォルニア在住の長女の茉莉、次女の菜奈は結婚して佐倉市に住む。さらに末娘の芙美。
 それぞれの生活のなかからできる範囲で母の介護の手伝いをしていく。
 昇平が骨折を機にこの介護も一転してそれぞれの子どもたちへの負担を増す生活を余儀なくするようになる。昇平がなくなりそれぞれの生活の場に戻っていく。妻曜子も網膜剥離という目の手術。退院してからもがんばって生活を続けるという物語である。三姉妹のそれぞれの暮らしのなかでの出来事をつうじて介護ということを知っていくという。10年の年月が流れていく物語である。

 読み終えて、いずれくるだろう死について思う小説である。「形あるものはいつか壊れる」あるいは「命あるものは土に還る」という思いを強くもった小説である。そして、大事なのは「思う存分生きているか?」という問いかけにも思える作品だといえる小説。
 還暦になっていまさら遅い…、という気持ちがあるが残された時間をどう人をまっとうしていくかということなのかもしれない。老人には病気や死はいつもいる隣人のような存在でもあるかのようだ。だからこそ今一度考えて行動していこうではないかというメッセージでもあるかのようだった。
 私自身、介護の経験はない。それでも、自分たちの場合、老老介護ということもないわけでもないようになっている。社会のしくみの中、これまで税金として払ってきたものをどううまく使うかも大切な知恵なのかもしれない。
 とはいえ、まだ現役。生きるためにこの社会のしくみと格闘しながらいくしかあるまい。
 同じような作品に『母』(老いに負けなかった人生)高野悦子(岩波現代文庫)を思い出した。母と娘の話である。痴ほう症になった母を介護しながら、自分の生き方に思いをめぐらし生涯を送っていく。そんな本の抜書きを紹介する。「父は烈しい死に方をした。母は静かに死んでいった。私はどのような死に方をするのだろうか。私にはわからないし、想像しても始まらない。人の死は、その人がいかに生きたかの総決算なのだから、これからも、私は私らしく懸命に生きるしかないのだ」。



 季節が変わるたびに山歩きを楽しんでいる一人として『登山者のための法律入門』はあまりなじみのうすい「法律」という観点を考えさせてくれた一冊だと思います。
 自然のなかに入っていくわけですから人は自然に対して「無防備」なのかもしれません。いついかなる災害に遭遇するかわからないだ ろうし、遭遇してからの対処も分からないということもあります。
 事故が起きてしまってから考えることのほうが多いのではないのでしょうか。それは、事故が起こらないあということが前提に登山を楽しんでいるからでしょう。
 大切なことは「起こり得る」ということを大前提に考えた場合の「注意、対応」が事故をおこさない手がかりになるということも大事なことだと思います。
 例えば、普段では快晴という天気が突然かわってしまったらどうするのか。雨にあたれば体温が急激に下がり、さらに高所の山ではますます冷えていきます。そして「低体温」になり生命にも危険が起こりうるということでも視野にいれたとき、どんな対応(準備)が必要か理解し装備を携帯していくことが大事だということではなかと思います。
 ほかに『やってはいけない山歩き』(野村仁・青春出版社)などがあります。山の常識と日々の生活の常識とは違うこと、山でのつま先から頭までの常識を知識としてしっておく大切さを教えてくれている一冊です。さまざまな山でのリスクを最小限にする知恵もあります。
 合わせて読んでおくといいと思います。




【高尾駅】
 いつも行く「陣馬高原下」行のバス停は八王子から出ていたように思う。それも、京王線の八王子である。暗く排気ガスがムンムンただようバス停だった。利用客といえば、ほとんどがオジサンか(私も)オバサンの登山者だった。静かなバス停だった。いまでは考えられないほどの乗客の少なさに赤字路線だったことだろう。
 ところが、高尾山がミシュランに選ばれてから登山者急激に多くなった。それも、日本人以外の外国人がそれぞれの母国語で会話をしながら行く姿を見るにつれ国際的になったものだと思った。そして高尾頂上の人の多さにも驚く日々である。京王高尾山口には温泉までできた。もう、駅前は観光スポットのようなにぎわいである。
 ぼくが初めて高尾山を歩いた30~40年前はたいへん静かな山だった。木々ももっと多く、影の多い山であった。人もまばらで、待ち合わせを「頂上12時」としてもすぐわかったものだ。あきらかに今よりは静かなのんびりした山だったように思う。
 だから小用に立つことも気にすることもなかった。いまでは、人が多くて無理なようだ。それでも、疲れたからだを動かして奥深く分け入ってき済ませるようだ。トイレが充実したとはいえその場所までいかなければ無理だ。とくに女性は大変だろうと思う。

 とはいえ、これまでに高尾山の有名にしたのは高尾山に関しては「山ガール」であることも事実だろう。ときどきすれちがう山ガールは、色もカラフル、町中で登山用服をきているようだ。そして楽しそうな笑いあり食事あり、と本当に山歩きを楽しんでいるようだ。
 時代は変わった…と思うしかない。時代に翻弄されているあの時代の登山者は、京王線高尾山口からはおりないだろう。その一つ手前の「JR高尾」で降りて、バスで奥深くにある登山口をさがしているようだ。
 おそらく高尾山は今がピークかもしれない。あと何十年先には何があるのだろうか。山を貫通した高速道路、地上50メートルもある道路を見るにつけ、何本も穴をあけられ、ついにはトンネルだらけの山になってしまうのではないかなと懸念する日々だ。



 今週末、久しぶりに山歩きに行って来ました。
 まだまだ寒いからでしょうか、登山者はいつもよりまだ少ないような気がします(その方が静かでいいのですが…)。
 山の方は少しずつですが花が咲き始めてきました。桜の方はもうちょっと先になりそうです。登山道は思ったほどぬかるんでいないのが助かりました。もうその時期はすぎたのでしょうか。一時は靴にどろがいっぱいついて重たく感じた時期もありました。帰ってから万歩計をみたら22㎞の歩いていました。できるだけ歩くように心がけています。

 3月も終わります。来月にはどんなことがあるのでしょうか。
 町では、新しいスーツ姿の新入社員や卒業式の帰りでしょうかはかま姿の女性のすがたも見られました。4月は別れと出会いの時期でしょうかね。
 いい出会いは、これからの人生に大きな影響をつくります。
 私にとってのいい出会いは…、もう期待するべくもなく日々を送っていくのでしょうか。どちらかと言えば、別れの多いの年齢になっていました。
 誰にでもかならず別れはきます。それでも、自分が頑張れる別れがあったことも確かです。そんな人の気持ちをときどき思い出します。
 
 さて来月は年金について準備をしないといけないと考えています。こちらが要求しないと何にもしてくれませんからね…。お疲れさまでした。

 今週はこの辺で失礼します。

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