日々徒然に

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台風21号接近まじか…選挙終わる

2017年10月22日 | Weblog

 こんにちは。
 ここ一週間、ほとんど雨でした。雨で寒さもいよいよ本格的になってきました。これには、10月だというのに「この寒さある」という寒さもありましたね。
 突然マフラー姿の人を多く見た日でもありました。季節の変わり目、体調が温暖の差についていけず…というまえに、この時期はちょっと暑くとも体を冷やさないが基本だと思います。
 寒さに日々、追いかけれている毎日になってきました。
 超大型の台風21号も関東地方に接近している日曜日でもあります。



神戸製鋼は、製品データの改ざん問題を調査するため社内の自主点検や緊急監査した。アルミ製品を生産する長府製造所(山口県下関)の管理職を含む従業員の不正を報告しない隠ぺいをしていたと発表した。日本工業規格(JIS)の認証を受けた銅管のデータを書き換える不正行為もあった(10月21日・東京新聞)

 日産自動車も新車の出荷前に行なう「完成検査」で無資格の従業員が続けていた…というニュースも最近あったばかり。「やっちゃえ日産」のCMの言葉も不正を暗示していたかのように聞こえてしまうのは不思議ではないように思う。一流企業の不正疑惑の中で困惑するのは利用者だ。さて、「自分の乗っているの愛車は大丈夫」と思ってしまうだろう。事故を起こしても「ハンドルを切り間違えた自己責任」ではすまなくなってしまう。そして「事故は人災」だとなってくる。それも、企業の手抜きでである。企業に対する安心はなくなってしまう。そこで、働いて労働者はさらに疑心暗鬼での仕事に自信がなくなってくる…。「負のサイクル」が回り出して、けっきょく誰にもいい思いがなくなってしまう社会になってしまう。

 そういえば、昔にこんなことはあった。
 こちらは食品疑惑。雪印牛肉偽装事件があった。雪印牛肉偽装事件=<(ゆきじるしぎゅうにくぎそうじけん)とは、2001年(平成13年)10月に日本で起きた牛肉にまつわる補助金詐取事件。2002年(平成14年)から2004年(平成16年)に発覚した牛肉偽装事件の最初の事件である。本事件により、補助金詐欺の実態が暴露され、他の補助金詐欺事件が発覚するきっかけともなった事件である。=雪印牛肉偽装事件最近ではマクドナルドのハンバーガーの肉の正体が不明。本当の牛肉ではないなど、身近にはけっこう多い。

 でもよくよく考えてみれば「ブラック企業」だって残業代不払いや超残業時間の電通やNHKでも疑惑だらけではないかと思う。どれをとっても働く人にとってはよくないシステムだと思う。これが「負の連鎖」というものになって会社を覆いつくした結果、にっちもさっちもいかなくなり、その問題に悩むことさえばかばかしくなっていくように思う。働く人の中には、それを考え悩む人、知らん顔をする人に二分されていくのだろうと思う。けっきょく、悩んだ末、自分がその解決策もないまま働いてしまう最後に「過労死」なるものがあるように思う。まじめな労働者が、なんの手だてもなく、いきついてしまった結果である。問題があるにもかかわらず、企業は放置して利益を得てきたことは「偽装事件」と同じ構造だろうと思う。そして、次々に起きてきている過労死は、労働者を守るべき組織も問題と思えるのだが…。

 と、思うともう一企業の問題ではなくて社会そのものの問題だと思うえる。それを放置ししてきた政治にまでいきつく。では、その政治をになってきたその時代の政権はいったいなにをしてきたのだと…いうことも問題になってくる。その政権が、同じようなこと「森友・加計問題」も同じことなどと思う。こちらは国民の税金が使われている。
 まさに、小さな問題から、大きな問題まで日本のシステムそのものの問題だと思う。
 一つずつ出てくる疑惑のニュースに話をしているが、この本質はそれを作っている社会そのものが根幹にあることをつくづく感じたニュースだった。
 そして、最後は全部責任を働く人が背負い込んでいるような仕組みに腹立たしささえ覚えるのだ。就活でやっと入った会社に裏切られてしまっていることに怒りも覚えたニュースだった。


停車中のワゴン車が大型トラックに追突され、静岡市の萩山嘉久さん(45)、妻友香さん(39)が死亡した事故は、夫妻が別の乗用車とトラブルになり、針路をふさがれたのが原因だった。車同士のもめごとは身近な出来事で、2人に1人が普段からあおり運転に直面している(10月16日・東京)=あおり運転

 「あおり運転」の記事を読んで考えたことは、個人の憤懣を他人にぶつけているような景色が浮かぶ。たまたま高速道路で追い越され、ぶつかりそうになって難を逃れて「気をつけろ!」と思っていたら、またしても進路を妨害しているように思えた(のだろう)車にその怒りをぶつける…といういいがかり。まいってしまう。言いがかりつけられた本人は、文句をいう人の前後がわからないので、ただ怒鳴られた状態。

 わたしの場合は「あおり運転」じゃないが、満員の通勤電車のなかでケンカをしている若者を見かける。そんな光景も「あおり運転」に似ているように見える。どこか怒りっぽい若者は、ことの憤懣のはけ口を隣の人にたまたま向けてしまったのではないかと思う。私も、老人で小さいのでよけることができない通路などでは思い切り肩をぶつけれるときがある。腰がギクッとなり、歩けなくなる。
 そんなことは毎日である。わたしも若いときあんな風に老人にぶつかっていたのだろうかと反省してしまう。ただでさえ、肩のぶつかりあう満員電車では何が原因でいいがかりをされるかわからないから、混んで来たらリュックは手で持ち、なるべく窮屈で体の痛みを感じない限り次の駅までガマンの日々だ。
 それはそれでいいと思っている。ガマンできる範囲である。ちょっとの辛抱だからである。すぐに忘れることのなるだろうから…。

 『スタンドバイミー』という映画を思い出した。いたずら腕白4人の少年の青春と心の成長をえがいた名作である。少年から青年それぞれの人生。少年という時代に別れをつげ、それぞれの成長を見守る温かい映画だったと思う。物語のナレーションをつとめる作家になった少年がそれぞれの友達を思い浮かべながら物語だった思う。
 最後に、別れからの行方を語るところが印象的だった。大親友のクリストファー・チェンバーズ(リヴァー・ジュード・フェニックス)が猛勉強して弁護士なる。しかし、ある店での喧嘩の仲裁にはいって刺されて亡くなってしまう…という語りの部分はさびしい結末だったように思う。とてもいい映画になっています。大人になっても何度もみたい気がする映画ですよ。
 これも別の景色の「あおり運転」のようなものだと思えた。




 先週土曜日、突然のメール。
 「パソコンが落ちた…。スキャンもできない」夜11時ごろメール…。
 「このビルは呪われている!!」と。
 まだ、仕事をしているお客からだった。翌日、会社のメールをみたら写真が50枚ほど、原稿がファックスで40ページほど来ていた。きっとパソコンやスキャンが落ちる前に送ったものだろう。電源がどうにか戻って、引き続きファクスだけは流れていた。

 電源がおちた原因は漏電だった。
 今月末に修繕にくるそうだ。それがいま一番の問題解決の方法。
 結局、他人任せの仕事になっている日常があるんだなあ…と思えた。では、いったい私の仕事はなんだ、他人の修理を待つ間、何もできないということなのだろうか。いかに便利なわりには実際には何もできない日々なのだろうかと思えた。まあ、これは宿命だと思えば宿命なのだろう。

 他人まかせの仕事がうまく回るためには多くの企業や人の手を借りなければできない商品のあり方を考えていしまった。月刊誌の印刷も近づきだれでもがあわてている一週間だった。
 そのなかで、人の存在が機械以上に大切する人間関係が大事なことをつくづく思う。夜中のメールで、少しでも気が晴れるのなら送ってきても仕方がないようなあ…と思う日々だった。


 「歴史」に「もしも…」ということはないが、今回の解散がなければ国会はどうなっていたのだろうか…と思う。
 「森友・加計」問題が追及されいた国会だったはずだ。安倍首相はいったどんな説明をしていたのであろうか。さらには、それに関係した「忖度」とかという言葉にどれだけ追及がなされただろうか…という思いもよぎる。

 いまのところ「解散」ということで全部が宙ぶらりんの状態だということをどれだけの与党議員が選挙をやっているのだろうかと思うのだ。
 それにしても、この選挙で与党が圧倒的な勢力をつくってしまえばおそらく「森友・加計」は忘れたような状態になっていくのだろうか。それを追及すべく野党がいまより少数になれば、「一強多弱」は続き、「終わった」ということで押し切られてしまうかもsれないなあ、と。
 選挙前から、これほど安倍政権の横暴さが目立った国会運営が支持されてしまうのだろうか思う。だれがみても、「おかしい」だろう。まさに弱肉強食の絵図をつくっている国会は、審議する場ではなくて承認する場になってしまっている現実を見ればみるほど「おかしい!!」と思わないのだろうか。

 この選挙期間中、自民党は憲法よりも「豊かで平和な日本を守り抜く。 未来に責任を持つ確かな政策を、自民党は実行し続けます。 アベノミクスを全国で加速し、所得を向上。 幼児教育を無償化します。 皆さんの暮らし。子供たちの未来。この国を、守り抜く。 ぜひ、あなたの声を聞かせてください。」という言葉が並ぶのに、これまでの反省もないところに驚いてしまう。バラ色によってすべてを葬りさって(なかったことに)しまおうというイメージが見える。
 本当のところは、「臭いものにはフタ」で進もうとしているように思える。所得向上も必要、保育も大学の教育費も必要というなら、在日の朝鮮学校にも教育費無償化も必要となぜいわないのだろう。そして、「CMの言葉のようになるのは憲法を変えられたら…」というのがう本質だろうか。本音は選挙勝利後だろうか…ね

 「安倍政権に審判」。
 いったい有権者はどんな行動をするのだろうか。消費税10%引き上げや憲法改正、沖縄問題、原発推進、北朝鮮などあるが、私は働く場所をもっと考えろと与党の襟をただす選挙になってほしいものだと思う。希望の党や日本維新の会の保守系(第二自民党)はどこへいくのだろうか。
 そしていちばん伸びてほしい野党(共産、立憲民主、社民)はどうなるのだろうか。
 「歴史にもし…」があればと思うようなことを考えなくともいい選挙になってほしいものだ。



 明日には選挙のほとんどの結果がわかっていることだろう。
 どんな結果になっても変わらない日本であってほしいものだ。でも、不安はある。保守が合同して「大政翼賛会」とい政治が昔あったこと。そのご、集会や結社、さらには表現の自由が制限され、日本は戦争への道へ突き進んだ政治の形でもある。希望の党や自民党が大半をとればその道もあるかのしれないという危惧があるからだ。
 最近の政治は、原則がないように見える。ただ、利益を優先させるだけで、気がつけば、長時間労働や核開発、原発再稼働と人間が制御できないほどのものがはばをきかせてきてしまうのではないかという不安が残る。
 今週はこの辺で…来週は紅葉の山歩きをやろうと思います。
 読んでくれた人、ありがとうございました。


   ※写真は台風のため、これまでのストックしたものです。


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