日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

寒さも増してきた2月です

2017年02月12日 | Weblog

 こんにちは。
 2月にはいり寒さがいちだんときびしくなったように思えます。
 ちまたでは「バレンタインデー」とチョコレートのうわさが聞こえてきます。ぼくにはいっこうに関係なくなってしまったような日ですが、みなさんの周りではいかがでしょうか。寒い日に食べるチョコレートはおしいんですが。
 そのことより、最近は寒さが身にしみてきました。動きたしたくても寒さのせいでしょうか、気持ちをつよくもっていかないと負けてしまいそうです。

 とはいえ、寒さに負けじと健康のために近所の公園に出かけた休日でした。昨年も咲いていた蝋梅(ろうばい)が今年も満開でした。香りがよくてずっとその場所で眺めていました。「花の命は短くて…」香ばかりが印象的な蝋梅です。
 さらに行くと、梅の花も満開でした。小さな花びらが青空にいっぱいに春をつれて来ようとしているようでした。
 こうして寒い冬は、葉がないせでしょうか花が目だっています。そこに集まる小鳥の様子も鮮明にみえます。冬の楽しみも一つ見つけた一日でした。
 寒い、寒いばかり言っていたら本当の冬の良さが見つからずにいるかもしれませんねえ。そんな気がします。

 さて、今週はどんな一週間であったのでしょうか。





 自衛隊部隊が国蓮平和維持活動(PKO)のために派遣された南スーダンの緊迫した治安状況が伝わってくる。防衛相が昨年7月11、12日両自のの部隊の日報などを開示した。ジュバでは当時、大規模衝突が発せし、270人以上の死傷者が出ていた。国会で説明を求められた稲田朋美防衛相は「戦闘」を「武力衝突」と言い換えて答弁。事実を隠蔽していると追及されたいた。

 自衛隊がPKO平和維持活動として南スーダンに派遣されていることは知っているが、その内容までは専門家ではないのでニュース以外知らないというところが実際のところだろう。今回、国会で活動の「活動日報」なるものが開示されて驚いた。海の向こうで戦闘があったようだ。それに、派遣された自衛隊も巻き込まれる可能性はきっとあるだろうと思う。なにがどうなっているのか、「日報」が開示されるまで、あることも知らなかった。
 仕事だからあるのだろうということはあっても、開示されなければその内容も知らされないままどうなっていくのかも不明のままいるいうことはちょっと怖いなあと思ってしまう。

 太平洋戦闘当時の大本営発表で「全滅」を「玉砕」といい、「撤退」を「転進」といっていたことが思い出された。そこからイメージするのはまだ大丈夫というイメージであったのだと思う。だから、まだ戦えると勘違いをしていたような歴史があったように思う。
 最近あったのは、沖縄海域のオスプレイが燃料補給中に誤って事故を起こして「墜落」(ぼくの目に見えたのは)したことを「不時着」という表現に似ていたように思えた。なんと勝手な表現だな…と思えてしまった。
 ことは、重大なことなのに国民には知らされていないようなところもある。全容がわかったときは遅く、国民も全他の流れの中に漂ってしまう形ができがってしまう怖さを感じたニュースだった。



 出版大手のKADOKAWAが1月末に出版した雑誌「岐阜信長 歴史読本」で地図で岐阜市を「三重」と記すなどの誤表記30ヵ所あることがわかった。編集に協力した岐阜市教育委員会は「重大な誤りが多く大変遺憾」と修正を求め、同社は刷り直した。

 ぼくにとって、これは他人事ではないニュースでした。なんといっても誤植が30ヵ所もあれば、これはいったいどうしたことか。刷り直しは当然の結果でしょう。それにしても、こんなにあるとはなんとも言えません。
 こんなにあるとなると「始末書」どころではないのではないかと思います。もう致命的というところです。ぼくの会社であれば、大騒ぎでしょう。そして、二度と担当者になるようなことはむずかしくなるのでしょう。ぼく自身も校正などの仕事の経験があるので、これはきっと校正ミスというよりは、仕事の段取りみたいな印刷までの行程が間違っていて、最後の校正をするべき段取り抜けていたのではないかと思います。よくいうヒューマンエラーというよりは、シウテムエラーという方ではないかと思います。
 おおよそ校正は何度やってもこれでいいということはなくて、もう一度と思うのが通常でしょう。それが、仕事の流れの中で抜けていたのではにのでしょうか。

 「気を付けること」はもちろん作業のシステムを考えた方がいいでしょう。
 ひと事は思えないので、これからも気をつけて頑張ってください。



 一人職場であっても、これまで、仕事しているわけですから多くの他社の人たちとの付き合いもできてきました。最近、その会社の人が介護休暇を取得後、「やっぱり大変…」ということで辞めていきました。
 これまで、都外のの田舎に通っての介護休暇であったのですがとうとう、通いきれず、まさに「老老介護」の限界をみたように思えました。

 考えてみれば、地方から都内に仕事に来ている人は両親が病気になってしまったら看病をするために、仕事をとるかあるいは自分だけが仕事をやめて短い老後を親と一緒に住んでみようかという気持ちになるでしょう。
 介護休暇はあっても、助かることはほんに一部分で実際は個人の負担がおおくあるのだろうと思います。結果として、決断をして辞めたということです。
 働きながら、介護という仕事は通常通っている職場での仕事よりはるかに大きな負担がかかることが見て、聞いてわかるような気がします。
 
 いったいこれからどうなっていくのでしょうか…、一抹の不安がつのります。だから、老人の「孤独死」という現実も多くなってくるような気がします。自分の老後のことを考えると、想像できないように思えます。
 まして、認知症などになってしまったら…、と思うと厳しい現実があるんではないかと思います。(ぼくもそんな年なのだ…と)
 介護サービスもありますが、その辺もよく勉強していくことの大切さがわかってきます。国や市での介護についてどれだけの援助があるか、わかるでしょうか。
 「お疲れさん会」で出席したときそんなことを考えしまいました。


 毎日お天気がよくてけっこうなことです。それにしても、乾燥してインフルエンザが怖いです。
 なんせ、一人職場ですから、休むのもいいのですが正直なところ代わりの人に段取りを教えるのが面倒なのです。インフルエンザにかかって、最悪の場合は仕方がありませんがね…。
 来週は、いよいよ月刊誌の追いこみですワ。まいったなあー、と思います。残業もあるようです。「働きかた改革」なんていうのは、日本の会社では法律ができても無理なような気がします。なんせ、みんながわがままばかりいっているのを聞いていると、残業でもやらないと追いつかないのが仕事の実態です。現実、残業やらないとお客が離れていく…、という習慣がなくならないと無理でしょう。これは、一社の企業努力では到底無理なはなしです。トータルで取り組まないと無理でしょう。だいたい24時間営業という形をつくっていく流れがおかしいのではと思えます。これが、グローバルスタンダドということでは永遠に無理でしょうね。これは、法律というより、生活改善というものを考えて実行できる文化が必要に思います。悪しき文化はいつになってもなくならない。それは、生活習慣のなかでなおす改革が必要でしょう。

  では、今週はこのへんで失礼します。
 寒さで身をちじめているのも、もう少しの辛抱です。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿