日々徒然に

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気がつけば・・・10月。

2021年10月03日 | Weblog

 こんにちは。
 秋風が吹く季節となりました。多摩川散歩ではトンボがたくさん見かけます。やっと地上も涼しくなってきたということでしょう。まさに「お彼岸」までが暑かったのですが、その後は涼しさが入って来たという季節です。
 それでも、暗くなるのが早くなってしまうのは寂しい気がします。

 さて今週の目玉は、「緊急事態宣言」の解除だったのではにかと思います。8月後半にはいってきて、感染者が少しずつ少なっていったようです。
 解除の内容は、飲食店での酒の提供や営業時間なども緩和(夜9時まで)されます。いずれも、「認証店」という都道府県が認証しなければ営業は出来ない状況はかわりません。ところが、対応が不徹底ということもあって、不満が多いようです。また、イベントではこれまで5000人が上限であったのが、最大1万人人に緩和されています。とはいえ、飛沫が飛ぶ、応援はいまだに自粛傾向です。

 そんな解除内容をみながら不安は解除されたわけだはないのでしょう。
 なぜならこれまで、自分の身の周りにはいないだろうと思っていたが8月に入って会社の人に感染者が出た時には、いよいよ身近になってきたか・・・と思ってしまいました。今週、感染者が無事、検査の結果、陰性になって職場に帰ってきたときは安心しました。まだまだ続くと思います。これまで通りするしかないような気がします。冬にむかっています。
 ワクチン接種がすすみ、効果によって感染する不安の一つが解消されても、寒さと乾燥によて、「第6波」がきて、これまでの経験からなんの不思議はありません。

昨日、職場で仕事をしていると、〇〇さんに会う。右の手がいやに大きいと思いきや骨折したという。「やっちゃいました。バイクで転んで右手の指を骨折してしまいました」と。まだ、包帯をしていて、一部指が太くなっている。腫れがまだひいていないようだ。五十代後半、とうとうやってしまった事故だった。それにしても元気な様子で、さすがに元気な人でも、無茶な操作ということで事故が起きてしまったようだ。それでも、手の骨折くらいで? よかったと後悔するしかないようだ。
 そんな無駄話しをしていながら、最近、自分の好きなことでケガをする人を見ていなかったように思えた。コロナ禍でもあるためか、外出がコロナ前よりは少なくなったことは確かなことだろう。それでも、その人は「コロナ感染に注意して…」自分の好きなことをして事故を起こしたわけだろう。
 かつて、私も骨折したことがあった。
 いつものように一人で山歩きにでかけた下山途中での山道でのこと。少し硬めの下り坂の小石に足を取られて転んだ拍子に杖を持った手を勢いよく地面のたたきつけられたのだった。はじめは、かすり傷かと思っていたが痛み出した。さらに時間がたつにつれて小指の部分が腫れだした。痛みが腫れと一緒にましてきたようだった。細い小指が2倍ほどにふくれあがった。
 翌日、近所の整形外科に行ってレントゲンを撮ったところ、小指を骨折して、筋も切断されていた写真をみせられた。それから、一カ月ほど小指専用ギブスをつけていた。今でも、小指がうまくまがらない。
 とはいえ、命を落とすほど(脳挫傷や首の骨折など)にならなかったのはよかったと思う。用心に用心をかさねているとはいえ、起こる時に起こるものだ。後悔したところで遅いというわけだろう。
 山歩きは好きだが、そこで命を落としてまでの熱烈ではない。それでも、若い時は、「生きるか死ぬか」などと思って登った山もあった。まるで、青春真っただ中という感じだった。それも若さのいたずらなのかもしれない。
 でも、命を賭けるほどの趣味やら仕事やらこれまで何かあったのだろうか、と思う。
 よく山岳登山家が冬山に行って命をおとしたことや政治家が抗議行動をしている最中に暴漢に襲われて亡くなったことなどをニュースや本などで読んだり聞いたりする。考えてみたら、「命を賭けて」は何事にも一生懸命の結果だったのではないかと思う。それだけ、ほんとうに覚悟をもって臨んだことに遭ったということなのだろう。それが、たまたま失敗、つまりは命を落としたという結果なのだろうと思う。上村直巳が『青春を山に賭けて』でも命を賭けて山登りをしていた。失敗すれば、命をもなくすギリギリの限界に挑戦したものに、人は感激しているではないか。
 その感激の背景にあるのは、全力を尽くしての結果だからだろう。さらにはその背景の苛酷さにひかれているからだろうと思う。

 一生懸命さ→感動→善悪を越えた→エネレギーとしていくのではないのだろうか。それぞれ一人ひとりの物語からたくさんのエネルギーをもらって行動していることには間違いないことだ。どれだけ、後悔したことがどれだけ自分ができて、他人から聞くことができるのかと思う。
 自分の失敗、他人の失敗の話をこれからどれだけ聞けるのだろかと思う。まだつづくだろうコロナ禍の中、そんなことを考えた週だった。


 10月が始まりました。今年もあと3ヵ月ですか。早いものです・・・。
 まさにコロナ禍2年目も終わろうとしていわるわかでしょうか。10月に入ってうやっと「緊急事態宣言」が解除されたわけですが、一方で「本当に大丈夫」と思うわだかまりも残っているのも事実です。
 なぜなら、これまでコロナ対策がいいとは思っていない分不安があるのだろうと思います。コロナ禍で多くの失業者でて、営業も断念した飲食店も多くありました。さらには、これまであまり目立たなかった、女性の自殺者が多いとも報道されています。まともに働こうと思っていても、職場が事業縮小などで解雇・契約切れなどが発生して、家計に負担がかかてきたことについては何の解決のめどが立っていないような気がします。
 これまでのコロナ対策の検証もされてはいない状況だと思います。

 とくにひどいなー思ったことは、こんな時であっても臨時国会をせず、政治が討論できたいなかったということでしょうか。
 10月にはいって「値上げ」が相次ぎました。とくに食糧品の値上げは、家庭に打撃を与えます。それをどうにかするのが政治家が仕事なのですが、説明のないまま値上げはされました。(なんか変だ・・・と思います)
 とくにタバコの値上げには驚きました。実質銘柄によっては40~50円との値上げには驚きました。ただ、タバコは嗜好品のなかでも、「国民の健康のために喫煙者を減らす狙い」という金言があるような中、誰も苦情はいいづずらい中の値上げ。なんとも、人の弱みをねらって、こそく気がする値上げでした。
 ほんとうに、健康を考えるのなら、医療のひっ迫をつくるような政治を改まればいいのではないかとも思います。

 こういうことを政治家が討論しないで何の政治家なのかーと思います。
 読んでくれた人、ありがとうございました。 

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