こんにちは……。久しぶりの青空ですね……。
10月も終わります。今月は、日々台風に悩まされた月でもありました。通勤途中で停止した地下鉄に途方にくれた日もありました。さらには、深夜の地震もあり、また大地震の予兆かな…という週でもありました。
また今月は、いやなことばかりでもなく親戚の結婚式にも出席した日もありました。圧巻は普段入れない夜の明治神宮でした。東京のどまんかでこんなに暗くて静かな森があるんだと感動してしまいました。これはよかったですよ。遠くから聞こえてきた山手線の音が快く響いた夜でした。もちろん結婚式もよかったですよ……。
今日は「台風一過」でしょうか青空が一週間ぶりに見えています。
最近では、影も長くなってきました。空気がひんやりとして冬がそこまで来ていることに気づかされます。「また、寒い冬がくるのか…、いやだねえー」という思いがつのるばかりです。とはいっても、「四季折々の日本」では仕方がないことでしょう。この四季を楽しむのも日本人の知恵でしょうから、いろいろ工夫して過ごすしかありませんかね。
◆ ◇ ◆
さて、今週は、台風26、27号の影響で一週間、雨と風にさらされた週でもありました。伊豆大島の被害を思うと、心が痛みます。時がたっていくなかで、少しずつもとの生活が一日でもはやくに戻っていくことを願ってしまいます。私の方は、交通網が乱れて会社に遅れることくらならまだ、よい方なのだと思えます。命を落とした人、まだ見つかってない人と被害にあった大島の人たちにとっては大災害だったわけですから……。また、同じ翌日を迎えていられることが平凡ですがいちばん大切なことなのだろうと思えます。
さて、世の中はなにか暗くなっていくようなことが目白押しでした。
プロ野球では日本シリーズがはじまりました。パリーグでは楽天、セリーグでは巨人の二チームが戦いを始めました。昨日は、楽天が押していたのにもかかわらず、結果は2対0で巨人でした。
思えば、ここまでくるチームだと思っていなかった。
9年前には東北楽天は38勝97敗1分けの戦績でした。0対26という試合もした日もありました。さんざんな開幕年でもあった。サッカーならば2部落ちは確実なチームだった。それが、今年パリーグ優勝とは、だれが想像したのでしょうか。この勝利には日本シリーズが終わったあとに、なにかといわれると思う。その日がくるのも楽しみでもある。
どうしても判官びいきであ。
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ドイツではアメリカのメルケル首相の電話の傍受が報道された。傍受はこれだけにとどまらずフランス国の要人の傍受を米情報機関がやっていたという。まあ、これはありうることだろう。世界中でいちばん猜疑心の歩くにはアメリカだと思っている。世界征服をたくらむショッカーではないが、アメリカという国は「力」の政治は民主主義といってはいるが各国に軍事力に力をいれていることは、誰のみてもあきらかだと思う。
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日本では「特定秘密保護法案」が出てきた。どこまでが「秘密」か、まだはっきりしていないところがある。とはいうものの、政府が秘密といえばそれは確実に「秘密」になるのは当たり前である。そんな日本は「偽装」の多い企業がまた出てきた。最近、ホテルでも米屋さんでも最近のニュースでは「偽装」のものが報道されている。これも企業にとってはばらなければ「秘密」になりうるものだろう。内部告発があれば秘密法案にもふれるかもしれななくなってくるのではないかと思う。
「繁栄があるところ没落するところあり」という時代の鉄則なのだろう。
どこの土地に住んでいても、都市開発の影の部分である小さな店が消えていくようだ。オリンピックという繁栄がつくりだす大きなスポーツ施設の影にはそこに昔からあったものが静かに消えていった物語があるのが資本主義の鉄則なのだろうと思う。
私の住む町も例外ではないようだ。30年前この駅前は駅舎と小さな本屋、神社につながる境内までの道しかなかった。他は畑と住宅があるくらい。それを囲むように木々が被っていた。それが、今は大きなデパートが建ち、駅舎もより多くの人間を吸収するための大きさになってきた。
それでも昭和の風景を残した居酒屋やラーメン屋がある。それが、いちばん落ち着く空間の年齢になった。酒を飲むのも安くてうまい。酒に酔って愚痴をいった路地でもあった。心の隠れ場所みたいな場所だった。
大人も子どももこの路地を通って神社にむかってお祝いをする時代がなくなっていくのが残念に思う。
年々その姿が消えていく昨今。
オリンピック東京開催でますます昭和の風景は消えていくだろう思う。
私が生きている間は、残っていて欲しい風景が少なくなっていく……。それがこの社会の法則とはいえ残念に思う。いずれ、この景色も心の中の一角に残すものになるのも時間の問題になっていくようだ。寒い冬が近づいる夕方、となりのお店から煙がのぼり、湯気がのぼっている路地が懐かしい。
今月はほとんどがエッセーでした。それぞれの思いをかき集めたものを本にしたものです。ですから、新聞や週刊誌で読んでいたかもしれません。それでも、本になると買ったり、図書館で借りたりして読んでみたい人たちだったのでしょう。全部自分の仕事を通じてのエッセーであるのに気がつきます。
浅田政志、藤原新也さんは写真家です。二人の個展などにいってみたい気がしました。杏、市毛良枝さんは女優です。エッセーは作家より、自分の仕事を通じて日々感じたことを書いたものがいいですね。
◎僕のいた場所/藤原新也/文春文庫
・昨今のように宗教が時代の前面に出てくる背景にはいくつかの要因が考えられるが、まず前提として考えられることは、そこからかつての宗教の存在理由であった貧病苦からの解放という経済的肉体的欠損を癒す目的性は影が薄くなっているということだ。(p123)
・平和をむさぼり、物溢れる中に暮らしながら、こころや家族や人心のつばがりを置き去りにした日本人は不幸だ、と論じているのは簡単である、(p169)
・人間というものが面白いもので、プライドを待たぬ人間には高飛車になり、プライドを示す人間には下手に出るように出来ているものである。(p228)
・つまり老いというものが、何か価値を持ちえる土地における老人は輝き、そうでない土地に住まう老人は輝きを失うということである。(p230)
・このおかめ面というものがなぜかつて日本人に愛されたかというと、顔面美の分割方法によってできている。女性の顔を額のある部分、目鼻のある部分、口のある部分とそれぞれ横に線を引いて三等分割する。
(p266)
読み終えて、やはり藤原新也さんは写真家だな、と思う。なにを見てもその深い洞察力に感心してしまう。人間ウォッチングはその写真の表現に強い思いを投影していく写真には必要な行為だと思う。
◎家族写真は「 」である。/浅田政志/亜紀書房
・だから理想は「浅田家」に感動してまらうより、自分の家族のことを考えてくれるきっかけにしてくれればいいな、と今は思うんです。(p71)
日本人は世界一写真好きな国民だという。だからカメラが普及し、いいカメラが世界中にシエアをのばしている理由んおでしょう。
私も親となったとき、自分の子どもを追いかけては写真を撮っていました。それが、子どもが大きくなり独立していくとカメラが活躍する場所も少なくなってきました。いまは、このブログとハレの場所を撮ることが多くなってきました。
この本を読んでみたら、家族写真のもう一度考えてみようという提案でもありました。家族一人ひとり自分の好きな場所、時間があります。それをあらためて写真という媒介をつかって表現してみるということだろうと思います。
本には写真を撮る前に「自分がかっこいい」と思えるそれぞれのイメージを写真にしてみたら、家族であっても一人の人間としての形があるようです。家族と自分との関係もより深まるのきっかけになる「道具」であっていいのではないかと思えました。
そうえば、今回紹介している山田太一著の『岸辺のアルバム』にも家族写真が見る場面がありました。
◎杏のふむふむ/杏/筑摩書房
・正解はない。だから、私のやることは私の出せるものを出し切ること。(p141)
NHKの朝ドラに登場した杏さんのエッセーを集めたもの。これも、どこかでその一つを読んでいるのだろう。
世界中をモデルとして活躍した杏さんが女優としてどう活躍していくのかが楽しみな日々がきた。
私が好きな理由として、親の七光りで芸能界があるなか、一切親のことをいわず(それなりの理由があるのだが)もくもくと仕事をする女がいい……と思った。世の中、ほとんどがいつか独立するのだから。また、山登りが好きだというのが個人的理由でもある。
今後の活躍が期待したい。
◎つらい時、いつも古典に救われた/清川妙/筑摩文庫
・自分自身が喜ぶこと、そして、人のことを喜んであげること。この二つは微妙にからまって、人間のほんとうの意味の楽しみ上手、喜び上手にするのだと思う。(p41)
・なにがあっても、一日を大切の生きる。それを強く生きることにつながる。明日も、そして、つぎの日も、そうして、日々をつないでいこう。(p43)
・生ける者遂にも死ぬるものにあればこの世にある間は楽しくあらな(p163)
徒然草には人の生き方がいっぱいあるという。古典を解釈してみれば長い歴史のなかで引きつがれ、生き延びた言葉がたくさんあるという。めんどうくさがらず、古典を読みながら考え昔の人の言葉に耳をかたむけることの大切さをのべている(同感……)
◎この本が、世界に存在すること/角田光代/KADOKAWA
第132回直木賞受賞作家最新短編集。本への愛情をこめて角田光代が描く新境地!泣きたくなるほどいとおしい、ふつうの人々の“本をめぐる物語”が、あなたをやさしく包みます。心にしみいる九つの短編を収録。(紹介抜粋)
人それぞれ、本を読んでみてその本にかかわる物語がある。何度も読んでみた一冊がある。
◎山なんて嫌いだった/市毛良枝/山渓文庫
山にいってまずはじめに思うこと。きついことが始まるぞー、と。
頂上についてしまうとみんな忘却の彼方に……。ころぞ山登りの醍醐味。
◎岸辺のアルバム/山田太一/光文社文庫
家族のあり方が少しずつ変容していく過程をえがいています。家族といっても始まりは他人同士がつくりあげるものです。それをつくずく思い知らされた小説でした。だから、大切なことが問われています。
今日(日曜日)は市内はジャズフェスティバルというものをやっていて、市内中心地からはギターやサックスなどの音が響いていた。のんびりと立ち寄って聞いていると迫力がありました。生演奏は素晴らしいですね。
「芸術の秋」とでもいいのでしょうか。季節は音を気持ちよく飛ばす季節でもあります。人の音はあまりいい響きをさせたないのに……ね。
10月も終わりです。お疲れ様でした。
日に日に寒さが身にしみてきます。今年も残すところ2か月です。幸いにして、難病になった妻はいまのところ、元気におくれていることができています。これも、日々薬のおかげと、思うのはしゃくですが現実は袋いっぱいの薬がきいているということなのでしょう。
人間いつ、どこで、どんな災いを被ってしまうかわかりせんが、それでも今日一日が終わるとホッとします。今日も無事だったか、と思います。
今日、マンションの10期の定期総会も終わりました。突然の理事長の欠席にもめげずに、副理事長さんがよくまもとめてくれました。
10年もすれば、少しずつ、いたんでいく共同住宅ビルの修繕費用に少しずつ討論が活発になった大会でした。修繕の予算案もみんなで相談して決めるしかないよす。午前いっぱい、次期役員選出も終わり、今年、役職だった私の理事も終わってちょっと安心した一日でした。それにしても「委任状」ばかり多い大会でした。半分以上が委任状でした。これは、なにか寂しいかぎりです。人にまかせているべきものじゃないでしょう、にね。
今住んでいるマンションのローンが「払えなくなったら…」と考えるための集まりでもありのだから、決して他人事ではない、と思います。
11月はどんな月にしてみたいですか……。いよいよ仕事も師走にむかって始動し始めます。寒さも厳しくなってきます。温かくして過ごさないと病気になりやすくなります。よく食べて、よく眠って日々を過ごすだけです。
10月の反省すべきは月末の「読書」がまとまりがないことに気がつきます。乱暴な読み方で紹介するまでにはなっていないようです。次からは、読んだ本のなかから選抜して紹介するようにして、内容もまじめに書かないといけないかな……と反省しています。
では、お疲れさまでした。来週の連休には、友だちと山歩きにいけたらと思います。
*読んでくださった方、ありがとうございました。
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