日々徒然に

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コロナ感染拡大・・・大雨注意報! さんざんな盆休みでした。

2021年08月15日 | Weblog
こんにちは。
 毎日、雨が降り続いています。
 いつもであれば、いまごろは帰省をしたり、墓参りをしたりと夏の風物詩を体感しているころなのでしょうか。昨年は高校野球も中止であったりしていても、どこかで気が紛れていたのだと思います。

 さて、今年は天気の悪い日々をおくっていくなか、コロナ感染も増えていくなか心配な夏になっていました。連日、都内では連日の感染者は5000人超えです。いったいどうなっているのだろうかと思います。そんなんかで、病院は逼迫という形がつくられ、もし、感染したとき、命の「安心・安全」に不安が増えるばかり、というのところが正直なところです。ますます、「命を守る政治」という言葉が重く現実になっていくようにも思えます。
 今年は、東京五輪もあり、その中での人の移動がウイルスが感染拡大に拍車をかけたということはあると思います。終わってしまえば、引き戻すことはできないのですが、やはり東京五輪はやるべきではなかったのではつくづく思います。


 65年目の夏です。日本にとっては戦後76年でもある。
 今年の夏は、西日本、東日本、集中豪雨により「経験したことがない」の連発が多く聞かれた夏だったようだった。この欄を書いている時でも、土砂災害、川の氾濫など事故のニュースは連日報告されていた。ここ何年かの雨は、必ず被害をつくって去っていくことも特徴だろう。雨がふるたびに「警報」が告げられ、災害が引き起こされた。せまくりくる大水になすすべもないなか、ひたすら避難をしている。それでも、避難にまにあえばよいが、遅れてしまえば生命の危険さえある。

 そういえば、こんな状態は日本だけではないようだ。
 今年7月末に起きた、ドイツ、ベルギーで起きた220人が亡くなった大洪水が記憶に新しい。これまの災害もあったが、それぞれ注意して土のうなどを用意していたものの、洪水はそれ以上のものだったという。激しい降雨が前例のない規模になり住民の意識も警告が重く受け止められていなかったことが原因にあるようだ。そして、ドイツの社会学者・マルティ・フォス教授いわく「ドイツは、日本のような自然災害に対応する文化がなかった」(毎日8月13日)といっている。

 それを読んで「自然災害に対応する文化」があったのは、数十年前だろうと思えた。いまや、科学技術によって災害は少なくなっているというのがあるのも事実だろう。しかし、ほんとうにそれは、科学技術の幻想があるのではないかと思えた。現実の自然災害は人間の想像をあはるかに超えた中にあると思えるのが、ここ何年かの被害の大きさだと思う。事実、福島第一原発の津波による原発建屋爆発など、人間の知恵をつくしたところで、自然はその先々まで破壊しうるエネルギーがあることは承知のところだろう。
 いまや、地球規模で災害のないところが消えつつあることは目の前の現実が警告している事実であるのだろう。「世界の平均気温が19世紀後半の平均から1.1度上昇した。EUの試算によると、気温上昇が3度上昇に達した場合、域内の経済損出は少なくとも年1700億ユーロに達するという(同8月13日)。
 
 一方、自分が住んでいる都内を見わたせば、こちらでは新型コロナウイルス感染が増大していた。こちらも「経験したことがない」感染状況だ。お盆の時期で人の移動が活発になっているとはいえ、毎日数字が増え続けることに怖さを感じてしまう。政府がこんな状況のなかでも、東京五輪を実施したことを考えれば、国民に自粛しろといっても「オカシイダロー」となってしまうのは本音だと思う。やることが逆で、「五輪も中止するほどだから自粛に協力してください」だろうと思えた。やっぱり、パラリンピックも中止するべきだなーと思う。もっとやるべきことがあるのではないのかと思う。いまは、感動するための「命を守る」ことが優先させることだろうと思うのだが・・・。

 そんなことを思いながら、冷たい雨の中盆休みが終わっていく。



 なんとも寂しい盆休みであった。自粛しているつもりはないけれど、雨が降り、豪雨氾濫、コロナ感染者最高数・・・などというニュースなどと聞きながら過ごしていると、こんなときどんなことをすればいいのだろか。
 傘をさしながら近所を散策する日々だったようだった。
 プロ野球やJリーグが始まったようだ。プロは生活があるから仕方がない。これが仕事だから、と思いながら見ている。
 「緊急事態宣言」がまだまだ続いているなか、政府の対策もあまり期待できないなか、コロナ感染者は犠牲者になっていくようになってくる。人災なのかもしれない。
 今年は、ゆっくりと甲子園での野球観戦を楽しみにしていた。だが、ほとんどが雨で「中止・順延」という形になってしまった。雨の中、田んぼのようになった甲子園球場に無常に降り続いた。
 そんななかで、甲子園出場校の選手の中にも感染者が出てきた。けっきょく、その高校は出場を辞退した。これまで暑いなか猛練習をしてきて、一瞬のうちに感染してしまい「夢かなえず」として去っていくのだろう。それこそ、東京五輪やパラリンピックを中止して、甲子園に感染予防を徹底させていたら、辞退することもなかったのかもしれない。
 東京五輪・パラリンピックはまさに「国策」として、高校野球よりはハードルを高くしていたのだろう思う。自国の高校生の夢をコロナ感染という事態で終わりにしてしまった代表校は無念だったろうと思う。
 とはいえ、五輪後ますます増え続ける感染者数。「原因は五輪ではないか」ということは暗黙了解なのかもしれない。なによりもその「暗黙了解」がいちばん怖い形であるように思えた夏だった。

 読んでくれた方、ありがとうございました。
 今週はこれで失礼します。悲しい盆やすみでした。