日々徒然に

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ワクチン接種の予約ができました・・・

2021年06月06日 | Weblog

 こんにちは。
 毎日、傘が手ばなせなくなり、少しずつ関東地方はも梅雨モードになってきました。今週は時おり降る雨が続くようになってきました。
 空でがツバメが雨の中でも気持ちよさそうに飛んでいました。今年はどうしてか少ないように見えます。これまで散歩のとちゅうで見かけたツバメの巣は1個でしたし、うらを返せば少しずつツバメが住めるような環境が消えつつあるのでしょうか。現在、巣作りをしているところでは、すでにヒナになって親ツバメがまいにち餌を運んでいる様子が見えます。

 この辺の環境も日々変わっているということなのでしょうか。ツバメにとっては住みずらい環境になってきたということなのでしょうか。その変化をいちはやく察知していたということでしょうか。
 環境に寄りそって住む形を変えるということは、コロナウイルスにも同じことが言えるのでしょうか。
 昨年、いちばん増えたのは英国型(N501Y)と南アフリカ型(E484K)だった。そして、今年はインド型(L452R)だそうだ。ウイルスを人をかえして移動するとうことだから、この間世界中に移動していたことになる。そしていまは環境が変わってくれれば生き残るためにさらなる変異をくりかえす予想がつく。とくに人口が密集している東京ではないさらだろう。
 生き物はあたりまえのように環境に順応するするようにして生きてきたことを考えれば、五輪には五輪特有のウイルスもあるかもしれないと言われている。
 ツバメもウイルスも生き物。ただその違いは、人間にとっての害になるかならないとう差があるだけで、生きていくことには同じ方向に進んいるのではと思う。ツバメが少なってきたこの辺の環境も少しずつ悪くなっているのだろうということかもしれない。ずっと同じ所に住んでいると気がつかないが、それが敏感に感じて住まなくなったということなのだと思える。

 「東京五輪まで50日を切った・・・」という見出しの新聞を多く見た週であった。コロナ感染で「緊急事態宣言」も延長された中で、何か違和感をもった。
 政府も都知事も、IOCのえらい方がの「中止はない」という発言に背中を押され「開催」にむけた空気は拡大させるよう躍起になっているように見えた週でもあった。
 国民の意識調査ではほとんどが「中止」か「延期」にすべきではないかというなか、政治はその現実を無視するかのように突き進んでいるようにも見える。現実は医療関係は厳しいところは変わりない。さらに、医師会でもこの状況下では「無理」だろうとの意見もいっている。開催はいいが、この状態で最悪、新しい変異株が誕生したりして、誰が最終的には責任をとってくれるのだろうかいう日々である。

 コロナ禍でうっとうしい日々である。さらに、コロナによって失業者も多くでていている現状。そんななかでますます、格差のひずみも広がっていくのだろう。
 そんななか、ふと『ファシズムへの道』(大内力・日本の歴史24)や『それでも、日本人「戦争」を選んだ』(加藤陽子・新潮文庫)を思い出した。経済は逼迫し、民主制は保守派の良心派がことごとく萎縮させられ排除、軍事政治へと突き進んでいく。そして、国民は、軍への忖度から次々に協力させられたいく。協力をしないもは「非国民」とののしられ排除され差別されていく。「問答無用」のテロから、意見もいえなくなっていく暗い、暴力の時代へと進んで行った。そんな中で気がつけば、国民総動員で戦争へと進んで行った時代である。

 なぜそんなことを考えたのかは、今夏五輪の開催中に「無観客」になるだろういうなかで、観戦者に児童を招待(動員?)し見てもらおうという企画の記事を読んだからである。
 実際は、夏の行事さえ「中止」を余儀なくされているなかで無理だろうと思うが、五輪にはやるとの記事があった。子どもたちが応援している様子を世界中に発信しようというのだろう。子どもを持つ親たちは、ことごとく「中止」の意見が多い中で、どおうなるのだろうかと思う。先生たちや校長も悩むことだろう。無垢な子どもを利用しようということが、なんとも戦争時代の歴史を思い出させてしまったのだろう。参加しなければ「非国民」といわれたり、あるいは差別されたりはしなのだろうか、そんな思いがとりこし苦労になればいいが・・・。

 その本当の姿は誰もわからない状態。それでも、コロナ禍の中である。感染は人の移動に比例して増えるのである。このあたりまえのことを、誰もがわかっている声さえも封じられて突き進んだのが戦争時代の政治だと思う。そして、最悪のは、誰もが責任をとれない状態をつくり、収拾できなくなってしってしまったこと。
 いつの時代か、『それでも、日本人は「五輪」を選んだ』という本がでてくるのかもしれない。


 ときどき考えることは、アルバイトなんて何十年ぶりでしょうか。
 学生時代は、毎月友だちをとおしてアルバイトをしていた経験がある。
 ビル取り壊し、守衛、キャデイありと様々な業種でアルバイトをやったことを思い出す。その使い賃金の使い道は、合宿費や参考書の本にすべて消えていった。貧しいながらどうにかやりくりしたのが楽しい思い出があった。
 若いということはことはそれだけですごいことなのだが、何の不安も払しょくするほど勢いみたいなものがあったように感じる。

 そして今、高齢になってやるアルバイトとは、ほとんど生活費のために消えていっているようだ。まあ、健康だけがとりえで、定年退職後もやることもないし・・・、遊んでいるよりはいいだろうという安易さがそうさせているのだろう。このアルバイトですくなくとも出向時代の人とはつながっていて、職場の人よりはずっと楽に話もできるからいいのだろう。
 もう一人、同じ職場に古希になってもアルバイトをしている御仁がいる。理由を聞くと「仕事がすきだから・・・」とうそぶいている。本当に好きなのだろうかと思う。私は嫌いである。なにもすることもないからだろうと思うが「それをいったらおしまいだよ」と思って言わないでいる。
 
 そうこう思ううちに、コロナ禍で酒宴がめっきるできなくなってそんな深い話もできないからだろう、軽いうそっぽい話が多い。「酒の力は偉大」とは思わないが、それでも場を気軽にしてくれるその力は偉大なのだろうと思う。だいたい、この時期、仕事帰りの何人かでの立ち寄り酒宴は、自殺行為に近い。まして、高齢のオジサンである。力ない体にアルコールとくれば、ますます弱体化したなかに、コロナウイルスは突き進むだろう。
 たかがアルバイト、されどアルバイト・・・。

 毎年みている景色も住んでいることだけが精いっぱいだと気がつかないことが多い。それを気がつかせてくれるのは、毎年当たりまえのように飛んでくるツバメであったり花であったりするのだろう。
 コロナ禍でのなかで、感染しないことばかり気がいっていると気がつかないことが多いのだろう。
 そんなこともあってか、このどさくさに紛れて政治が重要法案を二つを与党(自民・公明)の多数で成立させようとしていた。その中の医療制度改革関連法(75歳以上の医療費窓口負担を1割から2割負担)を与党の賛成多数で可決している。なにも、コロナ禍のなかで医療に不安を感じている高齢者をねらい撃ちするような法律を出さなくてもいいものをつめたいものだ。
 そしてもう一つが土地規制法案(政府が指定した土地に強制的に土地利用を制限したりする)が出されている。こちらは、自衛隊の基地をあちこちに作ろうしていることがわかる。できるだけ、疑問を持つ人たちを寄せ付けないような法案だと思う。

 世の中には「ショック・ドクトリン」という言葉がある。人間の非常事態に乗じて利益を得ようとする仕組みことである。簡単にいえば火事場泥棒のようなことだろうか・・・。新型コロナで世の中が非常事態なのにそれに乗じて、助けるべきことより利益をとろうとする。まさに東京五輪もそうではないのだろうかと思う。
 
 それは今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。