日々徒然に

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5月連休まじか、ステイホームということ・・・

2020年04月26日 | Weblog
 
 こんにちは。
 4月ももう少しでおわりますね。いつまなら、5月連休がまじかというところでいろいろと楽しいプランが頭の中をよぎっているころだと思います。私的には、山歩きとかあるように思います。しかし、今年は新型コロナ禍でどこへ行くにも「ステイホーム」という言葉にあるように「不要不急」の外出をさける「自粛」ムードが濃い日々です。
 それでも空を見あげれば、ツバメが巣作り飛んでいたり、朝早くから、鶯の鳴き声が聞こえてきます。やっぱり春なんだーと思います。
 
 さて、今週は一日中「新型コロナ禍」のニュースや新聞報道の日々でした。それも、ますます蔓延することが報告されるたびに、「もし感染したら・・・」という気持ちはかたときも忘れることはない日々があります。とくに感染者を治療する医療関連者の感染によるニュースには不安が大きくなります。いま世界中を救えるのは、大きな軍事的な武器を持っていることではもなく、大金持ちでもなく、医療関係者たちであると思います。どんなにきびしくとも、医療従事者たちの日々の奮闘に敬意をもつくらいです。
 
 とくになによりも、日本の医療施設が減らされている日本にあっては大変な日々だと思います。国内で災害があるたびに、年々病院が減っていく状況でいいのだろうかと思います。今回の新型コロナ禍でも「医療崩壊」がいわれのにはこれまで政府がとってきた「地域医療構想」が原因になっているようにも思えます。市場原理導入で弱体化してきた、これまでの現状があるのではないのでしょうか・・・ね。それが今の状況をつくったのだということでしょう。「人生100歳時代」などの中には、災害や病気というリスクがあるということが元気な人たちの市場原理によって出来がった今の日本の現状である思います。「生きていればいろいろなことがある」というなかで、生きていることは元気なときだけではない、という現実が見えなくなった政治がこれまでつくってきた結果として「医療崩壊」もおきているのではないのでしょうか。まして、地震、豪雨など災害の多いの日本にあっては、人びとの元気で生き続けるためには、医療がとても大切なことだと思えた週でもありました。
 
 
 「テレワーク(自宅勤務)」が多くなってきました。
 朝、通勤していると「テレワークできる職種や大企業ならいいが」という思いは頭のすみにいつもある日々でした。私のところでいま出来ることは、ほそぼそと「自宅待機」ということです。「自宅待機」は業務命令なので「有給」です。しかし、その実態は、家でぼんやりしたり、テレビを見ていたりと業務はしていないのが現状です。「これでいいんだろうか」ということも思います。それでも、携帯に自分の担当する仕事についての問い合わせなどがきます。なんとも、矛盾した仕事です。
 
 それでもまだ「有給」であることにありがたさを思います。新聞報道などを読むと「非正規社員」や「アルバイト」の人たちは、「無給」状態になるといわれます。まさに生活ができなくなる状態がつくれらています。うらを返せば、企業のこれまでの怠慢が原因であるのに・・・。新型コロナ禍が引き金の一つになっていることもあるのですが、現実は「使い捨て」の状態が経営論理にあらからでしょう。
 政府は、新型コロナ禍などで休業をしてしまった人たちにも、休業手当、失業給付、傷病手当など制度をつくり対応するようになってきました。
 給付金をまもらう仕組みが簡単にして、働く人自身にわかりやすくできるような仕組みがほしい気がします。
 
 毎朝、休めない仕事をかかえて駅に向かとき、前を行く人の背をみながら「今日も一日感染しないこと」が仕事以上に大切な日々になってきたように思います。
 
 今月は、図書館が閉館中、さらによく立ち寄る本屋さんも休業中との看板を多く見た月でした。さらには「緊急事態宣言」が出てから3週間あまり、近所の文化施設の多くが閉館中でもあります。コンサートも講演もことごとく中止あるいは延期中という世の中になっています。ことごとく、自分が好きなものが扉を閉じている日々になっていました。ラグビーが好きになって、観戦したいと思いスポーツ番組専用の受信契約をしたのもつかのま、「中止」になり契約を解除した月でもありました。
 ことごとく、身の周りから好きなものが消えていく月でもありました。
 消えていくといえば、近所の本屋さんが閉店休業中。あっちもこっちもという状況が長いあいだ続いています。買うか買わないかは別としてちょいと立ち寄ってみたいと思っていても、今の段階では無理な毎日が続いているようです。今週から『子ども読書週間』だそうですが・・・こんな時だからこそと思っていても、図書館も本屋さんも閉鎖です。何かいい方法がないのでしょうかね。
 
 カミュの「ペスト」という題名の本は閉鎖中以前にを買っていました。今月初めごろ本屋さんにいったらたくさんあったので買っていたのでした。今なら、閉店中であるので無理でしょう。買っておいてよかった・・・と思いました。
 
この物語の内容は
 アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。(本紹介抜粋)
 の4月から翌年の2月ごろまでの物語です。
 
以下は、今の新型コロナ禍に酷似していると思える部分。
■P5 この記録の主題となす奇異な事件は、一九四*年。オランに起った。
 
■p53 世間はそいつに病名をつける勇気がなかったのさ、昨座にはね。世論というやつは、神聖なんだ――冷静を失うな、何よりも冷静を失うな。
 
■p76 「つまりわれわれは、この病があたかもペストであるかのごとくふるまうという責任を負わねばならぬわけです」
 
■p89 地震は起らず、翌日の一日はリウーにとって、市内の八方に車を飛ばして、患者の家族と話し合いをしたり、患者自身と言い争ったりするだけで過されてしまった。リウーが、自分の職業がこれほど重苦しく感じたことはなかった。これまで、患者は彼の仕事をしやすくしてくれ、彼に身をゆだねていた。今度初めて、医者としての彼は、患者たちが隠しだてをし、一種警戒するような驚きをももって、病気の奥深く身を避けているのを感じた。
 
■p91 しかしながら、その晩も、公式もの発表は相変わらず楽観的であった。翌日、報知通信社は、県知事の措置は平静に迎えられ、早くも三十名ばかりの患者が申告されたと報じた。
 
■p97 この病疫の無遠慮な侵入は、その最初の効果として、この町の市民にあたかも個人的な感情などもたぬ者のようにふるまうようなことを余儀なくさせた、といっていい。~「折れ合う」とか「特典」とか「例外」とかいう言葉はまったく意味がなくなっていることを納得するまでには、多くの日数を要したのである。
 
■p104 そうなったとき、彼らの勇気、意志、そして忍耐は実に急激で、もう永久にその穴底からはい上がれないだろうと感じられるほどであった。彼らは、したがっていて心を抑えて、自分たちの解放の期限を決して考えまいとし、未来の方へふり向くまいとし、そして常に、いわば目を伏せたままでいようとした。しかし、当然、この用心深さ、苦痛をごまかそうとし、戦闘を拒否するためにみずから警戒を解こうとするやり方は思わしい結果は得られなかった。~彼らは生きているというよろむしろ漂流しつつ、方向もない日々と、うることない思い出のままに、みずからの苦痛の大地に根をおろすことをうべなかった暁にのみ生気を生じるであろうところの、さまよえる亡霊となり果てていたのであった。
 
■p111 別離を恐怖とかいえような共通の感情はあったが、しかし人々はまた依然として個人的な関心事を第一列に置いていた。誰もが病疫を真実には認めていなかったのである。大部分の者は彼らの習慣を妨げたり、あるいは彼らの利益を冒すことがらに対して特に敏感だった。
 
■p113 わずかに必需品だけが、陸路と空路によってオランに届けられていた。そんな具合で、車の運行は次第に減少して、ついにほとんど皆無に近くなり、贅沢品の店は今日またショウ―ウインドウに断りの掲示を出し、一方その店頭には買手の行列が並んでいるいるという状態になった。
 
■p116 コタールは彼の住んでいる界隈の大きな食糧品屋がうんと高い値で売るつもりで食糧品をストックしていて、その男を病院に連れていくために・・・
 
■p133 町じゅうの者が街頭にあふれ出てひとつところを徘徊していたあの宵々の次で、この疲労困憊の幾週を過してしまうと、リウーは自分がもう同情の念をおさえようとする必要がなくなっていることを悟った。同情がむだである場合、人は同情にも疲れてしまうのである。
 
■p163 暑さと沈黙のなかで、しかも市民たちのおびえきった心にとっては、元来あらつるものが普通以上の重さをもつようになっていた。空の色や土の香など、季節の移り変りをなくしていたものが、初めてすべての人々が感じられるようになった。
 
■p173 「用紙の危機はますます激化し、ある種の定期刊行物などはページ数を減らすことを余儀なくされたにもかかわらず、《病気時報》という別の新聞が創刊され、その任牟と称するところは、《病疫の進行あるいは衰退について、厳密な客観性に留意しつつ、市民に報告し、病疫の今後に関して最も権威ある証言を提供し、有名無名を問わず、災禍と戦う意志あるすべての人々にその紙面で支持を伝え、一言にしていえば、われわれを襲った不幸に対して効果的に戦うため、あらゆる人々の善き意志結集すること》であった。実際は、この新聞はペストの予防に確実な効力あるさまざまの新製品の広告を掲載することに、きわめて急速に限定されしまった。
 
■p238 コタールは抗弁して、自分はペストを望んだわけではなく、ペストは来たのだから、おかげで今のところ自分の事件が具合よくなっているかといって、それはなにも自分の罪ではない、といった。
 
■p254 しかし、暗夜はあらゆる人々の胸のなかにあり、そして埋葬のことに関して伝えられる真相も伝説も、ともに心を安ずるていのものではなかった。
 
■p255 ~筆者はむしろ反対に生きている人々と一緒に過ごすこと、一例を示せば海水浴などのほうが好きなのである。しかし、結局、海水浴は禁止されてしまったし、そして生きている人々の一緒に過ごす社会は、死者たちの社会に席を譲らねばならなくなることを、来る日も来る日も絶えず恐れていた。
 
■p266 市民たちは、少なくともこの別離に最も苦しんでいる人々の状況に慣れてしまったのだろうか? それを肯定することは完全に正しいとはいえないであろう。彼らは精神的にも肉体的にも、肉のやせ細るのに苦しんでいったほうが、もっと正確だろう。ペストの初めのころは、彼らは自分の手もとから失われれた者のことをきめ細かく思い出して、なつかしかったものだった。しかし、愛するその顔やその笑い声や、今になってそれは幸福な日だったとわかった、ある日のことなどは、あざやかに思い出せたとしても、彼れらがそうして思い出しているその時刻にしかも、それ以来実に遠いところとなった場所で相手がそんあことをしているものか、それを想像することは困難であった。
 要するに、この時期においては、彼らには記憶はあったが、想像が不十分だったのである。
 
■p269 (8月)・・・記憶もなく、希望もなく、彼らはただ現在のなかに腰をすえていた。実際のところ、すべてが彼らにとって現在となっていたからである。これもいっておかねばならぬが、ペストはすべの者から。恋愛と、さらの友情の能力さえも奪ってしまった。なぜなら、愛は幾らかの未来を要求するものであり、しかもわれわれにとってはもはや刻々の瞬間しか存在しなかったのである。
 
■p281 彼ら彼らを、また人類を、彼らと一緒に死のなかの引きずり込みたかったであろう。まったく、それは確かに事実であった――人間は人間の仲間なしではいられないのであり、彼らと別れて出て来ると胸のうちに高まるに任せていた、あの同じ憐憫のおののきに値する人間であったのである。
 
■p318 すると、その死刑の処せられている少年と自分とが一つに溶けてしまい、まだ健全な自分のあらゆる力をもって少年をささえてやろうと試みるのであった。しかし、一瞬間一緒になったと思いうと、彼らの二つの心臓の鼓動は調子が合わなくなり、少年は彼の手から抜け出し、そして彼らの努力は空虚のなかへ沈んでいく。そこで、彼は細い手首を放し、自分の席にもどるのであった。
 
■p324 (リウー)「僕が憎んでいるのは死と不幸です。それはわかっていられるはずです。そうして、あなたが望まれようと望まれまいと、われわれは一緒になって、それを忍び、それと戦っているんです」
 
■p330 確かに善と悪というものがあり、また一般に、両者を区別するところのものは容易に説明される。しかし、悪なるものの内部の世界で、困難が始まるのである。たとえば、一見必要な悪と、一見無用な悪とがある。地獄におとされたドン・ジョアンと、子供の死がある。・・・子供の苦しみと、この苦しみにまつわるむごたらしさ、またこれに見出すべき理由というものほど、重要なものはないのである。
 
■p363 (タルー)「話しを簡単にするためにまずいっておくがね、僕はこの町の今度の疫病に出くわす前から、すでにペストんい苦しめられていたんだ。とうのは、まあ、つまり、僕も、世間みんあとおんなじようだということなんだがね。しかし世間には、そういうことを知らない連中もあれば、そういう状態のなかで心地よく感じている連中のあるし、そういうことを知って、できれば、それから抜け出したいと思っている者もある。僕は、いつも抜け出したいと思ったものだった。
 
■p380 (リウー)「しかし、とにかくね、僕は自分は敗北者のほうにずっと連帯感を感じるんだ、聖者なんていうものよりも。僕にはどうしてもヒロイズムや聖者の徳などというものを望む気持ちはないと思う。僕が心をひかれるのは人間であるということだ」
 
■p431 ・・・愛というものは決してそれ自らの表現を見出しうるほど力強いものではないこと、知っていた。その結果、母親と自分とはいつまでも沈黙のなかで愛し合って行くであろう。そして、今度は彼女が――あるいは自分が――死んでいくのだ・・・生涯、おの愛情の告白において互いのこれ以上に進みうることなく。・・・ペストを知ったこと、そしてそれを思い出すこと、友情を知ったこと、そしてそれを思い出すということ、愛情を知り、そしていつの日か思い出すことになるということである。ペストと生とのかけにおいて、およそ人間がかちうることのできるたものは、それは知識と記憶であった。
 

 
 4月も終わろうとしている。
 春真っ最中。今年はとんでもないことを経験していた。生れてはじめての経験となるであろう「新型コロナウイルス感染」というものが世界中を恐怖に包んでしまっていたことには驚いた。
 はるか昔のあった伝染病の蔓延した時代は、めったに遭うこともないだろうと考えもしなかった。まさに、不意うちであった。それが、日ごとに感染者をつくり、最後には死者まででることに、恐ろしさを足もとにつきつけられた日々になっていた。日々を追うことにそのすさまじさは、経済を分断し、人と人を分断し、さらには国ごと分断してしまうほどの強大さがあることは、いまさらいうまでもなく人はそれぞれ経験している春になってしまった。
 
 そんな体験を語った小説にカミュの『ぺスト』という小説がある。
 ペストいう感染症が町じゅう(人口20万人)ひろがっていくなかで、そのなかで登場する人々の思いも同じだと思えた。伝染病が人間をいかに死のおいやっていくのか・・・、人間はいかに対応していくのか。読み続けていく中で、まさにいまの「新型コロナウイルス禍」とい同じような場面にたくさん出くわすことだろうと思う。
 人類はこんな経験もしなくてはいけないのか・・・ということを感じていることだろう。いっぽう、人類はそんな中でも生きることに工夫を凝らし、新しい知識と記憶を歴史を後世につたえていったことをつくづく思える小説だと思う。
 今は新型コロナウイルス禍を通して、『ペスト』のなかに書かれた人たちと同じような経験をしていることを、ふと思うだろう。感染症を防止するために、移動は制限され、人と人の語らいのし楽しんでいるはずが拒否されている。人間の楽しみを引き裂くウイルスが移動していく。いつか、そのウイルスから解放されたとき、人は何を得るのだろうか、そして何を思うのだろうか。
 
 カミュは『ペスト』という小説を題材にして、人間の不条理えがいているという。ペストによって隔離され、日々死がつつむ日常でなかで人間の本当の姿を求めているものだと思う。それは、カミュという小説家がレジスタンスなどに参加したりして日々、死んでいった仲間に対して思うことなのだろう思う。
 
※引用が部分がとてもいっぱいになってしまいました。
 それは、その部分が今と同じ状況を訴えているように思ったものです。とくに、よかったのはコタール。犯罪者でペストを天からふってわいた季節と、金儲けに紛争します。まさに、今の便乗値上げをする人たちそのものを語っています。タルー、ランベールも物語の中心をなしています。フランスに残した恋人の会いにいきたいがために封鎖された町から逃げ出すことを画策するランベール。死を身近にみてきたタルー。それぞれの思いがペストを前にして語られいきます。その友達となっていく医師のリウー。いつしかこの3人がペストと戦っていくなかで自分の思いを語っていくいいです。
 犯罪者のコタールやタルー、ランベール、リウー。誰もがそれぞれの過去を引きずっていながらも決して批判してはいません。それぞれの生きかたがあり自分がある。そのなかでペストによって一つの方向に向かわせたことによって共有していくものを得ていくことがとてもよかったと思います。 (日本語訳の宮崎嶺雄さんがとてもよかったのでしょう)。
 
 
日々、新型コロナウイルス禍で過ごすことが多くなってきました。
 この週は再放送のラジオ、テレビ番組が週でもありました。それもそのはずで、ドラマもつくれないでしょう。人と人との接触を避けることが感染への唯一の方法であれば、出来るだけ人との関係は遠くに置きたい時期なっているのでしょう。
 「social distancing」 (ソーシャルディスタンス)という言葉も現れ、人と近づきすぎないとなってしまえば、ドラマも演劇も人と人の関係が出来なくなって成立しなくなってしまうのでしょう。ドラマは人と人の駆け引きが面白いものです。だから、それがなければドラマじゃなくなってしまうようにも思えます。俳優さんも歌手も今は真冬の時代です。
 
 会社でもテレワークのお客さんを相手にすることが多くなってきました。電話で話をしていると、電話口から子どもの声が聞こえたりもします。子どもも休校や保育編も休業であるために一緒にいることがあるのでしょう。笑っていたり、大声で何かいっているのが聞こえてくるときもあります。こうなると「集中」して仕事をやるのも大変なこともあるのでしょう。そして、メリハリもなくなってもきているのでしょうか。
 最近読んだ新聞記者のテレワークの様子が紹介されていました。家族が一日中顔をゆき合わせてると集中できずのいるそうです。そんな中で、考え出したのが時間を決めて家族でラジオ体操などをやるそうです。休みもあったりと、お互いが助け合って生きている、ということを気付かせる時間が必要なのでしょうか。そして、家族でいることがめったにないことに感謝・・・と考えるそうです。なるほど・・・。
 
 
 お元気ですか。
 日々、新型コロナ禍によって、感染者やそれによって亡くなられた人を気にしながら送るようになりました。そして、その統計が報告されるたびの自分の住んでいる町の身近な数字をきにするようになりました。遠い故郷の田舎では都会ほど敏感にはなっていなくてもやはり気になることでしょうか。
 とはいえ、都会に住む当事者にとってはとても気になる日々が過ぎ去るにつれて大きくなってなっていくように思えます。感染を防ぐ方法が、人と人との接触をできるだけ避けることということに至ってはあまりにも原始的な方法に人類とウイルスとの関係も、あまり変わっていないなーと思えてもしまいます。
 
 こうやって、人類はウイルスに勝ち目がなければ逃げるしかないことに悲しくもなってしまいます。いったこれまでの経済成長はいったい何だっただろうと思います。あれほど、毎日満員電車の肩をぶつけあいながら働いてきたのに、世の中少しも進歩していなかったではないことに気づかされることもあります。経済、経済と叫ばれるうちに、それがすべてに通じてしまったかのような錯覚に陥ってしまった人類への新型コロナウイルス感染というふいうちは何らかの警告をつねに発している毎日であるのだとも思います。
 
 5月を迎えようとしているゴールデンウイークでいえば「不要不急」の外出への自粛が連呼されるなか「沖縄」への観光旅行を大勢の人たちが計画中とかという記事を読むと「いったいこれはどういうことなんだ?」と思えてしまいます。
 「行く」「行かない」は強制はできないことです。
 今こんなときでも、医療従事者、食物生産者、あるいは公共交通関係者は、ウイルス感染にこわがりながらもくいとめようとしていることを思うと、いま出来ることをやっておくことが、彼らに対する態度なのだと思います。も社会というものは共生するために、相手のことを考えそのことを思い行動することだなと思います。
 そんな気がします。少なくとも自分の親しい人のためにできることがいまいちばん大事なときなのかもしれません。
                               4.25 早々
 
 
 休日「不要不急」の外出「自粛」というのが連日、どこかでアナウンスしている声が頭の上を通過していきます。いったいどこまでが「自粛」なのか? ということが常に考えるます。こんなときでも家族連れで公園にはけっこう多い休日です。いままでずっと家にいた子どもたちにとては外で安心して遊べる時間のなのでしょう。
 
 朝、新聞のコラムを読んでいたら、大阪でパチンコ屋さんに人が多く集まることで「自粛」の呼びかけに閉店したところ、店名が出ても開店しているところが話題になっている、という記事がありました。開店してもウイルスには十分気をつけているようです。「自粛」はあくまでも、当人がきめるものです。強制力はないそうです。「だからといってこの時期の開店は困る」と不満を言う人もいるそうです。
 それが、いいか悪いかは誰も決めることができません。開店か閉店を決めるのは「感染を食止めるためには必要な最低条件が、なるべく人との距離を置く」という現実です。そんなことを思うと、今できることを考える時期なのではないかと思います。
 
 そんなことを思いつつ、私も2カ月に一度の散髪屋さん行くか、行くまいかと悩んでいました。いつもの散髪屋さんは電車を乗り換えて30分ほどかかるところでした。そこまで行くまできっと多くの人と接触すりことを考えれば1カ月先にのばしてはと考えましたが・・・。なんともバサバサ頭が気になっていましたので、近所の散髪屋(歩いて5分ほど)に行って来ました。散髪が終わってこんなときでも開店していた床屋さんの努力に感謝してしまいました。それでも、お客さんはずっと減ったそうです。
 こんな思いが日々よぎります。パチンコ屋さんにしても私の散髪屋さんにしても、世間が極端に「悪」か「正義」かという発想をすようになることの方が怖いように思えます。そこに政治が強制的に介入すればこれは危険です。世論あげての悪者を決めつけていく風潮がますます広まっていくことの方がよっぽど怖いのでは思います。
 まさに「関東大震災の大虐殺」のパニック状態になることを考えてしまいます。
 
 今年は、毎日が気の重いことです。5月もまだ続いているのでしょうか。
 「新型コロナウイルス禍」によって、世界中が人との関係に距離をつくっての生活が続いています。いつまで続くのでしょうか。それでも、明るいニュースを探して読んでみようと思っています。ヨーロッパでは、少しずつ注意深くですが人と人の距離が近づきつつあるニュースもあります。公園を解放したり一部もあるようです。
 日本も少しずつ、よくなるといいものです。
 カミュの『ペスト』ではおよそペスト終息に10カ月間かかっていました。それも、設備も医療も不十分な時代です。いまとはちがうのですが・・・。
 
4月はお疲れまでした。
読んでくれた人、ありがとうございました。