日々徒然に

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新型コロナウイルスから考えること・・・

2020年03月15日 | Weblog

 こんにちは。3月もそろそろ終わりをつげています。
 毎日、新型コロナウイルス感染のニュースはきかいない日々はない毎日です。春といえば、各スポーツのスタートの季節。ところが、今年はそれぞれのイベントが中止・順延というなかでスポーツも3月になっても無観客であったりしています。やっぱり、スポーツは「応援」でしょうとつくずく思いますね。静かなところでの大相撲中継は何か「異様」にも見えます。と、みんな感染拡大のニュースばかりです。

 そして、とうとう今週「緊急事態宣言」をいれた「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法」が可決した。それによると、感染症が発生した場合、厚生労働相からの首相への報告。政府は感染症の症状を確認したうえで政府対策本部を起ち上げ行動計画を作成。専門家の諮問委員会の意見を聞き、今後の感染症の拡大がみられる場合「緊急事態」を宣言する・・・ということになっている。まあ、とにもかくにも首相の権限をこれまでよりも強くするということなのでしょうか。それにしても、これまでの首相の国会答弁の経過から心配されることばかりが思い出されますがね。まして、野党の弱体化というなかで「付帯決議」の「・・・やむを得ない場合を除き、国会へ事前に報告する」がやるのでしょうか、という心配もあります。

 さらに、今回の感染は世界中にひろがっていた。WHO(世界保健機関)ではとうとう「パンデミック」を表示した。とくにヨーロッパの感染状況にはどめがかからない実態からそうなったのだろうか。新聞にると、19世紀コレラが地球を一周するのに20年かかったそうだ。今回の新型コロナは昨年末から2カ月半で110ヵ国を超える国や地域で約12万人が感染したとのこと。これは、とくに人・モノの移動や流通が進歩したおかげだろう。ますます、発達する移動機関の便利さがあるなかで、今回のようなウイルスの感染も便利のなかに便乗している「恐怖」でもあることを忘れてはいけないことなのだろう。

 「便乗」でマスクや消毒薬が品不足のなか何十倍の値段で売られているニュースも多くきいた。実際、マスク・消毒薬はいまだの薬局の店先で見かけなくなった。どこにあるのだろうと思えば、ネットなかにあった。ところが、通常数百円の値段が万単位で値札がついていた。さらにトイレットペーパーも。
 こんな世のなかに生れたことを恨んでしまう生活がだんだん多くなっていくようにも思う。いったい、どうなってしまうのであろうか。



 先週と今週「新型コロナウイルス対策」として会社では通勤の混雑を避けるための「オフピーク通勤」を実施した。ふり返れば、仕事の内容もいつもと、残業も同じようだった。変わったことといえばちょっと、朝夕の出勤時間での混雑を避けられたくらいだろう。個人的には、この対策はとてもよかったとい思う。
 他の会社では、自宅待機(テレワーク)や在宅勤務などを実施しているところがあったようだったが、ほとんど大企業や公務員くらいしかできない現実だろうと思う。実際のところ、これらの制度は一社だけがどんなに頑張ってもむりなことであり、お客に不平不満をつくることが起きてくることぐらいだろう。とくに、道具をつかっての仕事をやっている現場では、次の現場にまわす仕事を完成させるために自分のところだけがんばってみても限界があるよう思えた。けっきょく、だれかが「無理」をすることになってしまうようになっている。それが、残業だ。

 それにしても、時差出勤、在宅勤務、時間短縮とできるだけ混雑をさけるために実施したのだが、できる範囲でやっていくしかないのだろう。だいたい、朝の通勤電車大混雑は異常だ。あげくの「お客さま同士のトラブル・・・」とい社内アナウンスとなってくる。今週は、時差通勤が混雑は避けられた週でもあったせいか一度も聞くことはなかった。さらに、ほとんどが時間通りの運行ができていた。時間通りに運行するために時間通り運行するために「〇分停車します」というアナウンスも自慢げに聴こえた週でもあった。いつも、こうであればストレスを感じることもなく通勤できるだろうし、接触感染もないと思う。



 天気がいい休日には多摩川へ散歩に行く。あらためてその様子を眺めてみれば、川の形や風景が大きく変わった。昨年の台風19号によって、川の形や土手の景色が大きく変わっている。歩いていたところの足もとさえ大きく変形してしまった。大きなねむの木のが流されているし、ときどきツリークライミングをしていた大きな木さえなぎ倒されてなくなってしまった。いっけん対岸の土手までの見わたしはよくなったが、夏の暑い日などの木陰になるような木がなくなった。そして残ったものは台風前にはなかった大きな漬物石になるようなものがゴロゴロと多く残っている。いまだにスポーツを楽しむグランドは一部しか修復ができていない。

 さぞかし今まで小魚を食べにきていた鳥たちもこの変容に驚いたことだろう。それでも、時がたつにつれ、エサとなる小魚がいちばんいる場所を探しあてては降りることだろうと思う。それでもやはり鳥たちの数も台風前よりは少なくなった。少し時間が必要なのだろうか。
 一方、ブルーシート小屋のオジサンの暮らしも復活している(名も知らぬオジサンがまた住み始めている)世の中、自然界でもそうだろうが人間がいちばん先に居住所をつくるようにも思える。台風19号去りし後、またここでオジサンは過ごしていくのだろう。
 なんにつけ、生きていくことは生活すること。鳥も人も魚もである。それがお互い様である。同じ被害をうけた者どうし、また少しずつ再建していくのだと思う。それは、生きている者同士の寛容さと知恵がつくっていくのだろうと思う。どっかりと流れて石をまんなかにして・・・。



 今週、世界各国で移動禁止や入国制限措置などを取り始めた週だった。
 世界中で自国の人びとをウイルス感染から守るためにでてきた処置でもあるのだろう。当分この制限は世界共通の方法として実施されていくほかないのだろうか。政治ができる措置として最低ことをやるしかない。
 一方で気になるのはこの状況で「東京五輪」はできるという疑問である。まだまだ終息というトンネルの出口がみえない状況。走行中の「水際対策」という移動制限はいつまで続くのだろうと思う。米国のトランプ大統領でさえ「1年延期説」を言っている。野球メジャーリーグの選手でさえ一斉に練習場から離れて自主避難を始めているニュースもあったくらいだ。いまの状況だと選手たち移動さえもできない状態。コンディションつくりも難しいかもしれない。
 


 最近は、1カ月が早いように思える。新型コロナウイルスの影響もあるのだろう。
 図書館も、前回は15日(日)までだった閉鎖がとうとう31日(上の告知)までに延長されてしまった。当分、図書館にはリクエストした本を取りに行くだけになってしまうだろう。図書館では遊べなくなってしまったことに、一つ自分の居場所が失ったようにも思えてしまう。残念なこととはいえ、辛抱するしかないようだ。

 少しでもはやく終息を期待したいが、こればかりは仕方がない。また毎日「コロナ感染」のニュースを多くみることになりそうだ。またニュース解説の後の新型コロナウイルスの状況を聞く日々だろうか。まずは、できるだけ人の混雑をさけながら日々暮らしていくほかあるまい。とはいえ、混雑する場所にもいかなくてもならない。
 そんなときいちばん疲れるストレスをためることのないよう工夫も必要になってくる日々だろうか。ストレスといえば、もう一つ感じてしまうのは、日々のニュースのなかに株価が下がったとか、上がったとか、経済が大事だとかいう為政者の発言もストレスを多く感じることがある。株価が下がった上がったといわれても、普通のことじゃない今、何が関係あるの?と思うことがある。今はもっと大事なことがあるんじゃないのかと言いたくなることもある。日常生活に負担にならないような政治をすべき人が利益誘導するようなことを最も大事に発言するようなニュースには、違和感を感じる。そんなことを言う前に、この騒ぎのなかで、生活が成り立たなくなっていく人のための予算をつくったりすることがまず第一だろう・・・と思う。

 もうじきお彼岸ですねー。
 桜も咲き始まる季節が始まろうとしている。中止、延期、自粛・・・の多い日々。散歩の途中、公園の近所を通ったら多くの小学生がサッカーを楽しんでいました。普段あまり目にすることがなかったので驚きました。やはり、「学校が休校で外へ出ないように」ということの影響でしょうか。こんな当たり前の生活がなぜかめざらしく見えてしまう日々でもあります。
 今年も桜ぐらいは楽しく見られるお彼岸があればいいですね。
 それでは今週はこのへんで。
 読んでくれた人、ありがとうございました。