こんにちは。
まだ寒い日が続いています。少し温かくなり、少し寒くなりとこの時期は「三寒四温」とことば通りにいくような季節です。それにしても、あいかわらず「新型コロナウイルス」ニュースは毎朝みる日々です。その声に押されるようにして、出勤の日々でもありました。ところで、ニュース解説者がどれだけ言ったら身近に感じることができるのでしょうか。正直なところ、毎日同じことを繰り返しているように聞こえます。見ていて思うことは、全国放送とはいえ、昨日いったことと違う、今日の励行をいってほしい気がします。
さて、今週はどんなことがあったのでしょうか。
ニュースをみて思い出したことがありました。ちょうど3月ということもあるからなのでしょうか「福島第一原発事故」で放射能漏れがあり、ニュースでは「ただちには体に影響はない」という言葉を多くきいたように思います。といことはいずれにせよ、体に影響があるということでしょう。そのことには、ちっともふれていなようなニュースを思い出しました。
そして、今回も同じように聞こえました。今週読んでいた新聞に「有識者床屋談議とほぼ互角」(別府・タッポンZ/毎日新聞)なんていうようなという川柳を思い出した。誰でも知っているようなことばかり、聞いていた。あまり役にたつような情報が少なすぎる。
一方では便利ななかに危険な兆候があったと思えたのは「トイレットペーパー」や「ポケットティッシュ」などが店頭から消えたことに対しての情報だった。この時期、花粉症なので手離せない携帯品の紙類がないことに困る日々でもある。困ったことに、事実このデマが拡散しているいう事実にあわてている日々の人のことを考えてみたことがあるのだろうかと思い、S NSというのは便利な部分、大変危険なものなのだなとあらためて思えた一週間だったように思えた。
もうひとつ、自民党の河井克行前法相の妻・河井案里参院議員の公職選挙違反のについてが報道されています。公職選挙法を運動員もろとも違反していたわけですから議員は辞職するのは当たり前なのでしょう。それが、ワールドスタンダードだと思います。とはいえ、検察官定年延長をすればうまく解決してくれだろうともくろんでいるような気がします。まさの権力の暴走がはじまろうとしていることではないかというニュースでもありました。
「日々の忘れかた」
新型コロナウイルスの感染
景気連続悪化
ビザ免除停止・・・無観客試合
「特効薬」を・・・と思いをもち
あまい期待は日々裏切られていく
空気のなかに警鐘はがなりひびき
寒さのなかをぬけていく
〇
それでも今日のことは今日のことで
明日に引きずらず眠りにつく
昨日、何人の感染者? ひとつの記憶だけが残る
きょう一日をいつもと同じように送る
記憶だけはかたすみにあっても
ゆがんだ、どこか自分のちがう思いは忘れていくような
今日をつくる自分でありたい
「長生きするとロクなことがないなー」とつぶやく春か
「長生きはしてみるもんだなー」と思う今日になるのlか
眠るまえのつぶやきのなかに
おくれる今日でありたい
※日々の生活のなかに否が応でも耳に入る、今流行の新型コロナウイルス感染。毎年のインフルエンザの方がはるかに多いのに・・・。騒ぐ理由はなによりも「特効薬」なるものができていないことなのだろう。その影響で、日々の暮らしに見えない恐怖がある。そんな日々のくらしのなかに何がたよりになるのだろうか? ということを思ことがある。
いまいちばん騒がれている「新型コロナウイルス」になって、政府は緊急事態宣言なるものを口にしはじめている。しかし、出ることは、担保のないいせいのいいことばが多い。「一斉休校」もその一つ。学校が休みになって共働きの人たちにとっては大変な重荷になる。大企業の在宅勤務ができる人はいいのだろうが、会社を休めない人にとっては子どものことが気になってくる。それではと、民間業者が「弁当宅配サービス」「シッター家事代行」などという会社があらわれる。ここにきてもお金がかかることを強制しているかのようだ。
民間業者といえば、わたしがよく利用する図書館が、「緊急事態宣言」にのって一部閉鎖していた。本来図書館があるべき業務がなくなり、たまたまリクエストした本のみが借りられるようになっている。では、借りたい本を全部クエストすればいいとなるのだが、これではまとめて借りれることができない。関連の本も見過ごしてしまう。一方で、これが民間の限界だなと思えてしまう。利用者は税金をはらって利用している。それを考えれば、市民の知る権利(大げさか)がどうなっているのだろうかと思えてしまう。もっと工夫が必要だろう。利益ばかり追求する民間業者の本来の形を今回の状況でわかったような気がする。
では公務員ならどうなっていたのだろうか。きっとこうならなかったと思える。こんな時だから仕方がないではなく、市民(利用者)のことを考えれば利用できる工夫が求められたのではないのではないのだろうか。
今回、民営化でのデメリットなのかもしれない。今の閉鎖ということは、貧しさがさらに貧しさを知らしめるているように考えてしまった。コロナ感染拡大防止では、業務ができないということは少し分かるが、貸出し中止には誰もが想像してはいなかったことだと思う。ならば「切ってしまえ」、といわんばかりのやり方を思うと、民営化は失敗だな、おそきに思った休日だった。そしていつも、世話になっている図書館員はいなかった。民営の理屈から言えば業務をしていなのだからとまさか、賃金カットでもされているのだろうかと心配になってくる。
3月。新型コロナウイルス感染のニュースを見るたびに9年前の3月のことを思い出していた。9年前の見えない恐怖といえば「放射能」だった。水にまじり、川にまじり、雨水にまじり・・・空気に混じりと言われ見えない恐怖が日々あった。そして原発圏内に住む人々は自分の住み慣れた家を棄て全国に避難したのだった。そして9年後。いまだに帰る気持ちになれない人々はたくさんいるだろう。そんななかで、人のつながりがうまくいって無事避難できた人はまだいい。しかし、避難先で孤独になった人たちのなかでも心や体を壊してしまった人も多い。こういった人々にとっては少しも解決していないのだろうと思える。
見えないくらいなのだからいつ感染してもおかしくはないのだろう。それが、いつ、どこで・・・かはわからない。なぜなら、感染者のなかには感染する理由が見つからなうような条件で過ごしている人も多い。普通に生活し、仕事をしてたまたま感染してしまったということなのだろう。インフルエンザに罹ったように。
まあ、できることは特別ないように思える。普通によく食べ、眠り働き日々を送るだけしか浮かばない。いま大事だな思うことは、自分の体をいつも通り、安心して動かせる日々を送ることぐらいだろうと思う。仕事がきつかったら無理せず休むこと、睡眠がたらないと思ったら、面白くもないテレビなどさっさと消してフトンにはいって眠ってしまうことだろう。少しでもいいから、これまで元気であった自分の習慣を奪われないように過ごすことでしかないのだろうし、気をつけていてもかかる時はかかるということではないかと思う。この機会をもっと自分の体力や働き方を考えてみてはいいのだろうと思うのだ。
そんな気がする日々。
今週はこの辺で終わりです。また来週から少し忙しくなるだろうなあ。
読んでくれた人、ありがとうございました。