こんにちは。
今週は雪もふり、その後もひじょうに寒い日が続いていました。毎日が寒さとのつきあいが続いています。寒い日ばかりだと、温かい所や食事に身を寄せたい日々でもあります。
そんななか雪に弱い首都圏は、電車は遅れるや乗れた電車は超満員になるやの日々窮屈な日々が続いてもいました。電車内は「おしくらまんじゅう」状態で体が痛いと感じる日々でもありました。それでも、それぞれの地域で住んでいる人たちも雪の怖さをできるだけ防ぐために、雪かきなどの様子もみられました。驚いたことに私の働く板橋区での雪かきは不十分で歩くことさえ不安でしたが、出向先の中央区では「雪が降ったのか」と思えるほどきれいに雪かきができていました。これも、そこに住む人たちの自然と暮らす気持ちがあらわれているような気がしました。
自然と暮らすと(つきあう)といえば、群馬県の草津白根山が噴火もしました。噴石も多く飛んでスキーにきていた人たちや訓練中の自衛隊員のけが人を出しました。なかには、亡くなれた自衛隊員もいました。過酷な自然とのつきあい方はどうだったのでしょうか。
今週は、日本は火山大国と地震大国ということを肝にめいじた週でもありました。
2018年もはじまりました。
さーて、今年はどんな本にめぐりあうのだろうかと楽しみにしているところでした。ところが、現実は給料はさがり、小遣いは下がり…という日々でもあります。そして、本は高い、というところです。本当は本を買って手元において再読をと思ってみたものの再読するような時間はこれかはだんだんなくなっていくような気がしました。
今回紹介した本は、図書館で借りてきた本です。週に一度散歩のついでによる図書館でみつけたものです。図書館には、新刊本はなかなか読めませんが、時間をかけてじっくりさがすといい本がいっぱいあります(あたりまえですが…)。ただ、その場所にいく機会がないとできないということです。
そして、どうしても再読したい本は古本屋やアマゾンでみて安い本を買ったりします。そんな出会いが大好きでもあります。そんな繰り返しの日々です。これからは、ますますこういう状態になってくるのでしょう。
ちなみに、今月から「葉山嘉樹」という作家の本を読み始めています。ところが、この作家の本はほとんどが絶版でした。古本をみつけては買っています(一冊が高い)。だから、2ヵ月に一冊という買い方にしています。
本は読まなくても死にません。これは事実です。でも、せっかく生きているのだから、他の人の生きている姿を見たり聞いたりしていくことがより楽しいものにしてくれるのだろうと思っています。しかし、その場所、その人に会うことは不可能です。その一端はできます。それが本だと思います。
……そんなふうに思いつつ、今年も『今月の本棚』をはじめていきたいと思います。
▼Pⅺ)一九八〇年代から現在に至るこれからの発展を振返るとがんの状は変わってきた。がんは、一般常識で治療不能と考えられていた不吉な病気から、たくさんの人がその病気を抱えながら生きる、それはしばしば長い期間であるような慢性疾患に変わってきた。慢性疾患として病気を抱える人々、そしてまた病気のあとを生きている人々に関わる医療的、社会的問題を扱うために長期的な戦略を計画することが重要になった。標準治療をして、適切なフォローアップと長期的ながんのケアについて、医師、看護師その他の人々を訓練志士、サイバーシップ・ケアプランを実行することが、このがんサイバーシップの新しい現実に伴ってもたされた課題である。
▼P105)身体と同じくらい、心も不確実なものになって、さまざまな点で予想がつかなくなった。いつも、自分のささいな問題は無視して、身体ついても将来についてもポジティブに考えようと自分に言い聞かせてた。たまたまその効果があった。しかし、ほとんどはその効果もなく、延長した化学療法のコースを完了したあとでさえ、自分の健康状態について悲観しないでいるのは困難だった。ほんのささいなことが突然私をつまずかせた。~時間が経つと消えてしまったことが、幸いにも、他の痛みが精神的な混乱につながることは少ないことがわかったが、けっして予想できなかった。
▼P165)私が、一番具合が悪くて絶望したとき、これらのありきたりな励ましは私を激怒させた。私はなりたくて病気になったわけではない。私にどんな短所があったって、それを「改善する」ためにがんになる必要があるとは思わなかった。時の経過とともに私の感情は成熟してきた。
今年初めて読んだ本は『がんサバイバー』とう本です。
加齢により悲しいことですが病気がそんなに遠くにあることではないことがつくづく感じた一冊でもありました。事実、私の職場でも何人かの人が、がんで入院している現実もあります。高齢で病気をしたら、まず「疑え」という気持ちがあることは事実でもあります。
いったい「がん」とは何ものなのでしょうか。そんな疑問がながい間ありました。若いころは、遠い存在としてあったようでしたが、定年が終わり再雇用となってからは、ほとんど次にかかる病気はがんではないかと思うようになりました。
今回読んだ『がんサバイバー』という本は、アメリカの若い医師が偶然に自分の体の健康診断をした結果、がんが見つかってからの手記です。
それまでの、なんの病気もしていなかったし、通常は健康そのもので、がんが発見されるまでは身体には痛みも症状もなかったようです。しかし、がんが発見されてから家族や友達などを巻き込み生活が変わっていきます。
手術もがんによって破壊された体の部分を繰り返します。
それでも生きている。人間のしぶとさのような中で、それを支えている人たちとの関係も病気に対する修復を繰り返します。
「がん」とは、とても怖い病気である一方で、人の生命力をためしているようながんこな病気でもあるものなのでしょう。それでも、万が一罹ってしまったら、いったい人はなにを対抗手段としていくのでしょうか。
今回の『がんサバイバー』は、そんな問いをしているような本でした。
病気のかかってしまったことは悲しいことですが、人は悲しいばかりでは生きていけないことも肝にめいじているような感想です。
※ちなみにこのがんを描いた小説『白い巨塔』山崎豊子があります。がんそのものより、医療ミスを扱った裁判モノです。映画にもなっています。この本は40年ほど前に読んでいました。
「私の本当の人生はどこにあるのか。今日まで生きてきた、今も生きている現実の時間は仮のものにすぎず、映画館の暗がりで憧憬に息をつめながらスクリーンに見入っている時間、その中にいる自分こそが真の自分ではないのか。……フランス語に《それはシネマだ》という表現がある。作りごと、夢みたいな話だという意味である。シネマのように――そのように作りものの、夢のような人生。シネマとしての人生を生き、人生としてのシネマをみつづける。」(本文より)
北九州の港町に生まれ育った少年が、初めて暮らしたパリの地。街を往きかう若い男女、テーブルに座ったまま凝っと宙を見つめる老人、そこで著者がみたのは孤独と連帯のあいだにゆれる人間のドラマだった。老年にさしかかった今も、映画館通いは密かな愉しみ。『みんな元気』『愛に関する短いフィルム』『数に溺れて』『セックスと嘘とビデオテープ』『童年往事』『ひと月の夏』……京都、大坂、パリでみつづけた数々の作品を、生と死に想いを馳せながら静かにやわらかく語る本書は、私的映画エッセーのひとつの極致であるとともに、このすぐれた短編作家の精髄の披瀝である。【紹介文抜粋より】
私は、映画は年に数本くらいしかみにいくことがない。
『シネマのある風景』を読むと、映画はほんとうに身近な話題を私たちに提供しているものだなとうことを思う。そう思うと、一つの映画をみて日々の生活をふり返ってみれば、映画と同じような悲しみや怒りを感じいるのだろう。
昨年、みた映画、ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』という映画。
ストーリーは、イギリス北東部ニューカッスルで大工として働く59歳のダニエル・ブレイクは、心臓の病を患い医者から仕事を止められる。国の援助を受けようとするが、複雑な制度が立ちふさがり必要な援助を受けることが出来ない。悪戦苦闘するダニエルだったが、シングルマザーのケイティと二人の子供の家族を助けたことから、交流が生まれる。貧しいなかでも、寄り添い合い絆を深めていくダニエルとケイティたち。しかし、厳しい現実が彼らを次第に追いつめていく…(抜粋)
自分には合わない社会と悪戦苦闘するダニエルは、一生懸命に生きる。それも他人の手をかりて。その関係がないよりも大切に描かれた映画だったように思う。
最近は、DVDなどで気軽にみることができるご時世でもある。家族でみるのもいいし、一人で予定を組んで映画館でもみるのもいい。それでも、見終わってふりかえればきっと、同じようなシーンがどこあにあるのだろう。それはどうしてなのかということを問いつめてみればまさに『シネマのある風景』のような文章ができあがるのかもしれない。ただ、日々の追われるような時間のなかで暮らしていると、じっと立ち止まって考えるような時間が削られ、だれかの儲け話のなかにいることが多い。
映画のなかの役者のひとつひとつのセリフのなかに、ある時間、ある場所を思い出せるようなシーンがあるようでもある。それを、つくることが大事なような気がする。
映画の話ではよく、「映画は時代を映す鏡」だという言葉がある。(その時代の文化や歴史を語っている)。そして、映画は最大のプロパガンダ(宣伝効果)をもっているともいう。そんな歴史のなかでつくられてきた映画を感じながら、自分の指定席をつくりたいものだと思う。
寒さもほんものになってきました。
寒い中でも元気にとびまわっていたいと思っても、「寄る年波にはかてない」状態です。まずは体を動かして体を温めてから…という毎日でもあります。そして今月も終わりです。はやいですね。
1月は、幕開けから人の死に直面し別れた月でもありました。年が年ですから、身近な人たちもそして自分も、そお遠い話ではないのだということがわかります。仕事ではだんだん、若者とは距離がひろがっていくような日でもあります。それは仕方のないことなのでしょう。ときどき、私たちが先頭になってやれることはいったいなんだろうかと思うことがあります。
きっと、いかに「終末」をつくれるかということでしょうか…。自然とそんな話には耳を傾けません。それが正常でしょうかね。
来週は「再雇用の契約」があります。内容は前年とまったく同じです。ところが給料だけは下がるのですが(なんかおかしい…ふつう上がるでしょうね)。年金などは国が法律で決めてしまっているのので、政権が変わるとかしないとどうにもなりません。労働条件は、それぞれの職場の状態にあったものでなくてはなりません。そう考えると、その条件をつくるのは経営側でもあり私たち従業員です。その話し合いで決めるころができます。
さて、どうなることかね。
今週はこの辺で失礼します。
インフルエンザが流行しているとニュースでも聞いています。くれぐれもその流行には乗らないようにしてください。
読んでくれた人、ありがとうございました。