日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

2018年がはじまって…

2018年01月08日 | Weblog

 新年もはじまりました。それぞれの故郷に帰った人、旅行に行った人、受験勉強に日々送った人、と今年もいろいろな正月を送ったことだろうと思います。
 私は両親もいなくなり、帰る故郷は遠くなっています。今年は地元でいました。それでも、恒例の初詣と盆暮れの墓参りだけはやり終わった正月でした。
私は、年をとるにつれ正月は楽しいということより、寂しい気がします。それは、また一年始まったという喜びもつかのまで、一方で体の衰えを痛感する正月に気がつくからでしょうか。「おめでたい」というのは、意味がちがってきたように思える正月になってきました。それでも、世間は楽しい雰囲気いっぱいです。それはそれで大事なことですから否定はしません。
 そんな思いの正月でした。
 さて、仕事も待っていることでしょう。少しずつ体を仕事モードに戻す日々が近づいています。
 どんな一年になるのでしょうか。




「骨」
ぼくの目のまえに白く焼かれた骨
涙、楽しみ、苦しみ、雨、雪、酒、女、子ども…
すべてを経験してきた生きたあかしの骸が
白くちいさくおかれてある。
最期になにを話しておきたかったのか
小さな息の最期になにを呑込んだのか
それらのすべてが
いまは語れない
〇  〇
生きたものたちが骨をかこみ
思い思いの気持ちでシワの多くなった手に箸を持ち「橋渡し」
小さな白い灰に思い出をひろう
ひとつ、ふたつ、と
頭の中に消えてはうかぶ世の中の
あまたに流れるそれぞれの時間(とき)
あしばやにかけぬけていくその姿
わすれていく日々
あしたから骨を背負い
生きていくことだろう
〇  〇
鳥はその小さな骨を土に返し
土のなかではまだ生きて行く
そして植物が育つ
育つ植物は花を咲かせ実をつくる
実を食べ鳥は飛んでゆく
人は土に返って何を遺すのだろうか
それぞれの「こころ」に花を咲かせたのだろうか
〇  〇
ぼくの目のまえの骨がある
地べたにころんでも
またはい上がり
土に返る前にもうひと仕事
目にみえないお思い出をひとつふたつ
誰かの栄養で今日を生きている意味なのかもしれない
忘れては歩いていくこと
それが生きていることかもしれない




 新年になった。2018年。
 巷では「オメデトウゴザイマス」との言葉がよく聞かれた一週間だった。私にとっては今年から最低の年金支給開始の年となるはずだ。世間では「少ない…」という声を多く聞く日々だった。「本当にそうか」という気持ちを持ちつつ、一度年金機構事務所を訪問して自分の年金の内容を確かめたいと考えている。本当に少ないのかどうか、実際に自分の気持ちを確かめてみようと思うのだ。おそらく世間の大部分の人が言うように「少ないのだろうな」ということを確かめに行くことになるのだろう。
 そんなことを年頭に思った。そう考えたら「なにがめでたい」のだという気持ちもあるのだろう。これまでにいろいろと政治の悪さを見聞したものの実際自分の身になって考える一番の近道は、年金のことを考えるときかもしれない。なぜなら、自分の生活を支える土台の一部のことである。少ないより多い方がいいに決まっているのだからなおさらだ。
 今年初めに思うのは、悲しいかなこの現実をいかに自分に納得させて一年をすごしていくかということなのかも知れない。
 若いときは考えもしなかった「老後」がいままさに入口にきている状況なのだという理解と納得をいかに自分のなかで消化させ生きていくのかということが今年最初の思いだ。





 ことし最初の「山歩き」にいってきました。本来なら新年早々に行ってこようと思っていたのですが、身内の諸事情によりとうとう正月休みもの最後の日曜日になってしまいました。
 当日は天気はよく、風もなくゆっくり歩くのにはいい一日でした。それに、冬は寒いのですが空気が澄んでいるために遠くまで見渡せるます(写真上)。

 朝も明けぬうちに出かけ、いちばんのバスに乗り込む予定がバスの発車時間を間違えで30分ほど待たされたのがきつかったです。寒いし、ただただ並んでいるだけは体によくありません。1本遅れると30分待ちは当たり前の土地にいくことを忘れていました。さらに、冬の日の入りは早いことを考えれば少しでも早い時間に出かけてくることがベストです。(帰りに、暗くなってあわてて歩くと事故のものとですよ…)

 冬の寒さは身にこたえますが、少しずつ体を動かすうちに温まります。その時間がくるまでじっと我慢して歩いていくことが大事です。そして、その汗をうまく調節して歩くのも大事なことでしょうか。そして、かいた汗をうまくコントロールしながら頂上までめざすのんびりとした山歩きが面白いことの一つでもあります。最近は、化学繊維(速乾性)もあります。かいた汗を調節してくれます。
 この時期、山道には霜柱もあり、気を付けないあと滑ってしまう場合もあります。霜柱の山道には、土がのって一見分からないので注意して歩く必要があるでしょうか。それに、その土が歩くたびに舞い上がるので、団体の後を歩くと土ぼこりの中を歩くようになってしまうのが困ってしまう点です。(できるだけ団体様の後は歩かないようにするのが、この時期の高尾の歩き方もしれません)。

 さて、陣馬高原の展望は…。
 この日は、最高の眺めをみることができました。雪化粧をした富士山を中心に右奥に雪の南アルプス、左に丹沢などが見えました。遠くには江ノ島の海でしょうか鏡のように浮き上がって見えました。冬の空気は澄んでいるせいでしょうか遠くまで見渡すこともできました。私はこの時間がいちばんいいわかでもなくおまけのような眺望でした。私のメインは景信山まで尾根歩きです。ゆっくりと左右を眺めては、枯れ枝に止まる鳥もみることもできました。夏では木々の間から鳴く鳥の姿はみることはあまりできません。


 最近、高尾山への登山する人が増えているように思えます。10年前の今頃は、歩く人もまばらでした。それも、小さなデイパックでの山歩きした。今は、いいのか悪いのか日帰りでも本格的に格好です。こんなに大きなザックが日帰りで必要なのか思うえる人も多く見かけます。何人かであれば、頂上で温かいものを食べるので食料やコンロなどで大きくなるのでしょうか、仕方がないことです。それでも、人の歩いている人の中にも大きなザックをかついでいる人を多く見かけます。ときどき「何が入っているのかな?」と思うことがあります。人それぞれ、日帰りであろうと、人それぞれのスタンスで山歩きを楽しんでいるのでしょうね。重い荷物を背負ってゆっくり歩く人、軽い身なりで歩く人、それぞれの楽しみ方があっていいのだと思います。

 しかし、いやなこともあります。ザックは大きく本格的な登山の気持ちはけこうなのですが、それなりのマナーも必要でしょう。北アルプスなど高くて大きな山行には当然大きなザックになります。まして、乗り合いバスの中では背負ったまま乗り込んでくる人は少ないと思います。しかし、高尾山くらいだと背負ったまま乗り込んでくる猛者もいます。これは大変迷惑でザックが満員バスのなかで顔に当たったりします(私も当たってしまった)。低山とはいえ山は山です。荷物はそれぞれ持っているのですから、満員バスに乗ったら気をつかってほしいものです。そんな思いを帰りのバスの中で味わってしまうと、一日の楽しさがだいなしになってしまうこともあります。当日そんな経験をしていますと「なんとなくいやになってしまう…」ということです。
 なんかの縁で同じ山、同じバス乗り合わせた偶然です。お互いがいい一日だったと思えるものにしたいものです。単独でいくとつくづくそんな思いが残ります。団体でいくときも、お互いが注意できる関係をつくることが楽しいものになるのだと思いますが…。
 そう感じた山歩きでした。

 若いとき(30~40年前)は家族で山歩きにいったものでした。そのとき使った道具もまだ使っています。そのときの登山靴もときどき磨いてはつかっています。残ってるのは妻の登山靴です。まだきれいなのです。いまは、病気やひざ痛でそれどころではない様子です。ときどき、老夫婦の山歩きに出会いあます。のんびりとした様子を見ていると思い出したりします。

 今年も高尾山を中心に「山歩き」ができれば思います。一ヵ月に一回程度できればいいのですが。そして、そこで考えたことや様子を伝えられればいいのですがね。



 いまごろは、正月気分も抜けてくるころでしょうか。
 今年の正月は大変でした。突然の身内の不幸の連絡をもらって三が日明けのお葬式でした。「人の死は突然やってくる」とは思っていますがそれが、自分と関係の深いところで来るとは…、世の中分からないものです。それでも、ようやく終えたころは「これから」が不安になっていました。
 そんなこともあって、どこかで新年らしい一日を…と思い山歩きにいってきたのだともいえます。ゆっくり歩いて汗をかいて(働いて)、下山してまた一歩前と思える生活ができればいいものですが…。

 とはいえ、もう私にとっても「人の死」は他人事ではなくなっているように思えます。一日一日、自分なりの「終活」も必要なのでしょうか。現実、子どもよりは確実に先にいく予定なのですから。
 明日からまた、いつもと変わらぬ日々がくるのでしょうか。できれば、昨年の今頃よりも楽しいものを探していたいものです。そして、見つけていたいものです。
 2018年が始まったというのに、昨年からの片づけはそのままです。さらに今年今月末から「大規模修繕」が4カ月くらいかけて始まる予定です。その片づけもまだ…。何かとせわしない日々の始まりでした。少しずつ片づけていければと思います。

 さて、今年のブログ更新が今日「成人の日」から始まります。
 どんなことを…と考えてと思っています。今年は11年目になりました。
 ただ、今年は定年後「再雇用」から「契約社員」に65歳までなることは確実です。年金もちょっとでるようです。今年はこの「年金」に多く考えることがあるように思えます。もっと、年金のことを知らないといけないなあ、と思います。ちょっとは参考になるといいですね。

 では今年も、時間がありましたらよろしくお願いします。
 読んでくれた人、ありがとうございました。