こんにちは。
9月にはいるや台風がやつばやにやってきて多くの雨を降らせ災害をつくり去っていきました。次から次にやってくる台風に災害は続くそうです。
季節はあきになっていくような涼しさがあります。多摩川の散歩道に彼岸花が咲いていました。秋祭りにも出くわします。涼しいわけです。
この時期は「敬老の日」あり「秋分の日」ありとめじろ押しに休日があってうれしいのですが、実際のところ仕事はその休みのことなど考えていない日本の現実があります。私のところも、実際は連休どころではなく、休日出勤もしなければ仕事が片付かない状況です。(なんとまあ、貧乏くじばかり引いているような気がします)。
とはいえ、しばらくは(再雇用・契約期間は)この状況からぬけだしことができない身、いいところをさがしつつやっていくしかありません。
今週、パラリンピックはまだ続いていました。
障がい者のスポーツ選手ががんばっている様子は、とてもすがすがしい気がします。一生懸命、自分のやるべきことを必死に表現しているように見えました。
さて、社会はどうかというと、あいかわらず、民意がふみにじられている状況があるように見えます。
一つに、食の安全、暮らしの安全、働き方の安全と生きていきためにあたりまえの状況がどこでどう捻じ曲げられているのかうまくいってないようなニュースばかりでした。
◎豊洲市場の移転先での土壌汚染問題が報道陣に公開されました。それによると、建物地下の汚染水に有害物質が含まれる可能性は払しょくできていないとの懸念がありました。
■これまでの築地市場から豊洲に移転はきいていましたが、建物が建ってからいろいろな問題が出てくることっていったいどういうことなのでしょうか。「手抜き工事」のように見えます。
なんでもごり押しで進めてきた都政政治のリスクがここへきてでてきたように思えます。前外添知事の手法そのものではいなのでしょうか。けっきょく、税金がいいかげんに使われて来たようにみえるニュースでした。
「東京五輪2020」でうかれているどころではないように思えたいやニュースでした。東京五輪のスタジアム建設のときもそうでしたが、結局「白紙」に戻してやりなおしにしました。それまで、使われた多くの税金はどうなってしまうのかあまりにもいい加減だと思います。
小池知事になって少しは透明性が強調されてきましたが、今後どうなっていくのか注目です。「有識者会議」をつくり検討がされるようになっていくようです。
◎米軍普天間基地飛行場の名護市辺野古に移設をめぐって、翁長知事が国をあいてどり移設を再検討を訴えた裁判。福岡高裁は沖縄の主張をしりぞけ「埋め立て」を認める国側の主張を採用。
■沖縄の問題を法律によって解決しようとした翁長知事に対して、法律は国(権力側)の主張を認めたということになりました。これまで、沖縄県は辺野古に新基地移設を認めなことを主張してきた。事実、今年の県、国政選挙においても基地推進の政治家たちはことごとく落選した。ふつう、そうなれば民意は「反対」なのだろうと思うが、裁判所はそうではないらしい。三権分立からいえば、法はより客観的にみる立場から合理的な判決をするかと思っていたら、そうもいかないらしいということがわかる。まして、最高裁はもっとゆうずうがきかないのだろうか。ここでは憲法はないがしろにされているように思う。そのかわりあるのが「日米地位協定」ということだろう。しかし、この法律は、沖縄の米軍の犯罪に効力を発揮しているとは思えない。事実、米軍の沖縄での犯罪はあとを絶たない。
そんなことを考えると、軍事施設は暴力の温床でもあるように思える。それを、移転させるって、結局、暴力の範囲を広げるだけではと思える。さらに、自然を破壊し、暮らしがしずらくなる…。だから、民意は反対だったのだろうと思う。いったい、地方自治ってなんだろうと考えさせられる判決。
とはいえ、国政の影響力を待たせている民進党という政治団体はいったい何をしているのか。
新しい代表も決まったことだし、野党の責任としてぜひ頑張ってほしいものだ。
「日々新又日新(ひびにあらたにしてまたひにあらたなり)」
今週うれしいことが一つ。
職場のお客さんとときおり話す会話で「もうじき生まれるんです」とは聞いていたが…。
なぜか今週、これほど身近に感じたことはなかった。
還暦になると、訃報は多く聞く日々である。さらに、労働意欲なるものもなくなってくる。
最近は働いていても「なんで働いているのかなあー」と思っていた。「ローンを返済するため、日々ただただ仕事をいたるのおか」という現実だった。
いったいなんのために働いているのだろうと、考えることもしばしある。
そんなおり、生まれたばかりの赤ちゃんをスマホで見せてもらった。うわさは聞いていたが、生れたニュースとともに、そのお客さんが職場にやってきて、世間話をしていたときの見せてもらった。ほんとうにうれしそうに見せてくれた。
これから、「この子のためにこれから働けるのだろう」と思う。
その写真をみていたら、どんなに世間が騒がしくても人は誕生するんだなーと思った。
この子のために父親は当分、仕事に家族に楽しく送れるだろう。一緒に命をまっとうしようと思うだろう。
そういえば、孫がかわいいというのもわかるような気がする。小さな命と一緒に生きていることへの感謝もあるし、ともに生きていることを教わっている。
私は、これからは生きている時間より死に向かう時間の方が近い。そんなとき、永遠とも会思える命のありかを見せられると、もうちょっと頑張ってみようかという気になる。なんとも不思議な「赤ちゃん力」にあやかっている。趣味や会話を楽しむ工夫もしないと、と思う時間がもてることは大事…と思った。
暮らしの中で、日々に振り返る人がいることは大事なことだと思う。
今月、旅先で亡くなった人がいて、今週は新しい誕生があった。人生悲喜こもごもだ。
出生したからいって安心はできないいやな世の中であることは現実だ。とくに、安倍政権には思う。
児童虐待や待機児童問題など。やることがちっとも進んでいないことも事実だ。為政者の怠慢には怒りを覚えるが、とにかく頑張って子育てができる社会になることを目指すしかない。
来週あたりから国会も始まる。どれだけ、子どもや老人のことを語る国会なるのだろうか。もしかして、まったく語られない…、なんてことがないことを願いたいものだ。
私も、自分の子どもが誕生した時はどんな思いで仕事をしてたのだろうか、と思い出した。
今週は、祝日が2日ある。でも、19日(敬老の日)はしごとで出勤だ。なんともやりきれないと思うが、この日はいつか取りもどそうと頑張るしかないようだ。
今週、なんとか月刊誌がまとまりなく終わった、と。ひと区切りがついたように思う。仕事とはいえ、人の少ない職場では「こんなものだろう」という気がしてくる。時間の余裕もなければそうなつ。
月末は、ゆっくり山歩きができることを切望しつつ。
今週はこのへんで失礼します。
読んでくれた人、ありがとうございました。