日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

台風のあとさきに…。

2016年09月04日 | Weblog

 こんにちは。
 朝晩とてもすずしくなったように感じます。夏も終わりのでしょうかね。
 多摩川の散歩道では、足元からバッタがたくさんはねています。鳥も群れをつくり始めました。ツクツクホウシが鳴きはじめました。台風後の川は濁ってもいます。そして台風も来ていました。

 今週関東から東北、北海道へ台風10号が通り過ぎていきました。この台風で東北地方などでは被害もでていました。死者・行方不明者などニュースで報じられていました。勢力がすしずつ弱くなるどころか、衰えをしらず通過した台風10号でした。自然の災害は人間にはどうやっても防ぎようがないことが身をもってわかる瞬間だと思いました。さらに、こわいと思ったのは、福島原発の放射能漏れが大量の雨水と一緒に流れ出しているのだろうと思うとこれは人災ではないかと思いました。
 防ぎようのない自然災害には、最小限の災害にする工夫も大事だな思う週でもありました。

 イタリアの地震といい、日本の地震や台風といい地球規模でなにかが起こっているようにも思えます。
 そんなことを思うと、日々の思いはいつの間にか「落ち込む」ことばかり考えてしましいます。
 それでも、時は過ぎていく中で少しでも昨日より明日…という流れのなかで楽しくなるようなことを考えて行動することが人にとっては大事なことなのでようね。
 リオ五輪の日本人の大活躍に、我を忘れて応援した時間も少しずつ薄い記憶のなってくるなかで、やはり大事なのは身近な友人だったり家族であったりと思えます。

 さてさて、何か楽しみはありますか。






 今週、これまで一緒に仕事をいていた人が夏休みの旅行先で突然亡くなってしまった。
 私よりもすこし年上の人でした。静かな人だった。
 毎月、月末の月刊誌の終わりはいつも、祝杯をあげたたように喜ぶ姿が思い出された。ニッコリと笑って帰っていく後ろ姿が印象的だった。
 ただ、救いは家族旅行の途中でったようで、家族のいるなかでのできごとだったときいている。

 身近な人がいなくなると、自分が働くところの灯りがひとつ消えたように思える。まして、他の場所でいたとはいえ、毎月、月刊誌の終了2週間ばかりとはいえ一緒に仕事をやった人だった。
 異動後、やっとその人なりの人柄をしった矢先の出来事だったので淋しいと思えた。

 とはいえ、仕事はまってくれない。
 抱えていた仕事の分担がはじまる。それぞれの負担が増える。
 そんななかで、その人の仕事のやり方が少しずつあきらかになっていく。なんとも丁寧にゆっくりさらに正確にやっていたことがわかる。私には同じようにまねはできないだろうと、思った。仕事のやりかたそのものが彼の人柄そのもののように思えた。どんな形であれ、働くことが生きているあかしになっているように思う。



 人の一生の終着地はどこでどうなるかわからない。
 そんなことを考えた週でもありました。自分の体は自分で管理するしかない、ということはわかっていても本当のところは自分にしかわからないとつくずく思えた。人の痛みはどれだけ言葉にしたところで本当のことはわからないのだろう。ただ、その痛みを少しでも和らげるのはいちばん近くの信頼できる人になると思う。
 家族であれ、知人であれそんな人がいるだろうか。

 身近にそれほど年のはなれていない人がいなくなってしまうということは、自分自身へのメッセージを残していくのだと思えた。そのメッセージを自分なりにかかえて、その時がくるまで生きていくしかないように思える。
 そして、今まで一緒に仕事ができたことにこころからお礼がいいたいと思った。
 ありがとうといいたい(合掌)。

 
 台風12号も近づいています。
 雨ばかりの一週間になるのでしょうか。気の重い日々が続きそうですね…。
 また月刊誌の忙しさが始まる2週間が始まる。彼と一緒にやった唯一の仕事でもあった。
 彼が残したものは何であったのか問いながらの日々がはじまりそうだ。

 とはいえ、現実の生活は「めんどうくさい」で始まり、どうにか終わらせる日々がくるのだろうと思える。それでも、仕事を進める人がまた大事になってくる日々がやってくるのだろう。
 とりあえず働いているのだから。
 そして、私がここにこうして働けれるのも誰かの協力がおおいにあってのことだから…。

 今週はちょっと疲れた一っ週間でもありました。
 
 また、落ち着いたら、山歩きにいこう。

 読んでくれた人、ありがとうございました。