日々徒然に

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1月半ば…またまた一年が始まりました

2016年01月17日 | Weblog

 こんにちは…。
 はやいもので、もう1月も半ばになっています。成人式が済んだと思いきや日々はもう次のことを追いかけているようです。私にとって、今年の1月とはちょっと違うところといえば、昨年からいっているように職場が変わって初めての一年の始まりでした。これから、いったいどうやっていこうか…などと思うより、おそらく昨年同様、ダラダラとしたお客の対応にお付き合いしていくのでしょうか…ね。それで、うまく回っているのですからそれはそれでいいのではないのかと思います。

 さて、今週の出来事はといえば、スキーバスの転覆事故がありました。夜中にスキー場に向かっていた観光バスが山中で事故の様子を伝えるニュース。バスには41人乗車。そして、14人の若者が亡くなり、多数けが人がでたとうことでした。事故を起こした原因について日々ニュースが流れていました。
 これはバス会社の問題でしょう。乗務員2人はいいのですが、まさに丸投げのような運行状況の実態があるように思えました。会社全体で、ツアーのお客の安全を確保していこうという体制が全然見えないような気がしました。

 よくよく考えれば、会社の規模のよって安全対策がちがうのは困った問題です。なぜなら、大きかろうと小さかろうと、人の命を乗せて運んでいるということなのですから。一方で、利益を上げなければという目的もあります。利益を優先するか、安全を優先するか、のようなところが見えました。

 以前にも、バス会社が事故を起こして問題になっていました。その後、乗務員を一人から二人にしたのでしょう。
 
 このニュースを見ていて、地下鉄のワンマン運転のことを考えていました。
 都会では、たくさんの地下鉄が走っています。そういえば、私の利用している地下鉄もワンマンでした。朝のラッシュ時には何度も、出入り口の開閉がされます。ゆっくり乗る人、あわてて駆け込んで乗る人といろいろです。それを瞬時に判断してドアーをしめて発車していきます。それでも遅れて、車間距離の調整に苦心しています。これが、スムーズのいっているときはいいのですが一度、事故や火災が起こったらどうなるのでしょうか。まさに大事故です。以前に韓国で地下鉄火災がありました。車両の軽さを追求したけっか燃えやすいものが多く利用されていたと聞きます。

 車でも自動運転というのが話題になっています。実際に、人が乗って道路を走るとなるといろいろなケースが考えられます。人には感情があるのです。思わぬところで、考えられないことが起きる可能性があるのでしょうね。みんなが「車はまっすぐ走るもの」だと思っていますが、乗っている人はけっして真っ直ぐに走って生きていないのです。いろいろな事情で動いているのです…と思えば、人の数だけのシーンを自動運転する頭脳に記憶させておかいないといけなくなるのでしょう。そんなことは不可能でしょう。
 まして、パソコンを遠隔操作できる時代です。
 やはり人には、人の対応が第一条件なのでしょう。ワンマンは限るある範囲のみ通じる距離ではないかと思います。最近、東京小金井市で一人で運転していたバスが暴走して、民家に突っ込んだ事故があったばかりなのに。

 安全は機械ができる範囲と人間ができる範囲をもってできるもの。機械に任せっ切りではやっぱり不安は消えません。人件費を削り利益をあげるようとしている現実。それが今回の事故がおきたように思えます。
 あたりまえですが、適切な運航をつくる体制が人を中心につくることがだいじなのでは思います。利益も大事ですが、それを生むのも安全であること。なぜなら、スキーツアーは他人の楽しみを乗せて走りものです。決して悲劇など想定していないのです。想定するのは運行会社の仕事だったはずです。



 ■小さな記事から「デフレは諸悪の根源あろうか」(朝日1月16日より)読んで
 国会が始まったようです。日々、政治にはあまり関心がないのですが自分の生活に直結するとなると、これは他人事ではなように思います。安倍政権はデフレ脱却をめざしているとのことです。脱却はいいのですが、そのことが直接、年金生活者や株も投資もしていない人たちにどれだけ恩恵があるのかという記事でした。
 普通は、日々、会社に行って働いて賃金を得ています。農村では、日々、作物を耕す土地にいって育てています。漁業では、朝早くから漁に出て、海の収獲を台所に届けています。年金生活者は少ない年金を楽しみにして暮らしています。それが、家族をつくる唯一の楽しみでもあると思います。決して、株でもうけたりして生活する人は多くはないと思います。

 と、思うと安倍政権のデフレ脱却はだれのために政策なのでしょうか。



 成人式の日にどんじりの年賀状が届く。
 まあ、なんとものんびりした人だあと思う人でもある。ある意味、ゴーイングマイウエイの性格がぴったりな人かなあ…。悪く言えば、あてにできない人のようで、よく言えば我が道を行くというのんびり型でしょうか。
 これもその人の人間性がよく出ていて面白いと思います。(誰って…、それは自分の胸に手をあててください)

 これからが寒さもいちばん厳しくなってくるのだろうか。それでも、けねげに梅の花が咲き始めました。誰に褒められるわけでもなく、ただ黙々と花さ咲かせる。自然の素晴らしさなのでしょうかね。
「こうありたもの」と思いますが、人間はそうはいかないのが世のつねのようです。
 うまくいけば誰かに褒められたい、褒めてもらいたいと思うのでしょう。そこで文句を言おうものなら、ギスギスの人間関係も考えてみなくてはなりません。それが、自分が成長するひとつの条件でもある場合もあります。

 年齢が嵩むにつれてになって「そんなことは面倒くさい」と思うことが多いようです。
 きっと、一度は心をリフレッシュ(メンテナンス)することも必要なのでしょう。それを探しつつまた一年が始まりました。いやなことばかり多い世の中です。それを、どう処理していくのかもこの一年のテーマでしょう。

 まあ、どうにかやっていけてらと考えます。



※井之頭公園に散歩に行ってみました(写真)。
 公園の水を抜いて掃除をしていました。冬なのでさぞかし寒いのでしょうね。なぜ、夏にやらないのかと考えていたら、夏はなんでも活発で、池の匂いがきつくなるのでしょうか、それと虫たちもいっぱい繁殖したりして活発になるからでしょうかね。冬は一休みしている時期なので…ということなのでしょうか。
 バードウォッチングを楽しんでいる人たちもいました。全員で同じ方向をみて楽しそうでした。
 ところで、同じ方向を見てくれる人はいますか…、とふと思いました。のんびりと、そして丁寧に。
これからもそんな人たちをつくって行きたいと思います。
 年賀状のがのんびりしているくらいはいいのです。

それでは今週はこのへんで…。
読んでくれた人、ありがとうございました。