こんにちは…まだまだ、昼間は暑さがつづいています。
休日の朝、早く起きて東の空を眺めていたら、少しずつあがってくる太陽と、吹いてくる風がヒンヤリとしていて涼しくなっていました。もう少しで涼しくなってくるのでしょうか。
駅で空を眺めていたら、赤とんぼが群れをなして飛んでいました。ちょっとは、涼しくなってきたということでしょうね。
寒いのはいやなのですが、それでも今の暑さを思えば涼しくなってほしいと思います。
今月初めごろ出した暑中見舞いの返事が舞い込んできたりして、そこでもやはり「暑い」は定番になっていたようです。でも、返事で元気な様子でいると、こちらも元気になってきたようにも思えます。人間って、こうやってつながりのなかで自分を取りもどしていくんでしょうか。
さて、今週は第97回夏の高校野球選手権大会で神奈川県代表の東海大相模が優勝しました。わたしは、個人的には東北の優勝を…と応援したしていたのですが残念でしたね…。やはり、投手がいいほうが強いのでしょうかね。そして、私立高校勢が圧倒的に強い大会でもありました。
今年は関東一高のオコエ選手の活躍も目につきました。やっぱり、走力・打力は違います。めぐまれた体格では走力も陸上選手並みにスピードもありました。
わたしは、これからはこういう選手が活躍する時がやってきたように思えます。昔であれば、肌の色や言葉がちがう人の対して偏見や差別があったと思います。広島カープの衣笠選手を思い出しました。子どもの頃、差別や偏見があった…ということです。でも、誰でも人は生まれるところは選べないのだし、たまたま日本人と外国人と結婚した両親がいたということでしょう。これからは、こういう人たちも活躍する場が増えてくるのだと思います。もちろん、本人の努力があればのことですが…。今後、どんなアスリートになっていくのか注目です。
「70年談話」もありました。
「60年談話」とどう違っていたのか…、といわれても同じように見えます。違うのは「70年談話」の最後の「積極的平和主義」ということを「念」を押すようにはいっていました。
私は、当時の村山首相「60年談話」と今回の安倍首相の「70年談話」の根本的な違いは「過去への反省と未来への形」だと考えています。
「60年談話」では、侵略戦争で傷ついたアジア諸国の人々への反省で、今後が武力を使わないものにしていこうという方向であった。そして「70年談話」では過去への反省はするものの、二度とこういうことが内容にするための方法としての「集団的自衛権行使」になっていく、という違いだと思えます。
だから安倍首相は最後まで「積極的平和主義」という言葉をいれて、自分の歴史観を書いたのだと思います。
つまりは、武力を使う。それも支援する(どこに…)としています。
新聞を読んでいたら、ドイツの「記憶・責任・未来」財団理事会アドバイザーのウタ・ゲルラント氏がいいことをいっています。「あくまで言葉、評価は行動で」と。
「…戦争が終わってから長い歴史と時間が経つが、過去と未来のつばがりは、言葉の問題だけで済む問題ではない」と。その後の、取り組みが第一ということなのでしょう。本当に大事なのは、被害者と加害者の認識のズレを修正し、企業や政府、市民レベルまで幅ひろく、平和的な方法で埋めていくことが大事だということだと思います。そう、考えると、今回の「安保法制」は逆をいっているように見えます。だから反対も多い。これは納得です。参議院で審議がとまってしまった「自衛隊内部資料」など、「安保法制」の中味が発覚して、「70年談話」はいったなんなんだという疑問はぬぐえません。ほんとうに、大事なのはどんな行動を起こすかだと思います。
今回の「安保法制」は反対が多い。事実、埼玉県知事選や岩手県知事選でも、反対している人が当選している。この事実をを無視してまで強行する政府は、本当に「7戦後70年」をどう考えているのでしょうか。
戦後70年。実際に戦争経験者が少なくなってきました。それを思うと、戦争を二度と起こさない未来をを、権力者自ら示す時代のなっているはずですからね。
今年のお盆は、今の職場に異動になってから仕事の都合で休むこともできなく、墓参りができなかった。
まあ、仕事は誰かが休んでいるとき、誰かがの部分をカバーしているのが仕事でしょうね。今回は、それが私にまわってきたのでしょう。それで、うまく世の中がうまくまわっているのだと思いますが…。
毎年くるところとはいえ、先祖代々うけつがれた証としてのお墓。何かがないと不安な世の中です。確実に私がこの世にいたことを証明するものであるものなのでしょうか。そして、いまこうしていることを再確認する証としての物理的証拠でもあるのでしょう。
いずれ、わたしもどこかで野垂れ死にしないかぎり、子孫がどこかに葬ってくれるのでしょうか。
見渡せば、両親が生きて元気だった時代は(40-~50年前)は、村全体も活気があったように思えました。イヤミな近所のおやじがいたり、ちょっとお金持ちのボンボンがいたり…と、大人が元気な時代は、貧しくても、子どもも元気だったように思います。(映画「スタンドバイ・ミー」を素直に見られる時代でした)
ざりがに取り、魚釣りをした沼や田んぼは今は住宅地になって、昔の景色はもう、記憶のなかにだけあるようになってしまいました。
それでも、そんな記憶があるだけまだいいのだと思います。
最近起きる事件(大阪寝屋川市でおきた少年少女殺人事件や川崎の多摩川で起きた少年殺人事件)で巻きこまれている時代は、なんと過酷な時代だと思います。それだけ、大人も病んでいるのではないかと思えてなりません。いったい、この国の人間はどうなっていくのでしょうか…(大げさでしょうか)。
パワハラ、マタハラ、セクハラでいじめれ、過労を強いられた大人たち。そんな状況なかでも育てないければいけない子ども。それが、現実なのだと思います。
お墓参りをして、こんな私を育ててくれ、この世に送ってくれた先祖に改めて感謝した一日でした。それも、貧しくても食べて、寝て生きていられることを確認した一日でもありました(合掌)。
毎年、行く土地、行くたびに景色が小さくなっていくのはなぜでしょうか…。
今回も、墓参りにに一人でのんびりいったとき、子どものころ遊んだ神社が小さく見えました。
おそらく、だんだん小さくなっていき消えさてくのでしょうか、ね。
木登りをした、桜の大樹も、駆け回った境内も…、みんな小さく見えていました。
今回は、少ししんみりとなってしましました。
季節は、涼しくなります。今まで陽射しから逃げ回っていた時間から、今度は陽ざしをなつかしむ季節となるのでしょうか。
今年の夏休みは、家族が救急病院(ER)にいくやら、仕事やらでなにもいい思い出はありませんでした。
すずしくなって、落ち着いたら山歩きでも再開しようと思います。
もう、年がとしなので「なんでもできそう…」なんどという、期待は何もなくなりました。これからは、選んでいかないといったい何が楽しかったのかわからなくなります。当面、こうれからやろうとしていることが一番、楽しいとおおうのでしょう。それにしても、やろうとしていることには、常に障害があってそれをどう片づけるかが当面の問題なのでしょうか。もう、片づけるというより捨てていくことも考えないといけない老体なんだと思います。最後に、ゴミの山になってしまう前に…。
それでは、今回はこの辺で失礼します。夏バテに注意してください。
読んでくれた人、ありがとうございました。