季節に嗜好をいえば、今がいちばん…と思う。
働きだして間もないころ、どこでどうころがったのか知り合いを通して今の仕事についた。これが、サラリーマンなのだろうか? と思った。入社したころは、右も左もわからぬままに先輩の言うとおりに技術が受け継がれていった。春は花見、夏はビアガーデン、秋は河原でバーベキュー、冬は忘年会…。少なくなくともこれだけは先輩たちと飲んだ日々だった。
休日には、野球チームに強引に入部させられ試合をしていた。負けても勝っても、試合後の料理を囲んで飲んだビールがうまかった。ひと汗かいたあとは格別だった。
いつの間にか、友だちもできた。
平日でも、友だちのアパートに遊ぶにいったり、徹夜で飲んだりした時は、飲み屋の近くにいちばん近くに住んでいる友だちのアパートを泊ったりした。
労働組合へも首をつっこむようになり、気がつけば執行委員もやっていた。
多くの集会にも赤旗を持ちながら出かけたものだった。社会とのかかわりや政治へのかかわりを勉強した。それはいまでも同じように思える。以前から、自民党のやっていることは同じだなーとも思えた。ただ、違うのは自民党がどう動こうか最後には憲法にいきつき、野党とはうまくやっていたようだった。なにか、「紳士協定」みたいなものがあって、ゆずるところはゆずる…、それ以上はいかない。
政治でいう五五年体制が崩壊しても、与党と野党はバランスが保ちながら政治が動いていたように思えた。あとから、知ったことだが、与党のなかにも憲法を守ろうとする保守がいることをおぼえた。とくに戦争体験をしてる議員だった。
いまとは違っていた。
沖縄で「基地辺野古移設」の世論が圧倒的で、それが証拠に知事や国会議員は反対派の圧勝だったにもかかわらず移設工事を強行しようとしている。いうことも、やることも強引である。まるで「独裁政治」のようだ。
これまでこんな政治はあったのだろうか…。
東京に出てきて、入社した当時の政治や社会はこんなだっけ? 駅から眺めた春はどんなだったのだろうか…。
……こんにちは。
突然、58年目の春をむかえて駅から上をみていたら前述したようなことを思い出した。今とは違っていた昔。
一人の労働者が都会に出て、いろいろな人にささえられて一番印象にのこった思い出があるのだろうと思う。それが、その人のかっこよくいえばターニングポイントかもしれない。その、時間帯をちょっと書いてみたかった…と思いました。
ぼくにとっていちばん利用した駅はJR四ツ谷駅。その眺めは春は桜、夏は蝉の声、秋は紅葉、冬は雪景色と印象に残っている。それを思い出した週末でした。
友だちに、なんと半年ぶりに手紙を書いた。
以前は、なにはともあれ内容を伝えたいものは、はがきか手紙で連絡手段だった。今は、携帯メールで簡単にすましていまう時代となった。
新聞を読んでいたら、「友だちどうしであってもみんな一人ひとりスマホをやり始めて会話がなかった…。もっと生身の人間と語れ」という投稿があった。これでは、群れという感じ。それも野生の群れ。
そういえば、必ず人と話をしている人より、スマホを眺めている人のほうが多いのに気がつく。
読んでくれた人、ありがとうございました。