日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

動きやすくなりました……

2014年10月26日 | Weblog


 こんにちは……
すずしくなりました。天気もようやく安定する季節になってきました。
 いまごろが、スポーツ、食欲、芸術、読書の秋と日本中の常識がやってきました。この時期、休日の散歩がいつよりちょっと距離がにびてきます。秋風が吹く中、散歩がいちばんいい季節でもあります……ね。
 ひと夏、都内を騒がせたデング熱も温度がさがってきたからでしょうか、あまり話題にならなくなってきました。
 最近、散歩に出かけると挨拶に「いい天気ですね…」が多くなりました。多摩川でも多くの人が歩いています。「歩く季節」といってもいい時期になったということですね。

 さて、今週は安倍政権が期待していた女性閣僚が相次いで辞任したいました。それも、「金と政治」の問題での辞任劇でした。もっているお金は使うのが気持ちもはれるでしょうし、ときには必要な行為です。それも、全部自分のためになるのであれば「生活費」ということになるのでしょう。
 それは、あくまでも自分で働いて得たお金という話です。

 今回、辞めた小渕優子経済産業相の場合は公金を使っていた。つまりは市民が働いて、納税の義務によってできたお金でした。公的資金(政治資金)は個人のために使っては違反になるのが政治の世界です。さらに、使われたお金は公的なものですから自分の財布のなかのお金とはべつものです。まあ、ひらたくいえば「横領」です。他人のお金をだまって、それも自分の利益のために使ったいうことでしょう。もっと、いえば「泥棒」にあたるのではないかと思います。なんでこんなことをするのか……。他人のお金ということなのでしょう。とんでもないこと。政治家にあるまじきこと。

 もっと根は深いところにあるのだと思います。政治家とお金が時々、問題にされ、そのガス抜きような「辞任劇」です。それを許す、自民党の体質は以前と変わっていないということがわかります。変わったことといえば、戦争をしっている議員がいなくなってきたことでしょう。
 いちばん、税金が使われる戦争をしらない政治家が増えてきたとうこと。
 だから、集団的自衛権行使などということもでてくるともいわれています。
 自分の行為の一部をお金で済ませてしもうとした人間の形。それも、まじめに働いて納めた税金を使って「利益」を得ようとした非常識な犯罪も同じです。

 いっぽう、こちらはまじめに働いていた女性たち。
 広島市内の病院に勤務していた理学療法士の女性が妊娠したため、降格され男女雇用機会均等法に違反したという事件。最高裁判決は妊娠によって、不利益な扱いは原則禁止という判決。女性の訴えをみとめこれまでの裁判を破棄したというもの。

 女性が多い職場では、結婚をした女性が妊娠するのは当然。さらに、仕事も時間も軽減するということをやらなければ、妊娠した女性にとっては仕事も労働ではなく「拷問」のようになってしまう。それも、その「拷問」で職場から追いだそうとする労務管理。これが、「マタハラ」(マタニティーハラスメント)となるのでしょう。

 まさに今のぼくの職場も同だなー。
 確かに、男女雇用機会均等法に照らせば、妊娠した人の仕事は軽減されるべきでしょう。でも、職場の実態は、人員が減り、さらには長時間労働(残業)で忙しさは慢性的です。だから、無理をきいて…と思うようになってしまいます。よくよく、考えてみれば、職場の長時間労働になる原因は、妊娠した女性がいるからではなく、経営者の怠慢からくることを忘れているからでしょう。
 だから、人を増やすという現実を知っていても、経営者がそれをやらない、という実態が問題にされるねきなのでしょう。

 判決の日に、外国人の記者がインタビューに応えて「根本的な問題は、会社の長時間労働」ということをいっていました。
 これは「真実」だなと思いました。それを、一人の妊娠した女性のせいにしてしまう、会社の風土、そしてそれを解決しない経営者、労働組合の責任は大きいです。それが仕事のはずです。


 今月は読書の秋到来…といいたいところです。
 しかし、ぼくの場合は今月は、新規の仕事(月一度の新聞の新聞編集・校正)の準備で日々追われていました。だから、仕事に関した本ばかりさがしては読んでいました。今月の仕事は下旬に無事終わりほっとしています。終わって思うことは、ぼくの能力が足らないのでしょうか、いまだにうまくできたかという気持ちでいっぱいです。
 すきまを見つけて読んだ本でした。少しずつ再読する本もあるようにしたいものです。

 

◎眠る魚/坂東眞砂子(集英社)
▼日本人が二人集まると、小さな日本が生まれる。エヘァテ島に住む僅かな日本人の中でにも立派な日本人社会が発生している。福島第一原発の事故以来、原子力問題が話題に上っても誰も真正面からぶつかることはしない。発生の是非を巡って意見が対立して、人間関係まで破壊するのが恐いのだ。しかも、この意見対立は、人や動物も含めた命の安全を第一とするか、経済論理を第一とするかという、人生の立脚点をどこに置くかに根ざして話して簡単に解決できるようなことではない(p26)

▼私は国を信じない……、愛国心というの言葉には虫唾が走る。そんなものは一部の富と権力を手にした者たちが、自分の欲と利益のためにおっ始める戦争に国民を駆り立てるための方便だと思っている(p26)

▼見えないのは同じように、ばい菌には神経質になっても、放射能には無頓着。ばい菌は殺菌すればいいが、放射能物質は殺せない。半永久的にそこに存在する。想像を絶する脅威は人を盲目にする(p63)

▼故郷は、もう心の拠り所ではなくなった。母国と私を結ぶ砦だったのだ。母国と私と結ぶ細いけれど強い糸が自分の意思とは無関係に暴力的に断ち切られたのだ(p64)

▼日本は税金を取る代償に、国民を保護そてくれるかどうか。福島の事故で土地も家も奪われた人々の状況を考えると、国民から取るものは取って、保護や保障となると無視する国だとしか思えない(p68)

▼お金は麻薬だ。それが無くなると思うと、資本主義の世界にどっぷり浸かった中毒患者たちは挑戦する。たちが悪いとことには、「先進国」では、お金が無くなるとほんとうに路頭に迷い、餓死しかねないことだ(p107)

▼「僕は、アオイロコとは、生命エネルギーが枯渇する現象だと思っています……」「人とは、生命エネルギーの詰まった袋のようなものです。大きな精神的ショックによって、その袋に穴があき、エネルギーが洩れはじめると、もう止めることはできません……」(p122)

▼住むということは、生活の記憶を場所に刻みつけることだ。その記憶が、その場をひとつの宇宙へと広げる。家は、単なる雨露を凌ぐ箱から、ひとつの宇宙に変貌し、幼少期から思春期を育む子宮となるのだ。大人になっても、その家がどこかに存在することは、好きな時に自分を育んだ子宮に戻れるという安心感を与えてくれる(p150)

▼人は危険だと認識しつつ、その場に踏みとどまる続けるほど強くない。危険だと知れば、耳を閉ざし、忘れようと努める。逃げられないとなれば、危険を無視する。危険を告げる情報に頑なに耳を閉ざし、忘れようと努める。忘却とは、自己防衛本能のひとつだろう(p154)

▼この国は、今やその気になれば、至るところに災禍の影を思い出せる場所となってしまった。逃げなくては思った(p172)

▼人は、とてつもない危機的事態に陥った時、ただ「信じられない」と呟きつづけることしかできないかもしれない。たぶん、これが思考停止と呼ばれる状態だろう(p226)


【感想】
 自分が住んでいる故郷は、いちばんの安息の場所になるだろう。
 まして、生まれてそこに住む住人たちとの関わりをもって育ってきた人間にとってはかげがいの「安息の住処」となっているのだろうと思う。
 今年、8月この原発事故によってよぎなく故郷を離れなければならなかった主婦(58歳)が自殺した裁判があった。判決では、「原発事故がうつ病と自殺の原因」と認定し損害賠償を支払う命令がでた。
 判決では「58年間暮らした山木屋の人々とのつばがりや養鶏場の仕事を原発で失い、不慣れなアパート暮らしを余儀なくされた。耐え難いストレスが主婦をうつ病状態にさせ、自殺の原因になった」ということだった。

 今、福島の原発事故のおきた周辺の住民、およそ13万人は全国に避難している状態だという。いつ帰れるかもしれないまま、放射能漏れはあり、原子炉の廃炉の作業はいつおわるのか時間ばかりすぎていく中で日々を送っている状態だ。避難している人にとっては、日々の生活のなかで安息の地を奪われたという気持ちなのではないかと思う。それが、東京電力であり、それを推進してきた国であり、それを支持・宣伝してきた文化人だったりと…、あらゆるものが「安全」というウソをまきちらした結果として……。

 この小説は、それらを実にうまく表現していると思うし、人間の弱さ、ずるさを暴露している作品であると思える。
 これと、同じ状況を思い出したのは沖縄の辺野古基地移設問題だと思う。
 基地移設賛成、反対がおこり、政治があらゆる懐柔策で人々を混乱させる。同じ土地に住むひとたちが内戦のように感情の対立をむきだしにして政治を判断していく。結果として反対の市長が当選しても、そこに住む住民の意思であったはずの選挙は、国によって無視「なかったこと…のように」され、強行されていく。それを、県外の人々は、さらに「無視:なかったことのように」していく……。これが、日本人の風土とでもいうように……を思い出した。

 いまいちばん大切なことを故郷を強く思うこと、故郷がなければ、大切なこと(人)を強く思うことなのかもしれない、と思えた。
 この小説は、最後は主人公がガンになってしまう。それでも、本当に必要なことを故郷から得ようとしているのだろうと思った。
 原発事故後、病に倒れ、それでもこの作品を書きたかった作者の執念のようなものを強く感じた。

◎和解/志賀直哉(新潮文庫)
【感想】
 「和解」を読んで、最後まで主人公とその父親との反目しあっている理由がよくわからなかった。結婚したことが原因なのか、それとも、主人公の子供を死なせてしまったことへの反目なのか、よくわからなかった。
 それでも最後は、父と息子の和解が出来ている小説だった。

 これを読むきっかけは、だれにでもあるであろう長い年月をかけた確執とかがどうやって分かり合えるようになっていくのか? という疑問があったからだった。お互いがなぜ、反目するのか? について考えてみたかったからだ。
 うらを返せば、どちらにも自分が正しいという意見をもっていて、それを相手が認めない、認めたら自分が負けのように思えてしまうからだろうと思う。
 お互いが、その点を自分でわかって話せばお互いの弱さを出し合って認めあうことで「和解」ができるのではないかと思ったからだ。認めることが負け、ではないということをお互いが知る機会であるということがもっと大事なのだと思う。死んでから何もできないより、生きているうちに傷を見せ合うことで和解したほうが生きていくのに楽だろうと思う。
 そんなことを思った一冊でした。


 今週、マンションの11年目の総会があった。
 総会に出席して思うことがあった。マンションを維持して住みよくしようとしていくのに意見もでないのはどうしてだろうか……、という疑問だ。
 さらに、毎年管理会社が紹介する保険や工事関係会社をすんなり受けてしまうのはどうしてかな? と思った。
 お金を出すほうと、それいよって利益を得ようとする側でもっと「攻防」があっていいのではないかと思った。毎月ローンを払って、身銭をきって管理会社にまで金をはらっているのであれば、もっと安くて、親切な工事会社や保険会社を紹介するようにならないのか…と思った。
 ますます、ボロになっていくマンションである。できるだけ安く、維持してきれいに住みたいと思う。

 新聞を読んでいたら、昨日「特定秘密保護法に反対する学生有志の会」」が都内でデモを行った、という記事を読んだ。
 今は、誰でも政治テーマを持てるのに若い人はどこへ行ったのかと思っていいたが、いました。自分の主張を何であれ自分の体で表現することは大事な時期だと思います。できることをみつけ頑張ってほしいと思います。
 これが、どんな形で続くのか頑張って欲しいきがします。

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がんばれ若造諸君!!いつも集会やデモにいっても若い人を探すのが大変な日々です。アルバイトや就職活動など大変なのかなあと思っています。でも、仕事であれ、遊びであれ、平和がなければできないのですから。
気がつけば、今年も2ヵ月ばかりに……。来月には年賀状が発売されたりして「空気」が少しずつ年末に動き始めますね。今年はどんな年だった?など思う月になってくるのでしょうか。
 まだ、この寒くもなく、暑くもない季節を楽しみたいと思います。来月は今年最後の山歩きも友だちと計画しています。今度は、のんびり気を使わないようにしたいと思います。

 明日から仕事が始まります。今週はどんな一週間になるのでしょうか。
 職場の人手不足は解消できるのでしょうか。上司にはいってあるわけで、あとは上司が自分の仕事としての決断をして、職場の人に納得するような説明をしてほしいものです。それが仕事なのだと自覚してほしいものです。
 
今回はこのへんで失礼します。
*読んでくださった方、ありがとうございました。