こんにちは。
はやいもので1月も、もう半ば、それも今週は「成人式の日」もあります。
いまとなっては、成人という言葉が私の身近なところにはもうころがっていないような気がする。
それにしても、成人の式の日が雨とは、ちょっとうらむね……。
やっぱり、天気は晴れでしょう。せっかくの「ハレ」の舞台も半減してしまう。きっと、大変な一日となるでしょう。
さて、いつのまにか政権が民主党から自民党に替わっていた。それも、あの安倍政権に替わっていた。
なんせ、今まで病院に入院した妻のことで世間のことはずーと流れていくだけだった。今、立ち止まってみると、また昔のような政治が始まるのだろうな…と思えた。まあ、言葉は変わるだろうがことの「本質」は同じ政治になるだろうとも思えた。
その一つが原発。いまだに、故郷に帰ることができないほどの被害をつくった「原発事故の放射能」。そのことを反省して原発の稼働はしない、とのことだったが政権が替わって、稼働させる動きがでてきたようだ。それも、言葉を変え、経済を変えうまく「マメとムチ」の政治が始まったのだと思う。
これも仕方がないようにも思えた。なぜなら、自民党に投票したひとが多かったのだから……。それが、今ある政治への表現だった選挙なのだから。
一方で、「本当に日本人っていうのはこれでいいの」と思いを強くもった選挙だった。民主党の政治が悪かったとはいえ、それじゃこっち……になぜなってしまうのか、ながい間日本人をやっているがこれほどになるとは思わなかった。
「経済の成長」とはいっても、結局は増税により最終的には解決するしないのだろう?。その時代を経済の活性化で利益を得ても、その借金は次世代に回される仕組みはまった同じとういくことだろう。ただ、その時代にいた人だけが富を蓄えるチャンスがあるとうことだけ。ほとんどは、そのチャンスはないのに……ね。
とりあえず「成人の日」おめでとう。
ところで、これから大人の仲間入り?
どんな「大人」になるのでしょうか。
「雨にも負けず、風にもまけず……」今日を大事に、体に気をつけ、これからの人生をつくっていってください。
PHOTO:平日の朝、寒いを連発しながら寝床から起きていく。外を眺めれば、地球の不思議……。きれいな色で染まる朝がむかえてくれる時もある。分刻みでその色は変わっていくから、なんとも不思議な星に生きている…と思う瞬間である。宇宙からみたら、地球もきれいな星の一つなのだろう。
それにしても、こんなきれいな星で戦争や差別が平気で行われている星でもあることも現実なのだ!!。それを、つくっているのが人間だけと思うと、人間はなんと罪深き動物なのだろうなぁ、と思う。せめて、自分の周りの人とは平和な関係をつくっていきたいと思う。
「日々を送る」
一日のできごとが
全部、眠りのなかに消えていく
こうして
日々のなかに私がいて
あなたもいて
そっと感謝している一日がある
○
明日のことは誰にも訪ねられないと
今日をいきてきた私が
むかえるだけの明日なのだ
○
おやすみ……と
いえる今日に感謝して夜は消えていくだけだ
「明日はわが身……」などとひとり言をいい
それでも、一日の終わりに感謝して眠りにつく
※ことしも、日々に思った言葉をつなげていきたいと思います。それが「日々の詩」です。まあ、「きょうはこの言葉がいちばんいい」と思って書いているだけですが……。
昨年から今年にかけてどれだけ、西国分寺という駅を降りた。
ホームにあるうどんやで昼をとり、ゆっくりとあるいて15分くらいの道のりだった。
昨年、11月から入院している妻の病室までおよそ30分たらず。
北風の強さを身に受けて、その日の寒さをあびていた歩いたものだ。
そのとき「人の一生などだれもわからない……」と思った。10万人に数十人……「多発性硬化症」。そんな病気にピンポイントでなるとは信じられなかった。手術もできないところだと、聞かされたときはどんな病気なのか…と不安は増大するばかりだった。それでも、その病気を必死に治療をしようとしている主治医にめぐりあったことに深く感動した。
同病室にも同じような難病者がいるのには驚いた。
見舞いにおとずれるたびに、その人たちとも話しをした。まったくかざりのない、ウソのない会話が私の身に、どっぷりとふりかかってきた。
それでも、生きようとあがいているというより、淡々とその日をゆっくりと生きているように思えた。そんな人たちとめぐりあったことは、一つの救いのような気がした。
さて、この難病は治らない……とのこと。一生うまくつきあっていくしかないと説明されたときは、あとは「病気をだまし、だましきげんをとっていくしかない」と思った。実際、それしかないようだ。「再発」をできるだけくいとめる日常生活がもとめられるのだろう。
それでも、本人の楽しみはさがし、やれることはやっておくと生き様もちがうとも思えた。
とりあえず、今は退院してやっと正月がきたような思いがする。それも、短い。これからのことは、本当に「神のみぞ知る」ようなもの。わたしは、日々を病気ととともに生きていく妻と頑張るしかないように思えた。
自分の人生だ…。これからは、ほんとうにやりたかったことはなんだろうと思いつつ日々をおくっていきたいと思えた。
誰でも、あるとき信じられない病名がついたりして、「我にかえる」ということ。最近、つくずくそんなことを感じています。だれでも、危険な因子をもっている……ということ。それが、出るか、でないか、ずーとでないか、とうことだろう。そう、思うと、今日は「よかった」という気持ちが人一倍つよく残るこのごろです。なんにでも「最初」があれば必ず「最後」があるように、人の一生を大事に思うことが、早いか、遅いかだけです。
また、新しい明日をむかえられれば、最高ですね。
※詳細はこちらでどうぞ。多発性硬化症
今年もやっと始まりました……という気持ちです。
これからも、誤字・脱字の多いブログかもしれませんがよろしくお願いします。
*読んでくださった方、ありがとうございました。