日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

子どもたちの夏休みが始まりましたが……

2012年07月22日 | Weblog


 今週に関東地方の梅雨明けがありました。夏もいよいよはじまりました。今年は、昨年以上に「節電」がいわれそうです。

 休日の夕方。
 遠くから夏祭りの音楽が聞こえてきた。昨年は震災と原発事故の節電で中止だったもので、今年はどこでも開催されそうだ。
 さらに、子どもたちの楽しみの夏休みも始まったようだ。

 祭りの音を聞いていたら、私の子ども時代夏休みを思い出した。
 祭りの夜は近所の子どもたちと一緒に、空き缶を改造して、ろうそくの照明をつくって町を冒険したものだった。近所でいちばん怖い場所を「度胸ためし」ということで、作った照明を持って冒険したのもこの日だった。

 近所の大人たちも休みのなか、のんびり過ごしていたようだ。
 最近の子どもたちはどんな祭りの夜をも迎えているのだろうか。

 さて、世の中は「3つの反対」に動いているようだ。一つは毎週金曜日には国会周辺で自然発生的に始まった「原発再稼働反対」。
 大飯原発の再稼働が順次進められていくなか、他原発がある地層だった。にもかかわらず、活断層の上に原発があることが明らかなのにされでも稼働を計画するとは異常な事態。さらには、原発公聴会での電力会社の出席……。

 二つ目は「「財政再建」「社会保障の充実」のための消費税増税に反対。この消費税法案で政権与党でも民主党は分裂状態という異常事態。少しずつ、民主党が第二の自民党化がつくられていっているような気がする。

 三つ目は、沖縄の普天間、山口の岩国に配備されそうしている、米軍の新型輸送機オスプレイの配備に反対である。
 三つの反対でも政府は説得側にまわっているだけで、どれも強行しようとしている。
 「なにがなんでも…」という感じもある。本当に政治が行われているかといえば、本来の民主党の看板のありかたではないような気がする。

 これが日本を席巻している大きな反対である。三つの反対のすべて共通するのは「日本市民の生活が危機」という言葉。どれをとっても、生活する市民にとっては受け入れがたい政治課題でもある。
 なかでも、当事者でもないなか集会が起きている「原発反対」は毎週行われている。関東近辺の、普通に生活する主婦やおじさん、おばさん、大学生も集まりつつあるという。
 今後、どんな方向にむかっていくのか注目に値する。
 どれも、夏祭りの夜を楽しく、安心して冒険できる子どもたちにつながるものであるのだと思いたい。

PHOTO:都会の夕方。少し暗くなってきた公園に「納涼盆踊り」という看板のなか、屋台の照明がまぶしい。昔は、子どもをつれて屋台の焼きそばや綿あめを食べては楽しんでいた。懐中電灯をもって、幾人かの冒険好きな子どもを見かけなくなった……ね。きっと、いるのだろうけれど……。身近に見ない。暗いなか仲間同士の灯りを頼りに、こわーい場所にいっては遊んでいた。



今週は休みます。ごめんんさい!!





 今週、二人の同僚から「辞めたい」という言葉を聞いた。何がそうさせたのか、おおよしの見当はつくが聞き流していた。

 一人にはこまめに話しなどしてどうにか「停止」状態で引き続き、いっしょに働いていくことにした。もう、一人は決心もかたく、とうとう身の回りの荷物をダンボールにつめこむやいなや「あとは有給消化で休む」といって会社を去っていってしまった。

 いずれも仕事はとてもよくできる人たちだった。印刷のことはもちろん、その他にも私以上によくできた二人でもあった。その二人が、いずれも「辞めたい」という言葉を出してきたのだろうか…と思った。

 私は、いまさらだが仕事はできることにこしたことはないと思う。日々、日進月歩の印刷関係の仕事はアナログからデジタル化になり、覚えることも日々更新といったほど多い。さらには、お客からの注文はほとんどがどこから聞いたのかしらないが知識もあいまいなものが多く、それに専門家として助言を加えて、一つの形にしてあげる。さらに、それを商品としていかなかればならない。

きれい、低コストを目標に頑張っていくのがこの仕事の標準でもある。それだけ、担当者は多くの負担を背負うわけだ。しかし、商品になってお客に喜んでもらえば、そんな苦労も報われる…一瞬でもある。こんなときは、ちょっと大変だが、仕事をしていても楽しいもだと思う。

 そんなことは、ひゃくも承知だった二人だと思う。では、なぜ、そんな言葉を発したのか。私なり考えてみた。

 最近、大津市でおきた生徒の自殺事件で教育委員会や管理する側がまりにもいいかげんな対応に理不尽なことだと思った。孤立する人間をつくる。これは、本当に社会を行きていく人間を育てる教育なのだろうか。
 こんなことでは、なんどもいじめは繰り返されるに違いないと思えたのだった。担任の先生もきっと大変な毎日を送っていたと思えた。

仕事していれば日々、大変で理不尽なことが多々あることに気がつく。それでも、どうにか、やっていけるのは隣にいっしょに働く仲間がいるからだろう。それさえもなくなった状態が、おそらく自殺を決意した大津市の少年であったのかもしれない。

どんなに頑張っていても「評価側」のさじ加減で決まってしまう。上へいけばいくほど保身は堅い。全体の流れの中で「なぜそうなるか」も反省せず決めてしまう会社は理不尽となる。
 それでも、頑張れるのは、上からほめられるだけはない。自分のやっていることの確かさを同僚と確認でき、人間同士の信頼ができていることで続けているのだと思う。

 「辞めたい」という言葉をいちばん重く受け止める人は、同僚ではなく、会社という組織を束ねる人だろうと思った。そして、考えを示さなければまた、出てくるだろうと思う。
 誰しもイヤになってしまうことはある。それをた解決していく方向を示すことが大事だなと思う……。

 「自分の仕事の報われ方」は当面、自分を自分で褒めて、週末には頑張った自分をゆっくり休めるようにすることが大事だろう。少なくとも、声をだして褒めてくれる友達をもつことも大事な日々だとも覆える。なぜなら誰も気にしない世の中になってしまっているのだから、なおさらだ。
 そんなことを、再確認した1週間だった。

 とにかく、日々、仕事を通じて悩み付き合い方を身につけていくしかないようだ。
 今週もそれは続くだろう。



 今週も、またまた愚痴の連続であるようだ。これも、仕方があるまい。
 開きなおって、自分の歩く道をさぐるしかない。もう、年だから後ろを振り向くほど余裕はないのは確かなようだ。

 そうこうするうちに、世界はロンドン五輪にむかっている。
 どんな選手が飛び出すか、どんな発言が飛び出すか……これも楽しみでもある。
 愚痴ばかり多いと、おもいしろいことをついぞ忘れやすくなる。
 アブナイ……。アブナイ……
 今週もゆっくり、がんばっていこう。

 *今週も、読んでくださった方、ありがとうございました。