こんにちは。
いま、東京は梅雨の真っ只中…。
この季節はおそらく7月いっぱいまで続くのでしょうか。毎日、雨ばかりふって体がだるく感じられる季節でもあります。ややもすると、体調をくずしやすい時期だと思います。ここは、一年の折り返し地点、残り半年にとっては大事な体調管理の時なのかもしれません。
今週、福井県の大飯原発の再稼働が正式決定されました。なんとも、強引・傲慢に強行されたような感じがあります。野田首相は「安全」といって強行したようです。
一方で「脱原発」の動きを封じ込めようとしているなかでの強行ですから、これからもどんな問題があがってくるのか課題はいっぱいあるようです。
津波も心配かもしれませんが、日本は地震大国です。津波の前に大きな地震でもきたら、原発がどうなるのか心配です。それが、なによりも一番さきのことだと思います。
原発の「安全」は幻想のような気がします。『地震でも耐えられる』という幻想…。万が一、地震によって建物自体が崩壊したら、またしても放射能が日本中、世界中にばらまかれるわけです。狭い日本ではもう、逃げる場所がなくなるのではないのでしょうかね。
本当に「生活安定」のためでしょうか。
不安定要因を一生懸命にやっているような気もします。
ちっとも福島第一原発事故で放射能の教訓がいかされないような現実です。これまでの人々の節電はいったいなんだったのでしょうか。
時々、「脱原発」でできることは何だろう…と思うことがあります。
私になり考えた結果、これまでの便利さから一つ「不便さ」のあるものをつくってみたらいい、と思います。消費電力をなるべくつくらいようにしること。
例えば、一日中、スマートフォンを眺めていたものを見ないようにするとか…。一億人の人間がやればそれはすごい節電になるのではないかと思います。それでちょっと「不便」になってもいいのではないかと思います。
一人でできることはたいしたことではありませんが、まとまれば大きなものになります。
ちょっとしたガマンが大きな力になりますが…。でも、人間の欲望の小箱とでもいえるスマートフォンをつけない、というのは無理でしょうか。
なぜなら、「安全神話」はすでに崩壊していることは、誰でもわかっていることなのですから……
もう一つ、今週話題だったのは17年間逃亡生活していた最後の指名手配の高橋容疑者が逮捕だれました。それも、町中のマンガ喫茶でした。このニュースでマスコミは特別報道まで設置していました。指名手配されていた似顔絵の写真とは似てもいなかったのによくぞ逮捕できた…というものでした。
それにしても、容貌がこんなにも変わってしまう人間の顔は変幻自在のところがあります。
いまや、監視カメラは縦横無尽に設置され誰彼問わず放映されている時代です。うっかり、立小便でもして、カメラに写されて法律違反といわれるのも怖い気がします。
だいたい、監視カメラなるものが日常に入ってきたのは「犯罪を防ぐ」という大儀名文があったからでしょうか。しかい、一方でプライバシーが完全に監視されてはたまりせんね。「夜警国家」のようになり「密告」が人々の不安をつくるような社会ってえのは、怖いですよ。
今回のことでつくづく思った次第です。
「写真」
何をみつめいるのだろう
世界では
いまも変わらず
血と涙で主張している
「平和」とは
「正義」とは
政治家が野望をかなえる呪文にすぎない
人の暮らしは
愛する人がいれば
恋を語り合えるひとがいれば
大事にしたい人がいれば
静かに自分の生き方を表現し、説いて
静かな明日をむかえられれば
それだけでいいはずなのに
それさえも写真は拒絶するように
拳銃で差別や服従をおしつけいる
手枷、足枷の重い荷物を背負わされ
追うもの追われるものをつくっている
一瞬でもこの様子を世界中に配信しいていることを知るだろう
ぼくの前にその中の一枚が問う
「平和」「正義」とはなんですか、と
生きることに必死な姿が
ぼくの心に焼き付けられては
思いが地球に埋めつくしていく
そして
ぼくも地球に静かに埋められていくとを願っている写真のなかの一人なのだろう
ぼくの前に一枚の写真
憎しみ、悲しみ、喜び、愛が音になってかなでる日
今日をかたり
明日をつくろうとしている
血と涙が果てるまで
輝く瞳から真実を地球という惑星に住むすべての人間の生きざまをつきつけている
(※世界報道写真展から:今年の写真もけっこう残酷なものが多かったようです。それでも、人がいきていくことを考えさせる写真が多かったように思えます。自然の脅威は人間の知識などはるかにしのぐエネルギーをつくります。日本の東日本大震災の写真もありました。その前に立ってみているとつくずく人間の身勝手さやいとおしさを感じました)
今年も、恒例になった「世界報道写真展」を職場の友達といってきました。今年の写真は北アフリカの民主化の写真が多かったように思います。
そして、あいもかわらず、拳銃を持ったもの同士の殺戮が報道されている写真もありました。
政治の混乱の結果、そこに住む人々は拳銃によって差別され、服従されていく様子が写真からうかがえました。
強いていえば、あらゆる政治の結果が写真に写されているように思います。
貧困、差別、服従、抵抗の姿を世界に配信された一枚でもあるのです。
困難ななかでも必死の生きようと、抵抗しようとしている人の姿には感動していました。求めるものは「真実」であり「祖国の自由」であるのだと思います。さらに、人々の生き様を表現することができる政治ではないかと考えます。
よくみてみると、ここに展示されている写真は人間の弱さや強さを展示している写真なのだろうと思います。そこで、いった何を感じ、何を思ったなのか、これからの生き方の道を考える風景でもあるのではないかと思います。
今年で55回目を迎える「世界報道写真展」です。124カ国、5247人の応募の中から報道された写真約170点を紹介しています。大賞には、中東のイエメンで反体制デモの最中に傷ついた息子を抱きかかえる女性を写したサムエル・アランダの作品が選ばれました。中東、北アフリカの民主化運動やノルウェーでの大量殺人事件などが展示されています。日本は東日本大震災の写真もありました。
そして、夕方これも恒例になったような「飲み会」。
写真展の感想よりも仕事の話しが中心でした。楽しい時間でもありました。
世界報道写真展 ※詳細はこちらでどうぞ。
今週、久しぶりに職場の友達と「世界報道写真展」いってきました。日々、世界情勢にうとくなっている私にとっては、とても刺激的な時間だなあ…と思います。最近は、世界のことがフェイスブックやユーチューブによって数秒で配信されてみることもできます。
その結果、北アフリカ地域の民主化もいっそう進む傾向にあることはわかります。ただ、それが、本当かどうかは、体制化、反体制か、民主主義化、非民主主義かは当事者が判断しなければなりません。近くにそんなことがとても詳しい人がいるとわかるのですが……。
民主主義は小さな酒場での不満や愚痴から大きなうねりになって、巻き起こってくるのだと思います。だから、友達どうしの話に耳をかたむけることも大事なことだと思います。
どこでも「小さな声から…」だと思います。あとは、どこまで信用できる人たちを身の周りにつくるかということだと思います。これは、仕事以上に大事な人生の問題になってくることなだろうと思います。
とは、いうものの日々に追われる人間です。そんななかでも、信頼できるひとを持ちたいものですね。そして、つくろうとすることも大事です。
「下手のよこ好き」で最近、詩をのせるようにしています。
自分なりの感動を文字にして、更新しています。
また、一週間がはじまります。体に気をつけて、梅雨にも負けずいきたいものです。
*読んでくださった方、ありがとうございました。